揺野さんと飲み会
辛いことがあった時ほど大きなチャンスが巡ってくるというけど、そういう場面に立ち会ったことが無い。持ってる人間はずっと持ってるし、幸せそうな人間はずっと幸せそうだ。幸せになるために努力してるというけど、僕だって頑張ってるしと思うし、努力は才能とか、自分で努力してると思ってるうちは努力に入らないとか、巷の論理はすべて持ってない人間を叩き潰す為のものではないかと思えてくるし、そう思う自分が一番駄目なのは分かっていて、キツイ。
逃げ場がない。
せめて失敗しないように、なんて先のことを考えたりするけど、頭を占めるのはまだ起きてない最悪のパターンで、前向きにという自己啓発本に沿うともれなく目の前の最悪を見なきゃいけないし、自分を見つめなおすとか愛そうと言われても手札が手札なので自傷行為になる。
結論から言えば、揺野と上司のやり取りを見た後、しっかりと最悪が続いた。
「お前全然飲めないじゃん! もっと飲めよ~」
「酒まだ来ないのー?」
いかにも飲み会を乱発している企業が選びそうな店で、大学生のノリと大して変わらないような雰囲気の中、スーツやオフィスカジュアルに身を包んだ人間がわいわいと卓を囲う。
仕事終わりだろ、と思えど、たぶん、どんな場においても乾杯から二時間も経てばどんな学歴であれ企業であれ、行きつく雰囲気は同じなのだ。特に今回、女社員連れて合コンみたいにしたいと取引先に思われるような会社との交流なので、より顕著だった。
まぁ、前の会社よりは酷くないけど。前の会社は酒が飲めないなんて知られれば最後、ジョッキが運ばれてきて飲めないならこの店の会計全部払えで飲まされるし、悪意が無い場合でも「これなら上手いから」「うまい酒の味を教えてやる」と飲まされる。突然説教されるわ一発芸を求められるわで、ろくなことが無かった。笑わせられたら仕事させてやるとか、出来なかったら仕事回さないとか、脅しまでついてだ。酒の場なんだから冗談だろうと思っていれば、色々あったりして。
元々人に合わせる生き方だったし、そのほうが生きやすいはずなのに、攻撃されないように、笑われないように、恥をかかないように、傷が浅く済むようにとしていた結果、どんどん、表情すら、何を言いたいのかもしたいのかも分からなくなって。
最終的に、何を考えているのかよく分からない、もっと自分を出せと言われて、終わる。
僕は最低限の尊厳保護用としか思えないビールに口をつけながら周囲を観察する。揺野はなんでか僕の横にいた。店に入るまでは離れていて、上司と話をしていたけど、「そういえば」とこっちにやってきて仕事の話をしていたら、こうなった。あっちの会社の人間たちの傍に座ると思っていたのに。なんなんだろうなと思いながら、僕はジョッキを握る手に力を込める。ジョッキを離していると「全然飲んでない」で何をされるか分かったものではない。この職場の人間で、そういうこと言うような人間は見たことないけど、念には念の為だ。
隣を伺えば、揺野はビールに口をつけていた。僕と違い半分ほど減っている。飲めないと言っていたが結構飲む。やっぱり僕とは違うし、適当に話を合わせていただけかもしれない。人当たりが上手いし。
来なければよかった。何で来てしまったんだろうな、とジョッキを握りながらつくづく思う。断ればよかった。病欠とか。普通に。全然自分飲み会断ります、みたいな完全シャットダウン型になり切れない自分がキツい。基本的に出社自由、フレキシブル、みたいなものは不参加だと言えるのに、こういう人間が絡むものを排除しきれない。そもそも飲み会そのものみたいなのは嫌いじゃない。大学時代も大学時代で無口だったけど、ぼんやり眺めるだけで許されてた。
でも、社会人になって、違う。疲れる。
「っていうかそっちいいですねえ、皆シュッとしてて、こっちむさくるしいというか、全体的に見てて煩いでしょ黙ってても、あはは」
向こうの上司が笑いながら自分の会社の人間とこっちの社員を見比べる。向こうの社の人間は、いかにも商社、みたいな感じだった。仕事が出来て、大学もいいところに行って何の不自由もなく、夜は目のやり場に困るようなワンピースを着た女と遊んで、休日には高い珈琲チェーンでパソコンでも開いてそうな、そういう、男であることを謳歌しているというか、男のくせになんて絶対言われたことない、自分の振る舞いが気持ち悪いと思われたらどうしようとかを一切気にしなくて済むような人種。みんなビールを美味しそうに飲んで、ガンガンおかわりしている。
『お前そんなに飲めないんだったら、適当に女から服借りて酌でもしてろよ。そのほうがいいだろお前も』
『おい、誰かコイツに服貸してやってくれ~』
『ちゃんと足剃れよ』
『この間の案件の上の奴らに気に入られるかもな、どうする? ホテルとか呼ばれたら』
『少しは会社に貢献しろよお前も~』
ジョッキがすれたり動く音で、嫌な記憶がよみがえる。一つ思い出すと止まらない。涙が出ることは無いけど、ジョッキを叩きつけたくなる。どうせ叩きつけるなんて出来ないけど、したいと切実に思う。
「揺野さんこの中だと誰がタイプなの?」