第10話 黒鉄の影
黒フードの女の言葉は、重く、確信に満ちていた。
「黒鉄の王……?」
カイが問い返すと、彼女はゆっくりフードを外した。
栗色の髪が肩まで落ち、鋭い目が真っすぐこちらを射抜く。
「名はイレーネ。王都から来た諜報員だ。この街で黒鉄の王の動きを探っている」
「諜報員……ね」
リュナが警戒を解かないまま、半歩前に出る。
「その印章と黒鉄の王がどう関係してる?」
「印章は王都の軍備管理局の正式な証。これがあれば、軍の物資や兵を動かす命令書に偽装できる。黒鉄の王の手に渡れば、街ごと制圧するのは容易い」
アルヴァがわずかに光を揺らす。
「……つまり、あの影市場は黒鉄の王の手の内にあるということか」
「その可能性は高い。少なくとも、この街には彼の手先がいる」
イレーネは周囲を確認し、声を落とす。
「今夜、南区の倉庫で再び動きがある。印章はすでに移されたが、その先がどこかはわからない。協力してくれるなら、情報を共有する」
「協力の見返りは?」
「黒鉄の王の計画を阻止すれば、この街も、あんたたちの首も守られる」
リュナがカイを見やる。
「どうする? 面倒ごとに首を突っ込むと、今の生活が吹き飛ぶぜ」
カイは少しの間、視線を落とした。
思い浮かんだのは、検問所で見た冤罪の奴隷、そして影市場に並んでいた精霊の卵。
もし黒鉄の王がこれらを利用すれば、多くの命が奪われるだろう。
「……やる」
短く答えると、リュナは片眉を上げ、イレーネは小さく頷いた。
夜までの時間、カイたちは街の外れの小さな酒場に身を潜めた。
木製の扉の隙間から漏れる酒と煙草の匂い、奥の席ではカード賭博に興じる男たちの笑い声が響く。
リュナは机に肘をつき、酒瓶を傾けた。
「なあ、本気でやる気か?」
「後戻りはできない。俺は……見て見ぬふりはしたくない」
「……やっぱり変わってるな」
そう呟くリュナの横で、アルヴァが窓の外に視線を向けた。
「尾行が一人。南区で見た兵士だ」
「バレてるのか」
「いや、確認している段階だろう」
夜が更け、月が高く昇る。
イレーネが現れ、テーブルに一枚の紙を置いた。
「倉庫の見取り図だ。裏口から入れば、見張りは二人だけ。だが、中には……」
「中には?」
「黒鉄の王の私兵がいる。彼らは精霊契約者殺しとして知られている」
カイはその言葉に、無意識にアルヴァの方を見た。
精霊は落ち着いた様子で言う。
「契約者が死ねば、私は三日で消える……忘れるな」
「忘れないさ。だから、絶対に守る」
街の灯りを背に、三人は南区へと向かった。
路地は夜になるとさらに暗く、酔客や物乞いの姿も消えている。
やがて倉庫が見えた。昼間と同じ煉瓦の壁だが、周囲の空気は昼とは別物だった。
重い扉の前に立つ二人の見張りが、こちらを睨む。
イレーネが小さく合図し、路地の影に身を潜める。
「裏口はこっちだ」
彼女が先導し、狭い通路を抜ける。奥には鉄製の扉があり、鍵穴が光っていた。
リュナが短剣を取り出し、器用に鍵を外す。
静かに扉を押し開けると、油と鉄の匂いが鼻を突いた。
中は暗く、木箱が積まれた迷路のようだ。
イレーネが指先で前方を示す。
その瞬間、物陰から複数の気配が立ち上がった。
「……待っていたぞ」
低い声が響く。影から現れたのは、黒い鎧を着た三人の男たち。その胸には、黒鉄の王の紋章が刻まれていた。