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揺野さんの理想


 嘲笑気味な問いかけに、一瞬にして肘のあたりが強張った。質問主は向こう社の人間だった。「え~」という揺野の、媚びたような声がやけに耳につく。なんでそんな声出すんだよ。お前も取引先にそういう声出すような女だったんだ? と、謎に苛立った。


 体躯のいい男がわざとらしく咳払いをしながら腕をまくったりだとか、学生時代から体育会系中で揉まれ声の大きさと流行りの芸人の真似だけで生きてきたような男たちが、それぞれの持ちネタを披露するみたいな待機時間の始まりだ。


 僕は地面を踏みつけるように足の甲へ力を込める。


 前職でもあった。最悪な時間。


「この中だったら誰と付き合いたい? こいついける?」と、女に聞かせて、答えを待つ。


 仕事の付き合い……というか上司たちの職権乱用でそういう店に連れていかれたり、力関係が弱い取引先が若い女社員を連れてきたとき、発生するその慣例は、面白いからとか、可愛いあの子の本音を知りたいからとか……簡単に言えば場を盛り上げるために行われる。


 でももし、その場に弱い、誰にも選ばれなさそうな男がいたら「こいつは駄目?」「どういうところが駄目?」と誰にも選ばれない人間を見世物とした余興が始まる。


 前職の標的は僕だった。たまに、僕を選ぶ人間もいた。既に相手がいて、他の男を選ぶと後に響きそうという安牌枠で、僕を選ぶ。


「優しそう」


「真面目そう」


 そんな理由を述べる眼差しには「弁えろ、くれぐれも勘違いするな」という軽蔑か、この場で僕みたいな人間を選べば優しい女だと思われる偽善、その場を盛り上げたいという嘲りや憐みのどれかがあった。


 選ばれる人間じゃないなんて自分が一番よく分かってるのに、こうした場で、仕事でもない時間で、必要もない中で自分の惨めさを、わざわざ思い知らされる。


 前職で散々した流れなのに、揺野が──いや、年下の先輩、それも女が横にいたせいか、胃のあたりがギリギリと無理に縮むような痛みを感じて、僕は水を飲んだ。


「揺野先輩理想高そうですからね、いないんじゃないですか?」


 そう言って楽しくもないのに笑う。こういう場で黙っていたり傷ついた顔をすればよけい惨めだし、遊びが通じないキモい奴になる。なのに。


「……」


 揺野は僕の言葉に傷ついた顔をした。そっちは選ぶ側だろと、なんでそんな顔するんだよ、と心の中で反射的に言い訳するうちに、彼女は僕を見返してきた。僕は理解できない、何? というテイで眉を動かした後、飲んだばかりの水を飲む。


「このひと」


 揺野が、呟いた。彼女は僕の手首を掴んでいる。手首の骨に触れるみたいな掴み方だった。触れられている緊張と、この場の視線が自分に集まっているんじゃないかという羞恥でやけに喉が乾くのに、揺野が僕の手首を掴むせいでグラスが手に取れない。


「えーこいつがタイプなの? 意外! もっと鍛えてそうなのがいいって言うと思ってたのに」


 わざとらしくおどけた調子で取引先が聞く。予定調和だこんなもの。結局揺野は他の女と同じだった。というか、楽に逃げたのだ。僕を選んだふりをすれば波風もたたない。別に今まで何も思うことは無かったし、ただやりづらい年下の先輩ってだけだったけど、結局揺野も普通の女なんだなと、苛立ちや失望を覚え、すぐに自分の傲慢さに嫌気が指した。


 自分は何を望んでいたんだ。なんて言ってほしかったんだ。よく分からない。揺野が今まさに言われたような鍛えてそうな男を指名していたらマシだったのだろうか。でも、結局「なんでこいつは嫌なの?」という駄目出し見世物ショーは避けられない。だとしたら、今はまだマシだったかもしれない。苦痛が先に来るか後に来るかなら、終わりが見えやすい今のほうがいい。


