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生き方を忘れてきた私たちは  作者: 奈良ひさぎ
第一章 降りしきる悪意の中で
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四、彼女の秘密

 船の上では、私用のスマホは一切触れない。任務が終わった後、司令部に戻ってきて個人用のロッカーを開けて初めて、この数ヶ月間何があったのかを知るのだ。今回は一ヶ月半、短い方と言える。実家の両親から大事な連絡が来ていたりするので、休暇に入った際にはすぐに確認するようにしている。


「ん?」


 そんないつもの作業を始めると、克矢から連絡が入っていることにすぐに気づいた。さかのぼると、最初はLIMEで「明日話せるか」などと送ってきていたが、俺が任務に出たことを察したのか、「帰ってきたら電話寄越せ」に変わり、克矢からの連絡はそこで途切れていた。


「あの子のことか……?」


 柏さんのことはもちろん、少しは心配だった。上手くやれているかどうかもそうだが、ある日突然嫌気が差してどこかに逃げてしまうことだってあるかもしれない。克矢から何か言われるとすれば、彼女のことだろうとは思った。だが、肝心の彼女は何の脈絡もなくブサカワなスタンプを送ってきたり、例の洋菓子屋の新作スイーツが出たことを知らせてきたり、俺が任務中なのを知ってか知らずか健気に連絡してきていた。さすがに任務中なのを察したか、最後の反応は三日前になっていたが、それも三白眼のウサギが「?」と首をかしげてこちらを見ているスタンプだった。俺と同じ目つきのキャラクターを見つけてわざわざ買ったのだとしたら、俺を意識しすぎというか何というか。


「おう、玲央。帰ったか」

「話ってなんだ」


 早速仕事終わりの克矢に会いに行くと、そのまま個室居酒屋に連行された。お互い生ビールを注文して、ふと店内の賑やかさで金曜日であることに気づかされる。海上自衛隊が船の上で金曜日にカレーを食べるのはもはや有名な話だが、逆に船を降りてカレーを食べない状態が続くと、金曜日であることを認識できなくなる。曜日感覚をカレーに頼りすぎているのかもしれない、気をつけなければ。


「なあ、玲央。前も聞いたかもしれないが……あの子、柏真鈴は何者なんだ」

「何者って、前も言っただろ。ただの隣人だって、それ以上でもそれ以下でも」

「彼女には戸籍がなかった」


 俺の思考が固まった。想像の斜め上のことを言われた。俺からは何も返せず、黙って続きを聞くことしかできなかった。


「親父が彼女に健康診断を受けさせようとしたんだ。そしたらマイナンバーカードも保険証もないって。両親の話もしたがらないし、どこから越してきたかも……。何も話してくれないのは困るって問い詰めたら、戸籍がないから何もできないって、それだけ聞いたんだ」

「戸籍がないって、それは」

「柏真鈴って人間は存在しないことになってる。そもそも、この名前、本人から聞いたのか」

「……ああ」

「名前すら嘘ついてるって可能性もある。本当の名前かどうか、証明する手立てもないからな」

「……俺には、どうしようもないぞ」

「分かってるよ。めんどくさいことになったなって、お前に愚痴りたかっただけだ」


 誰が悪いわけでもない。これだけ社会福祉の整った日本という国で、わざわざ戸籍を持たないでいることによるメリットなんてほとんどない、はずだ。つまり何かしら事情があるはずで、そう考えると何か裏がありそうな普段の態度にも納得がいく。


「……どうする、どっかの国から亡命してきたんだとしたら」

「だとしたら、匿う」

「あの子が犯罪者だったとしてもか」

「犯罪者なんて可能性が、あるか?」

「ゼロじゃないはずだ。そもそも閉鎖的な独裁国家じゃ、国外逃亡すること自体が犯罪だって聞いたことがあるからな」


 ふいに、克矢がセカンドバッグからチャック付きの透明な袋を取り出した。警察の鑑識のような仕草で、その袋から中身を取り出す。見覚えがあると思ったら、彼女とお茶をした時に一瞬見えた、夜空色をしたカードだった。


「それは?」

「彼女がトイレに行ってる隙に、拝借した。仕事中雑談してる時に、このカードを持ってるのは見つけてた」

「そんなことしていいのか」

「悪いことしてる自覚はある。次にあの子が出社した時にでも、返すつもりだ。お前に見せることさえできれば、俺の目的は果たされるからな」

「そのカードがどこのか、知ってるのか」

「……これはもし正体を知ってる人がいたらって考えて、普通は隠しておくカードだ。間違っても、財布の見える位置に挟んだりなんかしない」


 克矢は知っているのだ。どうして知っているのかは後で聞くとして、先にそのカードがどういうものか、克矢の言葉の続きを聞く。


「これは、星芒市(せいぼうし)における身分証明書……個人情報が書き込まれたIDカードだ」

「せいぼうし?」


 すかさず克矢がスマホのメモ帳で「星芒市」と打ち込み、俺に見せてきた。どうやら都市の名前らしい。


「つくばの北東あたりにあるらしい街の名前だ。国土地理院の地図とか、公式には記載されてない」

「何か、公にはできないことをやってるのか」

「詳しくは知らないが……人体実験をやってるってのは、聞いたことがある」

「人体実験?」

「しっ」


 思わず俺は大きな声で聞き返してしまった。百年や二百年前の話ならともかく、そんなことがあり得るのか。倫理とか法律とか、縛るものが山ほどありそうなものなのに。


「……超能力って、聞いたことあるか。あれの研究が進んでたってのが公にされて、すぐ禁止されたらしいけど、今も秘密裏に研究が続けられてるって噂だ」

「ロステクになったんじゃなかったのか」

「空を飛べるようになるとか、自在に火を出せるようになるとか、普通の科学じゃ説明できない、夢のような話なんだぜ? そうそう簡単に歴史に埋もれたりしないだろ」


 克矢の言う通りではあるのだが、やはりひっそりと研究が続けられていると聞いても、いまいち現実味が感じられない。それは誰からもそんな話を欠片すら聞いたことがないから、だろうか。


「というか、そんな話、なんで……」




「返して、ください……っ」




 聞き慣れた、それでいてこれまで聞いたことがないほど大きな声。酔っ払いたちの騒ぎ立てる声で俺と克矢の声ですら通りにくかった店内のボリュームが、少し小さくなった気がした。


「柏、さ……」


 ちょうど克矢が持っていたカードを奪い返し、彼女はぎりっと克矢をにらんでから、すぐに店から出ていった。若草色のロングスカートからのぞくほっそりとした足が、ぱたぱたと悲しげな音を立てていた。


「……すまん、玲央、これは」

「今日はありがとうな。……楽しかった」


 まるで今生の別れのような言葉をギリギリ吐いて、俺は金を置いて店から出る。彼女を追うのだ。あのまま放っておくわけにはいかないと、本能で思ったから。

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