第18話 夜にほどける光
水祈の星灯も無事に終わって、数日がたった。
浮き足立っていた町の雰囲気も、いつもの日常に戻っていく。
リアはマリナと一緒に、町の診療所を訪れていた。
予約の時間より少し早めについたふたりは、ツンッとした独特の香りのする待合室で待っていた。
「マリナさーん! マリナ・エルネスさーん!」
名前を呼ばれ、白く塗られた木の扉を開ける。
出迎えたのは、深いグレーの瞳に銀縁の眼鏡をかけた男性で、物静かな笑みを湛えていた。
「こんにちは。マリナさん。おや、お隣の女性は?」
柔らかく落ち着いた声が響く。
「はじめまして。リア、と言います。数ヶ月前から、マリナさんのおうちでお世話になっています。」
「はじめまして。この診療所の医師をしている、ジュード・セイランです。よろしくお願いしますね」
あたたかみのある笑顔に、リアの緊張が少しずつほぐれていくのがわかった。
「リアさんが付き添ってくれるなんて、マリナさんは心強いでしょう」
「えぇ、ほんとにね。この子が一緒だと、なにをするのも安心なのよ」
マリナがそう言って笑う。
リアは、なんだか少しくすぐったくなり、そっと唇をかむ。
ジュードはカルテを確認しながら、ゆっくりと診察を始めた。
聴診器をあて、体の状態を丁寧に確かめていく。
「最近、寝つきや体調はどうですか?」
「ええ、以前よりずっと落ち着いているわ」
「それはよかった」
微笑んだジュードは、マリナの状態をカルテにしっかりと記載している。
そして、記録をまとめながら、ゆっくりと、口を開いた。
「以前にもお話ししましたが、マリナさんみたいに、ルクシミウムの後遺症を持つ人のデータはまだあまりないもので……なかなか、症状の回復や安定した管理が難しいかもしれません」
──っ!
胸を鷲掴みにされたようだった。
それは、うまく息ができないほどの痛みだった。
リアの指先が、震えた。
ジュードはカルテに視線を落としたまま、穏やかな声で続ける。
「まぁ、いまのところ睡眠や食事もしっかりとれているようですし、このまま定期検診を続けていきましょう」
「はい、先生。いつも、ありがとうございます。また、よろしくお願いします」
答えるマリナの隣で、動けずにいるリア。
冷たいものが首筋を伝う。
カルテに記入を終えたジュードは、顔を挙げ、リアの様子に気がついた。
「リアさん? どうしました? 大丈夫ですか?」
「……いえ、なんでも……。大丈夫です。」
リアは胸の内で、その言葉を何度も繰り返していた。
──ルクシミウム。
知らないはずの言葉なのに、なぜか、ざわつく。
視界の端がぐらりと揺れた気がした。
ジュードは、そんなリアの様子に静かに視線を送る。
「また、何か不安があれば、いつでもいらしてくださいね。リアさんも、ね?」
リアは乱れた呼吸を隠すように、小さく頭を下げた。
「……はい。」
リアの瑠璃色の瞳の奥で、微かに青白い光が揺れた。
診察室を出ると、マリナがリアに声をかけた。
「リア、大丈夫? ……どうかしたの?」
「……いえ、大丈夫です。」
リアは微笑みながら首を振ったが、手はまだわずかに震えていた。
「そう……よかったら、少し寄り道でもしていきましょうか? 帰りに、甘いものでも」
マリナのやさしい提案に、リアは小さくうなずいた。
二人は商店街を歩き、小さなパン屋に立ち寄る。
「いらっしゃいませ〜!」
明るい声と共に、ふわふわの金髪が揺れる。
「わ! リアちゃん! マリナさんも、こんにちは!」
リゼットは、人懐っこい笑顔でリアに近づいてくる。
その笑顔を見て、リアの胸のざわつきが少しおさまった。
「ねぇねぇ〜私の水の巫女、どうだった?」
「とても、綺麗でした。衣装も、リゼットさんに似合っていて、素敵でした」
「きゃーっ! うれしい〜! 練習、結構大変だったの!」
ふふふっと笑うリゼット。
マリナも嬉しそうに微笑むと、
「水の巫女さん、オルレアンを三つ、お願いできるかしら? リア、これお金。わたしは外で待っているから受け取ってきてくれる?」と言って、店を出た。
リゼットは鼻歌混じりに並べられたオルレアンを丁寧に包む。
「そういえばさ! ミナから聞いたんだけど、リアちゃんと約束したからって言って、今年はちゃんと手紙渡せたんだって! すごいよね〜!」
羨ましい、とオーバーなリアクションをとるリゼット。
「……約束のこと、知っているんですか?」
「うん! ミナが嬉しそうに話してたよ〜! リアちゃんもイファに渡したんでしょ? どうだった? 告白、成功した?」
「……?」
きょとん、と首を傾げるリアを見て、リゼットは目を見開き、口に手を当てた。
「え! もしかして知らなかったの? あの星灯籠で渡す手紙、最近“告白の手紙”って話題なんだよ〜! みんな好きな人に気持ちを伝えるの!」
──告白の、手紙?
