逃げろ、貞盛(過去編) 4
~十年前~
野盗が振り下ろした鋤のような得物が、貞盛を襲った。
貞盛は太刀で、辛うじてそれを打ち払いつつ、さっと身を躱す。
しかし、地は傾斜になっており、ふらりと身が傾いた。
別の得物が襲い掛かる。
(間に合わない)
貞盛は目を閉じて、死を覚悟した。
しかし、何事も起きない。
恐る恐る目を開けると、目の前で男が血を流して頽れた。
「貞盛、大事ないか」
大柄な男が手を差し伸べてきた。
「すまぬ将門、助かった」
その手を支えにして、立ち上がる。
貞盛と将門、好立の三人は、二十人ばかりの屈強そうな山賊に囲まれていた。
東山道のいたるところを根拠地とし、貢物を運ぶ人夫や商人を襲っては荷駄を奪う野盗共である。
「どうする貞盛、このままでは勝ち目はないぞ。何かここを逃れる術はないか」
将門は、柄にもなく弱音を吐いた。
いくら喧嘩に負けたことがない将門とはいえ、人を襲うことに慣れた屈強な大人達を相手に、苦戦を強いられていたのである。
「ないこともない。だが、三人全員が生き残れる保証もない」
貞盛は、言葉尻を小さくしながら言った。
三人のうち、二人が時を稼いでいる間に、残りの一人が囲いを抜け、先ほど通った碓氷の関にいる役人に助けを求める、という案であった。
その策を将門に伝えている間に、野盗が貞盛に襲い掛かってきた。
「金目の物と食料を渡せ」
相手の得物を受けようと貞盛が構えた時、びゅん、と矢が飛んできて、野党の腕に突き立った。
好立の矢だ。
すかさず貞盛は、唸っている野盗の右腕を切落す。
山間に絶叫が木霊した。
しかし、矢を放った直後の好立に、二人の新手が飛び掛かった。
「死ね」
罵声を浴びせながら得物を振り下ろす賊と好立の間に、素早く身を割り込ませた将門が、一刀のもと、野盗二人の腹部を切り裂いた。
「いまだ。貞盛、走れ!お前が戻るまで絶対に死なない」
将門は、振り返り様に叫んだ。
貞盛は一瞬、躊躇した。
碓氷の関まで助けを求めて、再び戻ってくるまでに二人が死ねば、己は卑怯者になりはしないか。
一生二人の死を悔いながら、臆病者として故郷の家族に誹りを受け続けることになりはしないか。
しかし、二人の幼馴染が、たかが賊相手に討たれるとも思えなかった。
将門は己の逡巡を察したのか、優しげな微笑みを浮かべながら頷いた。
貞盛は意を決すると、一目散にもと来た道へと駆け出す。
「逃がすか!」
屈強そうな男が、貞盛の後を追ってきた。
将門と好立は、ほかの相手で手いっぱいになっており、貞盛を追う男を引き留める余裕はなさそうだった。
男は傍らに落ちていた太い幹を走りながら拾うと、こちらにめがけて投げつけてきた。
貞盛は避けようとしたが間に合わず、足に衝撃を受けた。
激しく転倒。
男が覆いかぶさってくると、手にした鍬を己の顔面目掛けて振り下ろそうとした。
「貞盛!」
将門の悲痛な叫びが聞こえた。
刃物が目の前に迫る。
次の瞬間、相手の分厚い胸板から太刀が鈍い音を立てて突き出した。
「鎮守府将軍御子息の御一行様とはお前たちのことか」
胸を貫かれた賊の背後で、長髪で耳飾りの付けた端正な顔立ちの男が、悠然と馬に跨っていた。
さっと太刀を男から引き抜く。
血飛沫。
全身が朱に染まるのも気にとめず、貞盛は馬上の男を呆然と眺めていた。
「誰だ、お前は」
突然現れた、己たちとそれほど年の変わらない十七、八の男に、少し離れたところで賊と対峙している将門が尋ねた。
「他田真樹っつうもんだ。この峠を越えた先の小県郡の郡司をしている。常陸大掾、平国香殿が報せを送ってきてな。上京する倅たちを何卒頼む、といってよこしてきた。そろそろ峠を越す時分かと思って迎えに来てみれば、あろうことか賊に襲われてるじゃないの」
真樹と名乗った男は、幼稚な笑みを浮かべながら周囲を見回した。
野盗たちは、突然現れた男にたじろいでいる様子であった。
「しかし、よく見るとこの賊共、俺の領地の民ではないか。殺すのは忍びない」
貞盛たちを襲った賊は、真樹が治める小県郡の百姓たちだという。
得物が農具であることに、いまさらながら、貞盛は得心した。
「ちょうど貢馬を都へ運ぶ人夫を探していたのだが……」
真樹は首を傾げ、考える素振りをしてから続けた。
「よし、こうしよう。そこの体躯のよい平の御子息、だよな。ここにいる賊の半分を倒すことができれば、残りの半分は俺が倒してやる。代わりに京へ貢馬を運ぶ手伝いをしろ」
「突然出てきて、何勝手なことを言いやがる」
