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【アップ✨】2025年10月12日主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります☕️

初めまして、天川裕司です。

ここではシリーズでやってます『夢時代』と『思記』の原稿を投稿して居ります。

また、YouTubeドラマ用に仕上げたシナリオ等も別枠で投稿して行きます。

どうぞよろしくお願い致します。

少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。

サクッと読める幻想小説です(^^♪

お暇な時にでもぜひどうぞ♬


【アメーバブログ】

https://blog.ameba.jp/ucs/top.do


【男山教会ホームページ】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【YouTube】(星のカケラ)

https://www.youtube.com/@%E6%98%9F%E3%81%AE%E3%82%AB%E3%82%B1%E3%83%A9-v5x/videos


【ノート】

https://note.com/unique_panda3782



【YouTubeドラマにつきまして】

無課金でやっておりますので、これで精一杯…と言うところもあり、

お見苦しい点はすみません。 なので音声も無しです(BGMのみ)。

基本的に【ライトノベル感覚のイメージストーリー】です。

創造力・空想力・独創力を思いっきり働かせて見て頂けると嬉しいです(^^♪

出来れば心の声で聴いて頂けると幸いです♬

でもこの条件から出来るだけ面白く工夫してみようと思ってますので、

どうぞよろしくお願いします(^^♪



※10月12日の礼拝説教(動画)はありません。

代わりに同じ聖書箇所のメッセージ動画をアップして居ります。


【ブログ】

https://ameblo.jp/yujiteiou/entry-12939547684.html

ブログを見てくださると、聖書と讃美歌も閲覧できます。



【本日のメッセージ】


[FRIDAY NIGHT]道、真理、いのち(ヨハネの福音書14章6節)|関根一夫牧師

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=zKCSkryxHkc&pp=ygUk44Oo44OP44ON44Gr44KI44KL56aP6Z-z5pu4MTTnq6A256-A


[FRIDAY NIGHT]終着点は出発点(ヨハネの福音書 14章6節)|榊原寛牧師|CGNTV

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=7HPFqH_JgpY&pp=ygUk44Oo44OP44ON44Gr44KI44KL56aP6Z-z5pu4MTTnq6A256-A


聖書


『ヨハネによる福音書』(第一四章一〜七節)

『エレミヤ書』(第三一章二三〜二六節)



讃美歌〜♫


讃美歌191番

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=g2Uju0V11MI&pp=ygUP6K6D576O5q2MMTkx55Wq


讃美歌516番

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=HcWQr31OfWA&pp=ygUP6K6D576O5q2MNTE255Wq0gcJCfwJAYcqIYzv



2025年10月12日 礼拝説教 聖書箇所


「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」

ヨハネによる福音書14章6節


ユダとその町々で人々は、再びこの言葉を言うであろう。「正義の住まうところ、聖所の山よ 主があなたを祝福されるように。」

エレミヤ書31章23節


はじめに

わたしたちは何を求め、目指しているか。人の、ただ一つの救いに至る道を学ぶ。

「そればかりか、あなたがたは、わたしがどこへ導いて行くのかを知り、まさしく、その道をあながたがは見ている」と、主イエスは言う。弟子たちが見ているイエスは、自分たちを御自身のもとへ召し出し、多くの教えを与え、人の目には不思議と見える奇跡を行われたお方。主イエスは、捕らえられ、十字架刑に引き渡される直前、弟子たちの「心がかき乱されないように、神を信じ、また、わたしを信じなさい」と命じられた。そして、御自身の贖いにおいて確保される場所を「わたしの父の家の中には多くの居場所がある」と示された。主イエスからすれば、元居られた所に帰るのであるが、弟子たちには、「わたしがどこへ導いて行くのかを知り、まさしく、その道をあなたがたは見ている」と言う。しかし、弟子の一人トマスは、まだこの時、天の住まいも、そこに至る道も、認めず、イエスにこのように問い返す。「トマスはイエスに言う、『主よ、どこへ導いて行かれるのか、わたしたちは分かりません。ましてや、どうしてその道を知ることができるでしょうか』」

