第8話 影市場
城門をくぐった瞬間、耳に飛び込んできたのは喧騒だった。
露店の呼び込み、行き交う馬車の車輪の音、客引きの笑い声──街の中心部まで見渡せる大通りは、人と物と匂いで溢れていた。
香辛料の刺激的な香りと焼き立てのパンの匂いが混ざり、カイの鼻をくすぐる。
「賑やかだな……」
「表向きは、ね」
リュナが肩をすくめる。
「表向き?」
「この街には裏がある。商隊もよく利用するが、あまり外には言わない。……影市場って聞いたことあるか?」
カイは首を振った。アルヴァもわずかに光を揺らす。
「影市場は合法と非合法の境界みたいな場所だ。普通の市場じゃ手に入らない品物や、売り買いできないはずのものが並ぶ」
リュナの声は周囲に聞こえない程度に抑えられていた。
商隊は街の中央広場を抜け、宿屋兼倉庫に荷を下ろす。護衛たちは報酬の一部を受け取り、奴隷たちはそのまま別の建物へ連れて行かれた。
カイはダリオンの姿を探したが、もう見えなかった。
「さて……あんた、これからどうする?」
リュナが問いかける。
「影市場、見てみたい」
「やっぱりそう言うと思った。じゃあ案内する。ただし、目立つ行動はするなよ。あそこは街の衛兵も黙認してるが、揉め事には敏感だ」
二人と一体の精霊は、大通りを外れ、徐々に狭く暗い路地へ入っていく。
石畳は剥がれ、壁には古い布や板が打ち付けられている。水路からは湿った匂いが漂い、遠くで金属を叩く音が響く。
やがて、半ば崩れかけた門のような場所に辿り着いた。
そこを抜けると、広場ほどの広さの空間が広がっていた。
色褪せた天幕の下には、宝飾品、怪しい薬草、魔物の部位、精霊の契約具らしき物まで並んでいる。
「……なるほど、ここが影市場か」
カイの視線を引いたのは、奥に並べられた黒い木箱だった。
蓋の隙間から淡い光が漏れている。
「アルヴァ、あれは?」
「……精霊の卵だ。契約前の状態だが、こんな形で売られるとはな」
その時、背後から声がした。
「お兄さん、何か探し物かい?」
振り向くと、痩せた中年の男が立っていた。深い皺の間から覗く目は鋭く、口元には商売人の笑みが貼り付いている。
「探しているというより、見て回ってるだけだ」
「そうかい。じゃあ、ちょっとした仕事に興味はないか?」
男が懐から小さな包みを取り出す。布を解くと、中には金色の印章があった。
「これを南区の倉庫まで運んでほしい。報酬は銀貨五枚」
リュナが目を細める。
「何か裏がありそうだな」
「裏なんてないさ。ただ、この品を堂々と運ぶと面倒が起きる。それだけだ」
カイはアルヴァに視線を送る。
「……魔力の匂いがする。普通の印章ではない」
精霊の声は冷静だったが、その響きには警戒が混じっていた。
「どうする?」
リュナが短く問う。
カイはしばし考え、包みを受け取った。
「引き受ける。ただし、渡す相手の名前と特徴を教えてくれ」
男は笑い、詳細を耳打ちして去っていった。
包みを懐にしまい、カイは影市場を後にする。
路地を抜けた瞬間、背後で小さな足音がした。
振り返ると、影市場の入口に黒いフードの人物が立ち、じっとこちらを見ていた。
顔は見えない。だが、その視線には確かな敵意が宿っていた。