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逃げろ、貞盛 2


 一里も走っていないだろう。

 まだ追手が探索の手を緩めていないのが、山腹からも見て取れた。


「幸俊、従者は連れてきたか」


 貞盛は坂を必死に駆け上る馬の背にしがみつつ、前を走る幸俊に尋ねた。


「二十人ほど、この先の峠道まで連れてきております。仕掛けますか」


 追手と戦をするか、という意味である。


「いや、すぐ後ろにいる追手は十数人かもしれぬが、その背後には十倍もの敵がいる。二十人では太刀打ちできぬ」


 貞盛は思案した。戦うよりも追手に探索を諦めさせる方が得策である。

 脚を緩めて横につけた幸俊に視線を向けて、貞盛はさらに言葉を続けた。

 貞盛の策を聞いた幸俊は、不敵に頷いた。



 一刻ばかりが経った。

 もうすでにあたりは暗くなっている。

 貞盛を探す追手の灯が眼下に転々としている。やはりその数、百は下らない。

 それを眼下に眺めながら貞盛は、


「いまだ」


 幸俊に合図を送った。

 幸俊はこくりと頷くと、松明に火を灯した。

 すると、山のあちこちで、ぽつりぽつりと灯が浮かび上がった。

 瞬く間にその数は増えていき、三百ばかりにもなった。まるで、碓氷峠全体がひとつの焔と化したような光景である。

 次に幸俊は、大声で、


「かかれ!」


 次の瞬間、山全体が震えるような喚声と馬蹄の音が轟き渡った。

 敵の来襲かと動揺し一斉に山を下りていく追手の様子が、松明の動きで分かった。


「さすが貞盛殿。策が当たりましたな」


「信濃の馬があるからこそ、うまくいった」


 貞盛の策はこうである。 

 幸俊の連れてきていた従者は、二十人。それぞれが馬に乗ってきていた。

 それを聞いた貞盛は、山の木々に三百本ほどの松明を括りつけ、合図を送ったら一斉に馬で火をつけて回り、次の合図で鬨の声をあげつつ馬で山を駆け回るように伝えたのである。

 これは、急な斜面でも駆けることのできる信濃の馬だからこそできる策であった。


「これで追手も諦めましょう」


 幸俊は無邪気な笑みを浮かべた。


「いや、明日になれば、また奴は追跡を再開するだろう」


「今宵は私の館にて休息なさってください」


 善淵王の屋敷は碓氷峠から馬で一刻ほどの場所にある。

 貞盛はこれまで坂東平野を休まず横断してきており、疲労は限度に達していた。


「すまぬが、そうさせてもらう」


 貞盛を匿っていることが周囲の豪族に知れれば、それを名目として攻め寄せられてもおかしくはない。

 それでも幸俊は泊っていけと言ってくれるのである。

 貞盛は、恐縮と感謝で胸がいっぱいになった。

 

 海野城と呼ばれる善淵王の館に着いた頃には、すでに夜も更けており、弦月が一行を睨むかのように真っ暗な空に浮かんでいた。


「久方ぶりですのお、貞盛殿」


 髪に白い物が混じった五十ほどの好々爺が、貞盛を出迎えてくれた。善淵王である。

 善淵王の治めているこの地は、貢馬と呼ばれる都へ貢進するための馬の産地として名高い。

 善淵王は、望月牧と呼ばれる御牧を有していた。故に海野の郎等は馬の扱いに長けていたのである。


「何故、助けてくださるのですか」


 貞盛は善淵王に対しても幸俊と同じ質問をした。


「いま坂東で起きている争乱については、ある程度知っているつもりだ。貞盛殿、あなたに非はない。私は、そう判断いたしました」


「太政官に背くことになったとしても、ですか」 


 あえて朝廷とは言わなかった。滋野氏は天皇の祖先であることを誇りとしているからである。太政官と言えば、朝廷の代わりに律令制のもとで政務を執る者たちを指す。


「間違っていることは間違っている。そう言える世の中でなければなりません」


 初老の男は髭に手を添えながら言うと、貞盛を屋敷の内へと招じ入れた。


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