「イエスはトマスに言う、『わたしがその道であり、まさしくその真理であり、そのいのち(生命・命)であるから、だれも、わたしを通らずして父のもとに来る者はいない』」主イエスの啓示は、地から天ではなく、天から地に向かう。それは、主イエス御自身のご意志が、はじめから、神のものであり、人のものではないことを明らかにする。主イエスは、単なる人の模範者でも愛の人でもない。聖なる神御自身であり、三位一体の第二位格である。永遠の御子でありながら、真の人となられ、十字架の上に御自身をささげられ、唯一完全な贖いを成し遂げられた、聖なる僕(使徒4章27,30節)である。「その道」は、永遠の御子が、居られる、ただ一つの天に向かう。それは、神の前に失われた罪人にとっては、救いの道であり、贖われた者だけが、この天の住まいに入ることができる。道と真理と命が、「その道」「その真理」「その生命」として限定される理由は、ただ、主イエス御自身が、仲保者として、天(今、昇天・着座されたキリストが居られる所)に至る道と永遠の真理と命を示されたからである。人の救いは徹頭徹尾、人の能力に帰されるものではなく、キリストのご意志と恵みの中にある。「だれも、わたしを通らずして父のもとに来る者はいない」。原語は「行く」ではなく「来る」。主イエスは、霊において御父と御子が居られる天から見た啓示を明らかにされているので、「行く」の方が、かえって矛盾し、逆方向。救いの道はただ一つ。キリストのみ。「神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとりなのです」(テモテ一2章5節)。トマスが見なかったのは、天のキリストであった。

「もしあなたがたが、わたしをよく知っていたなら、あなたがたはわたしの父をも本当によく知ったであろう。まさしく、今この時からあなたがたは彼自身をよく知り、本当に彼自身をあなたがたは見たのである。」主イエスの啓示は、既に、十字架と復活・昇天を成し遂げた者として明らかにされる。復活の日、トマスは、主イエスを見て信じた(ヨハネ20章28節)。

おわりに

孤独と苦難の中で、真の預言者エレミヤは楽しい眠りの中で、捕囚からの回復、イスラエルの繁栄を見た。それは人のあり得ないこと。しかし、主は、御自身の聖なる約束と誓いにおいて、回復を実現される。ここに、キリストの王国の始まりと終わりを見る人は幸い。



(Mynote)


※本日は機材の諸事情により、動画を録画する事が出来ませんでした。

代わりに聖書の同箇所のメッセージをアップして居ります。


二〇二五年一〇月一二日(日曜日)、今日も兄弟姉妹共に礼拝を守れる事を神様に感謝する。

(子供メッセージ)

『スコットランド教会新カテキズム』

「私達はどの様な結び付きによってキリストと一つにされて居るのですか。」

「キリストの霊に依って私達は、キリストご自身と結び合わされ、父である神様に依って、私達はしっかりと支えられて居ます。」

(公同礼拝)

『ヨハネによる福音書』(第一四章一〜七節)

『エレミヤ書』(第三一章二三〜二六節)

「『あなた方は、心を騒がせないが良い。神を信じ、また私を信じなさい。私の父の家には、住まいが沢山ある。もし無かったならば、私はそう言っておいたであろう。あなた方の為に、場所を用意しに行くのだから。そして、行って、場所の用意が出来たならば、又来て、あなた方を私の所に迎えよう。私の居る所にあなた方も居らせる為である。私がどこへ行くのか、その道はあなた方に分かって居る』。トマスはイエスに言った、『しゅよ、どこへおいでになるのか、私達には分かりません。どうしてその道が分かるでしょう』。イエスは彼に言われた、『私は道であり、真理であり、命である。誰でも私に依らないでは、父の身元に行く事は出来ない。もしあなた方が私を知って居たならば、私の父をも知ったであろう。しかし、今は父を知って居り、また既に父を見たのである』。」(『ヨハネによる福音書』第一四章一〜七節)

