第6話 森を抜けて
魔獣の死骸は、湿った黒土の上で冷たく横たわっていた。
血の匂いが重く漂い、密林の空気をさらに粘りつかせる。戦いを終えたばかりの商隊は、息を整えながら足を止めていた。
「大したもんだ、新入り」
リュナが口元を緩めて言う。
「そっちこそ。豪快な剣さばきだった」
「ま、あたしは正面突破型だからな」
会話を交わす二人の横で、アルヴァが倒れた魔獣を一瞥し、小さく指を振る。光の粒が舞い、スキル「棘射」がカイのアーカイブに追加された。
「……また一つ増えたな」
「だが忘れるな。記録枠には限りがある。取捨選択は慎重に」
精霊らしい落ち着いた口調が、戦いの余韻を冷ます。
護衛の男が、荷車の点検を終えてこちらへ歩み寄る。
「これ以上時間はかけられねぇ。すぐに進むぞ。森の奥にはまだ何がいるかわからん」
その声には先ほどの苛立ちはなく、わずかな安堵が混じっていた。
商隊は再び歩みを進めた。
湿った落ち葉を踏む音、鎖のかすかな金属音、荷車の軋み。
密林の奥深くからは、時折未知の生物の鳴き声が響く。カイは剣の柄に手を置きながら周囲を警戒した。
「カイ、疲れは?」
リュナが並んで歩きながら尋ねる。
「多少はあるが、動ける」
「ならいい。……あたしは、あんたが本当に森で目覚めただけの素人か、まだ疑ってる」
軽口のようで、目は真剣だ。
「疑ってくれて構わない。俺はまだこの世界じゃ新参者だ」
「素直だな。そういう奴は嫌いじゃない」
アルヴァは二人の会話を聞きながら、淡い光を保って浮遊している。
「この森を抜ければ、街がある。だが、そこでも安全とは限らない」
「どういう意味だ?」
「人の街には、人の争いがある。お前が望まぬ形で、剣を抜くこともあるだろう」
その言葉に、カイは前世での出来事を一瞬思い出す。理不尽な要求や、不当な扱い──立場を守るために耐えた時間。
この世界で同じことがあれば、今度は黙ってはいないと心に決める。
やがて森の景色が少しずつ変わってきた。
頭上の木々が低くなり、陽光が広がる。湿気は薄れ、風が頬を撫でた。
「……抜けるぞ」
リュナの声に、商隊の緊張がわずかに緩む。奴隷たちも眩しそうに目を細めた。
森を抜けた先には、緩やかな丘陵と遠くに聳える城壁が見えた。
街──目的地がそこにあった。
しかし、カイの視線は街の手前に立つ検問所に向けられる。武装した兵士たちが行き交い、荷車の中身を一つ一つ確認している。
「あそこを通るのか?」
「通らないと街には入れない。……でも、奴らは時々、余計なことまで詮索する」
リュナの表情が曇る。カイは鎖で繋がれた奴隷たちを見た。
もし彼らの中に冤罪があった場合、この検問所が最後の関門になるかもしれない。
商隊は丘を下り、検問所へ近づいていく。
カイはアルヴァに小声で尋ねた。
「お前は人の嘘を見抜けるか?」
「完全ではないが、気配の乱れや魔力の揺らぎは感じ取れる」
「なら……必要な時は頼む」
アルヴァは小さく頷き、風のように姿を揺らめかせた。
兵士の視線がこちらに向く。
カイは剣の柄から手を離し、ゆっくりと深呼吸をした。
この街で何が待っているのか、まだ知る由もなかったが、胸の奥では確かに何かが動き出していた。