第3話 精霊の誕生
アルヴァとの契約が成立した瞬間、全身を駆け巡る風の感触が消えることなく、鼓動と同じリズムで流れ続けていた。
耳の奥では、森の奥で鳴く鳥の声や、木々の葉擦れが鮮明に聞こえる。足元の湿った土の冷たさ、樹皮のざらつきまでが手のひらに伝わってくる。
目の前では、棘を背負った二体目の魔獣が低く身を構えていた。
口元から白い蒸気が立ち上り、地面に落ちるたびに黒土がじわりと濡れる。その瞳は赤く光り、明らかに先ほどの個体よりも警戒心と殺意を強めていた。
「アルヴァ、やれるか?」
「契約は済んだ。あとはお前が私の力をどう使うかだ」
声は穏やかだが、内に秘めた鋭さがある。
カイは深く息を吸い、アーカイブ画面を呼び出す。そこには、さっき記録した魔獣の「爪撃」と、新たに追加された「風刃」のアイコンが並んでいた。
アルヴァの力は、自動的にアーカイブに組み込まれるらしい。
魔獣が飛びかかる。
カイは爪撃の軌道を思い描きながら、同時に風刃を重ねた。剣を振り抜いた瞬間、透明な刃が空を裂き、魔獣の前脚を斜めに切り裂く。
鮮血と共に、棘がいくつも地面に落ちた。
「っ……!」
だが魔獣は怯まず、逆脚で反撃。
カイは咄嗟に身を捻り、肩口をかすめられる。鋭い痛みが走るが、致命傷ではない。
「踏み込みが浅い。次は腰を落とせ」
アルヴァの声が頭の中に響く。
まるで剣術指南を受けているような的確さだった。
カイは言われた通りに構え直し、次の一撃で獣の首筋を捉えた。
剣と風が同時に通過し、魔獣は呻き声を上げて崩れ落ちる。
静寂が訪れる。
森の奥で鳴いていた鳥の声が戻り、湿った風が頬を撫でた。
「……助かった」
「お前が決めたことだ。私はただ力を貸しただけだ」
アルヴァはふわりと宙に浮かび、淡い光の粒子を撒きながら近づいてきた。
その姿は人型だが、輪郭は常に揺らめき、目を凝らせば背後の森が透けて見える。
「一つ、覚えておけ。精霊は日々成長する。お前が戦い、経験を積めば、私の魔法も形を変える」
「成長する……?」
「そうだ。だが同時に、契約期限は短い。六十日。それを過ぎれば私は一度消える」
カイは黙り込んだ。
この世界に来てまだ数時間も経っていない。それなのに、自分の背中を預けられる存在が、すでに別れの時を前提としている。
胸の奥に、得体の知れない不安が広がった。
「……新月にしか精霊は生まれないんだよな?」
「森羅万象から生まれる。場所も時も選ばないが、その確率は全世界で一パーセントにも満たない。私のような存在は、そもそも稀だ」
アルヴァはそう告げると、ふわりと地面に降り立ち、倒れた魔獣の棘を指先で撫でた。
触れた部分から淡い光が立ち上り、カイのステータス画面に「棘射」のスキルが新たに追加された。
「今のは……?」
「私が媒介すれば、お前のアーカイブは物理だけでなく、性質そのものも記録できる。お前が生き延びるためには、これを活用することだ」
その説明を聞きながら、カイは深く息を吐いた。
自分の持つ「アーカイブの瞳」は、この世界の常識では異質で、精霊の存在によってさらに拡張される。
しかし、その力は期限付きだ。
六十日後にアルヴァが消えれば、この力の一部も失われるのかもしれない。
「……なら、六十日間で、やれるだけやるしかないな」
呟いた声は、密林の湿気に溶けて消えた。
その時、遠くから複数の足音と金属の音が近づいてきた。
葉の隙間から差し込む光が一瞬遮られ、人影が現れる。
「……お前たちは?」
先頭に立つのは、赤い髪をひとつに束ねた女剣士だった。
鋭い眼光でカイとアルヴァを見据え、腰の剣に手をかける。
後ろには数人の男たちが控え、その中には鎖で繋がれた奴隷らしき者も混じっていた。
アルヴァが低く囁く。
「人間同士の争い……お前の世界でもあったろう?」
カイはわずかに眉をひそめ、剣を握り直した。
森を抜け出すための旅は、どうやら一筋縄ではいかないらしい。