この箇所は先週からの学びの続き。イエス様が弟子達を始め、全ての人にクリスチャンの行き先(生き先)を教えたのか。人は常識を以てその事を「知らない・分からない」と言う。この世で見えて、触れるものに寄り頼み、信仰を持つ事は二番目になる。その「二番目」は三番目にも四番目にもなる事があり、全ては人の損得勘定…欲望が源になって居る事は想像し易い。そしてこの欲望は罪から来て居り、全ての人が生まれ持った罪人である事を証明して居る。この事はイエス様の他の善人・悪人問わず、全ての人に言える事。人として生まれ、罪が無いのはイエス様だけである。

「その道はあなた方に分かって居る」と在り、定冠詞が付けられた「特定の道」である事が分かる。この「道」とは信仰の道であり、ノンクリスチャンがノンクリスチャンとして、終世、歩む道に無い。ノンクリスチャンでもクリスチャンでも、常にクリスチャンとして道を歩める準備は出来て居るが、その信仰に態と目覚めず、意図的にその欲望から信仰を外れ、神様の教えに背き続ける人も在る。詰りこの「態と・意図的に」と言う点では、その悪の道に歩む人も「それが悪の道である事」を知って居り、背徳という言葉も在る様に、事の善悪を知った上で敢えて欲望に歩む正直もある。この事を踏まえ、十二弟子にしても、イエス様に直接従って信仰の道を歩む様に見え、その信仰から外れ、或いは信仰に薄く、人としての弱さ・罪人の内面が見えて居る。イエス様を裏切ったユダはその展開にも見えるだろうか。

だからこそ常に全ての人は、信仰に歩もうとする自分の心・正直を神様の前で、その正しい信仰の前で吟味し、更に常に「自分は今本当に正しい信仰に歩めて居るか?」を問わねば成らない。この日々の信仰に於ける精進が、神様の前で救われたいとする罪人の本来に在ろう。

そして救われる迄のその道は、人が自力で用意し、歩めるものに無い。必ず神様の御力と、聖霊の働きに依り、その事が成る。人は生まれながらの罪人で、その罪から正義も生まれ、その正義は罪人の間ながら曖昧になる。神様が人に教える正義は一貫して在り、ブレが無く、唯一正しく、変わらないものである(例えば十戒もそうであろう)。この十戒を、全ての人は、守る事が出来ない。譬え今日守れても、明日守れない事は自分が知って居る。例えば十戒を守れない事に、人の罪が現れて居る。この事をも覚え、常に神様の前で救いを求め、正しく信仰に在る「その道」を歩める様に、神様とイエス様に祈り願う事が必要になる。イエス様は先駆けて、その道を全ての人に教えた。その道を信仰に於いて歩める様に。


【日本キリスト改革派 男山教会】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【最寄りの教会検索用】

https://www.rcj.gr.jp/



Table Café~


榎本保郎牧師 ミニ説教9 「信仰の足どり 確かに」

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=9QAStJLYjiA


「悔い改めの心—ネヘミヤの祈り 16.ネヘミア記」

THE DAILY with Arthur Hollands 2023/07/14

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=s7tOTuCR9-U


ハーベスト・タイム・ミニストリーズ

https://www.youtube.com/@HarvestTimeMin?app=desktop


汚れなき悪戯(マルセリーノの歌)/ Marcelino Pan y Vino

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=jaEFj0iY_9Q


星のカケラ

https://www.youtube.com/@星のカケラ-v5x/videos

(お暇な時にぜひどうぞ(^^♪)

少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。

サクッと読める幻想小説です(^^♪

お暇な時にでもぜひどうぞ♬


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