第1話 落下者
――眩しい。
次の瞬間、足元が消え、全身が空気の海に投げ出された。
耳を切り裂くような風の音、内臓が浮き上がるような感覚。重力の奔流に飲み込まれ、息が詰まる。
目を開けると、そこは見知らぬ空だった。眼下に広がるのは、濃い緑の波のような密林。陽光は厚い葉の層に遮られ、ところどころに光の柱を落としている。湿った空気はねっとりと肌にまとわりつき、遠くから不気味な鳥の鳴き声と虫の羽音が混じり合う。
背中に衝撃。地面を転がり、肺から息が漏れる。
「……痛っ……ここは……?」
手をついた場所は柔らかい黒土で、腐葉土の匂いが鼻をつく。周囲には人の手が入っていない原生林。幹の太い樹木が何十本も林立し、その間をツタが絡みついていた。足元から這い上がる湿気と熱気に、全身の汗腺が一斉に開くのを感じる。
――これは夢か、それとも。
頭の奥底から、断片的な記憶が浮かび上がった。
夜のオフィス、パソコン画面に映る未完成のコード。机の片隅に置いた冷めた缶コーヒー。終電間際の駅の階段を降りているとき、突然視界が反転したあの瞬間。
カイ・アマノ、二十八歳。日本でごく普通に、少し忙しすぎる日常を送っていたはずだった。
だが今、聞こえてくるのは見知らぬ獣の咆哮。低く響くそれは、喉の奥に石を詰め込んだような重さと荒々しさを持っている。
風が一瞬止まり、森の奥で金属がぶつかる鋭い音がした。
反射的に体が動く。枝をかき分け、足元の湿った土を蹴りながら音の方向へ向かう。
小さな開けた場所に出た瞬間、息を呑んだ。
一人の剣士が、巨大な四足の魔獣に押し倒されていた。
全身を覆う漆黒の毛並み、背に沿って伸びる鋭い棘。血走った黄色い瞳が獲物を射抜く。
剣士の鎧は裂け、肩から脇腹にかけて深い傷が走っていた。地面には鮮やかな赤が広がり、土と混じって泥のようになっている。
「やめろ!」
思わず声が出た。
剣士がゆっくりと顔を上げ、カイと目が合う。その瞬間――剣士の瞳から光があふれ出し、流星のようにカイの視界へ飛び込んできた。
脳裏に見知らぬ文字が浮かび上がる。
《スキル獲得:アーカイブの瞳》
半透明の板のような画面が、視界の端に重なる。
そこには「名前」「レベル」「能力値」が並び、ゲームでしか見たことのないステータス表示があった。
「……なんだ、これ……?」
驚きで思考が止まる。その間にも、魔獣は剣士を放り出し、カイに狙いを定めた。
湿った地面を四本の脚で蹴り、筋肉が盛り上がる。棘の一本一本が空気を裂き、殺気が肌を刺した。
逃げるか、戦うか。
だが、このまま背を向ければ確実に追い付かれる。
視界の隅に落ちていた剣を掴み、構える。重さは腕に食い込み、握力が試される。
「……やるしかない……!」
胸の奥で、奇妙なざわめきが広がった。
空気の流れ、葉の揺れ、土の振動――すべてがひとつの脈動として感じられる。
それはまるで、森羅万象そのものがこちらを見つめているような感覚だった。
魔獣が吠えた。
次の瞬間、カイは前に踏み込み、剣を振り下ろした――。