将門は、急に現れて唐突な物言いをする真樹に怒鳴った。
「できぬならば致し方ない。お前ら三人を殺し、この者らに金品を与えて頼むとする」
真樹は切っ先を貞盛に向けた。
「小県の郡司様よお。助けてくれるというが、お前こそ賊の半数も倒せるのかよ。試しにやってみろよ。その前に賊と間違えて、俺がお前を殺すかもしれねえがな」
そう言うと、将門は前に立っていた野盗の頭を真っ二つに叩き割った。
返す刀で、馬上の真樹めがけて走り出す。
「上等」
真樹は向かってくる将門めがけて、馬を駆け出す。
二人がすれ違う。
将門が放った太刀の軌道を躱そうとした真樹は、馬上で態勢を保つことができず、ぱっと馬から転げ落ちる。
将門と真樹は、互いに振り返ると得物を構え直した。
その間、仲間を殺された賊が徒党を組んで、好立と貞盛、それに睨み合う将門と真樹に一斉に襲い掛かってきた。
乱闘。
将門と真樹が鍔迫り合いをしているところへ飛び掛かっていく賊たちは、次から次へと二人に薙ぎ払われていく。
貞盛と好立も、自身の身を守るために必死で戦った。
血が飛び交い、金属音が飛び交い、悲鳴が飛び交った。
気が付くと、誰もその場に立っている者はいなかった。
荒い四つの息遣いだけが、静かな山中に響いている。
「お前が倒したのは六人か……。なかなか……強いな」
「いや、……七人だ。お前こそ、やるな」
「お前、名は何と言うのだ」
「平将門。真樹といったな。上京するついでだ。都まで貢馬の護衛を引き受けてやるよ。その代わり、お前の領地で少しばかり逗留させてくれ」
将門は、視線を貞盛に向けながら言った。
戦闘の興奮のためか、いままで気に留めていなかったが、どうやら己の負った傷は外見からも深く見えるらしい。
貞盛は上体を起こすと、足と腕に負った己の傷をあらためた。
真樹も、将門の意を汲んだように頷くと、
「貢馬の運搬は十日後だ。それまでに治せ」
真樹は衣服についた小枝を払い落しながら、立ち上がった。
傷の痛みに耐えつつ、貞盛も息を整えて立ち上がる。
あたりには二十の屍が、無造作に転がっていた。
「この者たちは真樹殿の郡の民と言っていたな。なぜ賊などをはたらく」
「朝廷の課す税が重すぎるのよ。それに、ここ数年は飢饉が続いた。植えた稲もまともに実らない。やっと収穫しても納めねばならない租が多い。そこでほかの村を襲う」
真樹は貞盛に歩み寄りつつ、己を責めるような苦い表情を浮かべながら、言葉を続けた。
「すると、盗まれた者は復讐を目論み、諍いが起きる。争いが起き、人が死ぬ。農作物を育てる者がいなくなり、食う物に困る。盗みを犯す。その連鎖が絶えない」
真樹は言いつつ、貞盛の傷を負っていない方の腕をつかむと肩に回した。
貞盛は足の傷を庇いながら、真樹に礼を述べつつ体重を預けた。
「これを解決する術はないものか」
真樹は好立に馬を曳いてきてほしい旨を伝えると、貞盛とともにゆっくりと山道を歩み始めた。
将門と馬を曳く好立が後ろに続いた。
「もう日が暮れる。ここから遠くないところに館がある。そこで今夜は休むといい」
峠道を登りきると、駅があった。
三人はそこで馬を借りることにした。
森を出ると、青い稲が晩夏の夕日に映え渡っていた。
これで食うに困るというから、よほど税が重いのではないのか。
馬の背から伝わる振動で傷が痛むのを堪えながら、貞盛は思った。
一刻も走っただろうか。
竪穴式の住居が並ぶ中、一際大きな屋敷が見えてきた。
海野城と呼ばれる、滋野氏の館だという。
およそ百年前、小県郡が信濃国府だった頃は、真樹の祖先である他田氏が国司を務めてきた。
しかし、国府がここより西にある筑摩郡に移ると、国司は滋野氏が代々継ぐこととなった。
その滋野氏の分家が牧の経営を行うため、小県郡の海野という地に移り住んできたらしい。
海野城は、滋野氏の分家である滋野恒成の館であった。
周囲の豪族からは、尊敬と親しみを込めて、善淵王と呼ばれているらしい。
善淵王は、真樹に連れられてきた貞盛たちを丁重に迎えた。
「これは、真樹殿。本日はいかがいたした」
「夜分遅くにすまない。実は、常陸大掾である平国香殿の願いで、官職を得るために上京する御子息の貞盛殿とその一行をどうかよしなにと、頼まれていた。そこで迎えに出向くと、賊共に襲われていたという次第だ」
真樹は愉快そうに、これまでのいきさつを語った。
「故に皆さま、血と泥で汚れていらっしゃるのですね。ささ、今夜はここにお泊りになるがよろしい」
善淵王は、四人を屈託ない笑顔で館の中へと招じた。