第9話 南区の倉庫
街の南区は、北側の華やかな大通りとは別世界だった。
石畳は割れ、路地には溜まった水が濁った色をしている。壁には落書きや古びた張り紙が貼られ、道端には酔い潰れた男が座り込んでいた。
人通りはあるが、視線は鋭く、誰もが他人との距離を測っている。
「ここが南区か……」
「観光する場所じゃない。足元と背中に気を配れ」
リュナは短く釘を刺す。
アルヴァは静かに漂いながら周囲を観察していたが、その光はわずかに抑えられていた。
「精霊の光は目立つ。今は控えておけ」
「了解した」
依頼主から渡された地図を頼りに、三人は南区の奥へと進む。
曲がりくねった路地の先に、赤茶けた煉瓦の倉庫が見えた。
扉の前には二人の男が立っている。片方は腕を組み、もう片方は壁にもたれて煙草のようなものを吸っていた。
「ここが目的地だ」
カイが歩み寄ると、男の一人が顎をしゃくった。
「何の用だ?」
「依頼された品を届けに来た」
包みを見せると、男の目が細くなる。
「中を見せろ」
「依頼主からは封を解くなと言われている」
沈黙が落ちる。もう一人の男が煙を吐き、短く笑った。
「……まぁいい。中に入れ」
倉庫の中は薄暗く、木箱や樽が所狭しと積まれていた。埃の匂いと、かすかな油の匂いが混じる。
奥の机に座っていた男が顔を上げた。白髪混じりの短髪、片目に傷跡がある。
「お前が届け人か」
「ああ。依頼の品だ」
カイが包みを机に置くと、男は慎重に布を解いた。中の金色の印章が露わになる。
「……間違いない。よく運んでくれた」
男の声は低く、しかしどこか満足げだった。
その視線が一瞬だけアルヴァに向かう。
「珍しいな、精霊契約者とは」
「興味本位で話しかける相手じゃない」
リュナが軽く牽制する。男は口元をわずかに歪めた。
報酬の銀貨五枚を受け取り、カイは倉庫を出ようとした。
だが背後から、片目の男の声が飛ぶ。
「ひとつ忠告だ。あの印章は、王都で使われる正式な証だ。持っているだけで首が飛ぶこともある」
カイは足を止め、振り返った。
「そんな危険なものを、なぜ影市場で……」
「答えを知りたきゃ、影市場に戻ってみろ。だが、命の保証はできん」
倉庫を出ると、外の空気が重く感じた。
「……嫌な匂いがするな」
アルヴァの声は低い。
「魔力の残滓か?」
「いや、人の悪意だ。あの印章は、ただの証ではない」
南区を抜け、大通りに戻る道すがら、背後から足音がついてきた。
振り返ると、黒いフードの人物がまた立っていた。
前回影市場で見たあの姿──今回は距離が近い。
「ずっとつけてきてるな」
「放っておくか?」
リュナの手は剣にかかっていたが、カイは首を振った。
「まずは話を聞く」
足を止めると、フードの人物も立ち止まった。
風が吹き、フードがわずかにずれる。そこから覗いたのは、鋭い目を持つ若い女の顔だった。
「……あんた、あの印章を運んだな」
「知っているのか?」
「その印章は、黒鉄の王の手に渡れば、この街は終わる」
その言葉は、南区の埃っぽい空気よりも重く、胸の奥に沈み込んだ。