「全然、普通に全部好きなので。鍛えてる人は正直……自分が好きそうな感じっていうか……自分の筋肉にしか興味なさそうな感じが」


 揺野は言う。身体に自信がありそうな社員たちはわざとらしく「えぇー!」「そんなことないから!」と大声を出すが、本気でショックを受けていそうだった。


「ってか揺野さん、全部好きなんて言っていいの? 勘違いされるよ!」


「そうだよ、俺だったら絶対本気にするわ」


 そして、標的を僕に戻そうとしてきた。ここからの流れは分かる。ストーカー扱いだ。この場で揺野に選ばれたからと言って、そんな勘違いはしない。彼女は僕を選んだんじゃなく、逃げ場を選んだだけだ。最も自分が傷つかない道を選んだ。彼女は、自分を選んだも同然。それは十分わかってる。


「別にいいですよ」


 なのに、彼女は平然と続けた。「私、相手いないし」と僕を見る。社員たちは「え!」と声を荒げた。


「てっきり彼氏いるかと思ってた。いないの?」


 部署の違う男が突っ込んでくる。さっきわざとらしく腕まくりをしていた男だ。揺野に興味があるらしい。


「はい。っていうか、同棲してる彼女さんいるって聞きましたけどいいんですか? もう時間だいぶ遅いですけど」 


 揺野は素早く切り返した。彼と同じ部署の男たちがざわつく。


「え、お前、付き合ってる彼女なんかいたの?」


「もしかしてお前、隠してんのか?」


「ま、まって、俺彼女いないけど、誰から聞いた?」


 標的になった別部署の社員が揺野に問うが、揺野は「え、じゃあ……言えないです。何人かいるけど……」と、かなりまずいことを言った顔をして言葉を濁し、場は選択ゲームからその男に彼女がいるのかいないのか、そして彼女がいると話をしたのは誰なのかという人狼ゲームに変わった。先ほど得意げに揺野について好きなタイプを聞いていた取引先ですら「会ったことある?」と記者みたいに聞いていた。


 突然まるきり変わった空気に戸惑っていると、トン、と人差し指で太ももを刺された。


「なに理想が高いって、私が何好きかも知らないくせに」


 僕の太ももを刺す犯人──揺野は不機嫌さを隠さず僕を睨む。


「いや、普通に、ノリですけど?」


 そんなノリ大嫌いなのに僕は軽い調子で言い返す。理想が高いという指摘にプライドを刺激されたのだろうか。でも、女なんて基本そんなものだろう。テレビで選ばれる理想の男性ランキングには、旬の俳優やアイドル、それこそドラマや映画の主演になる男しかいないし、ネットコラムにのぼる結婚の条件には高学歴高収入高身長が並ぶ。学生時代だけじゃなく選ばれる男なんて一握りだったし、街行く選ばれない側の男に女がいたりすると「金か?」なんて嘲笑が飛ぶ。


 そういうノリ。というか飲み会なんてそんなものじゃないか。なのに揺野は不機嫌そうだった。こんなこと今までたくさんあっただろうし、そもそも僕なんかに「理想が高い」と言われたところで傷つく必要なんてない。彼女にとって僕は重要な人物ではないし、そもそも選択ゲームを人狼ゲームに一瞬にして変えてしまった計算高さがある。そんな人間がいちいち理想が高いと指摘されて傷つくなんて思わない。


「じゃあそっちは?」


「え?」


「人に理想が高いって言うけど、そっちはどういう人が理想なの?」


 揺野は見透かすような、探るような目を向けてくる。最悪だ。何を答えても不正解にさせられる気がする。優しい人と言えば優しくしてくれるなら誰でもいいんだ、女の経験がないからとレッテルのもと馬鹿にされそうだし、変に外見的特徴を言えば身の程知らずと見下される。正解がない。こんなの罠じゃないか。


「別に」


「誰でもいいってこと?」


「そもそも揺野さんと違って選ぶ側じゃないんで」


 だからもうこの話は終わりにしてほしい。どうせ何を言っても駄目なんだから。実際、揺野は「ふーん」と不機嫌そうに返事をして、以後、僕を視界から外し飲み会を楽しんでいた。

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