リゼットは、顎に手を当てて口元を結ぶ。
うーん…と唸って、ため息混じりに言った。
「リアちゃんがそんなつもりなくても、イファはリアちゃんから告白されるって期待したんじゃないかな〜。もしかしたら、ちょっとがっかりしたかも!」
リアの胸の奥が、ひやりと冷えた。
──わたし、イファを……がっかりさせてしまった?
俯くリアを見て、しまった、という顔をするリゼット。
「わぁ〜っ! ごめん、ごめん! 違うの! きっと大丈夫だよ!イファにちゃんと素直な気持ち、伝えてみたら? ね?」
リアは、こくりと小さく、小さく頷く。
「ありがとう〜! また来てね!」
というリゼットの声を背に、リアは重い足取りで帰路についた。
その夜、リアは寝る前にイファの部屋を訪ねた。
戸惑いながらもドアをたたく。
「はーい!」
ガチャッとドアを開けるイファは、いつもと変わらない笑顔だった。
「あれ、リアが俺の部屋、ノックするなんて珍しいね。どうした?」
穏やかな笑顔は、リアを優しく、ほどいてくれる。
「手紙……私、手紙の意味、知らなくて。……イファを、がっかり……させたみたい、で……ごめんなさい。」
イファはすぐに首を振った。
「違うよ、リア」
考え込むように黙りこんだイファは、頭をぼりぼりとかき、小さく呼吸を整えた。
そして、ゆっくりとリアの前にしゃがんで優しく言った。
「たしかに、びっくりしたよ。でもね、あの手紙、すごくリアらしかった。気持ちがこもっててさ」
リアは、イファを見つめる。
「俺、リアの気持ち、ちゃんと受け取った。ありがとう。あれは、俺にとって大切なものなんだ」
イファの言葉に、リアはほっとした。
深緑と瑠璃の目線が合う。
リアの瞳は微かに揺らぐ。
静かに残る、胸の痛み。
リアには、まだその正体がわからない。
立ちすくんで、再び俯くリアを見て、イファはふわりと笑う。
「……もし、リアがまだなにか、ひっかかってるなら、直接聞いてみたら? 誰かの気持ちは、聞かないとわからないから。俺が、がっかりしてなかったみたいに……。な?」
リアは、ゆっくりと顔をあげた。
「……ありがとう、イファ」
イファは、にかっと笑う。
「手紙、うれしかったよ」
嬉しそうに。
幸せそうに。
「じゃ、もう寝な? また、明日」
リアはこくんとうなずき、ドアを閉めた。
イファは、大きく息をついて、自分の部屋のベッドの上で、再び白い封筒を開く。
月明かりに照らされながら、そっと読み返す。
イファへ
この町に来てから、わたしはたくさんのことを知りました。
風の匂い、パンの味、笑ったときに目が細くなるあなたの顔。
そして、「ありがとう」の気持ち。
最初は、なにも分からなかった。
笑うことも、悲しむことも。
生きていくことさえ。
でも、あなたといると、少しずつ、わたしの中に光が灯っていくのがわかりました。
わたしが話さなくても、うまくできなくても、そばにいてくれた。
何もできないわたしに、「できること」を教えてくれた。
あなたのことを考えると、胸の奥が少し温かくなる。
でも、この気持ちが何かは、まだうまく言えません。
ただ、わかるのは、あなたに出会えて、ほんとうによかったって思ってること。
そう思える気持ちは、わたしの中に、ちゃんとあります。
だから──ありがとう。
どうか、あなたにこの手紙が届きますように。
リア




