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揺野さんは飲まないし飲めない

 自販機の一件以降、コンビニで揺野の姿を探すようになった。別に何か探して話をしたいとかではなく、どんな飲み物を買っていると認識されているくらい僕は見かけられている可能性がある。ふいに話しかけられて恥をかきたくないので、いるなら先に知っておきたいからだ。社外で人間に会うときは、心の準備がいる。


 でも、僕の予想に反して揺野はコンビニで僕に声をかけたりすることはなかった。向こうが気付けば目を合わせ、ふにゃ、と笑う。僕は会釈で返す。僕が先に気づいた場合は、見なかったことにしているけど、たまに揺野は「おつかれさまでーす」とだけ言ってすれ違ってきたりだとか、「サンドイッチが今30円引きでーす」と、変な情報を渡してくるようになった。その後、コンビニにいたとかは言ってこないし、ましてやサンドイッチを買ったかは聞いてこない。


 だからそこまでの心理負担はなく、今日はいるのかな、とぼんやり考える程度で済み、時間を変えようとかそれこそコンビニを変えようとまでは至らなかった。


 同じように、仕事中のなにもかも、変わらない。逆に変わっていたら──近づきすぎるようなことがあったら、親しくなり過ぎたと反省して、距離を取っていただろう。


 なので、あるプロジェクトが成功し、強制的な飲み会が発生した日のこと。


 僕は本当に自然な流れで、揺野の隣に座っていた。


「お前結構飲むじゃん、それ何杯目だよ。大丈夫か~?」


「全然。家ではもっといくときはいくっす」


「すげーじゃん。じゃあ今度飲み行こ」


 炉辺焼きを売りにしている中価格帯の居酒屋で、同じ部署の人間たちが盛り上がるのを遠目に、僕は枝豆をつまみながら、レモンサワーを飲んでいた。飲み会が始まってから一時間が経過し、正直だいぶぬるくなっているけど、減らない。そもそも酒がそこまで好きじゃない。独特の匂いもそうだし、カシオレとかサワーとか色々あるけど、結局どれも酒臭い。ただ普通に飲まないとノリが悪いと扱われ、その飲み会のノリの悪いレッテルが仕事場でも適用されると地獄なので、アルコール度数が低く味が比較的耐えられるカシオレでしのいでいる。


「全然喋らないじゃないですかー! 酔っちゃいましたか?」


 斜め前の席の派遣の女が声をかけてくる。僕は「全然まだいけますよー」と誤魔化した。


 こういう飲み会の空気が、正直嫌いだ。飲み会そのものはいいけど声をかけられた瞬間、すごく苦しくなる。


 大縄跳びで自分の番なのに上手く飛べないどころか、飛ぶ姿を批評されるような居心地の悪さ。そして、多分そんなこと自意識過剰で誰も僕のことを気にしているわけではないのに、それを気にする自分に嫌気がさす。実際、派遣の女は気遣いアピールがしたいだけで、すぐに他に関心をうつしていた。


 こういうのが、面倒くさい。来るんじゃなかった。もう二度と来たくない。


 辟易しながら飲んでいると、ふと、隣にいる揺野が静かになっていることに気付いた。


 視線を向ければ、彼女は普通に黙々と箸を動かしている。


 飲んでいるのは……ビールではない。先ほどから飲み物に口をつけることなく、普通に食べている。ラインナップはたこわさ、卵焼き、そしてシメで食べるような焼きおにぎりだ。


 何してんだこの人。完全に食事しに来たひとみたいになってる。


「なんです」


 観察していると、揺野はじろり、と不本意そうに見返してきた。


「いや……食べて……いらっしゃるなと思って」


「問題が?」


 問題は無いけど異質な光景だ。こういう時、揺野は卓の中心あたりでワイワイジョッキを掲げて盛り上がっていそうなのに黙々と食べている。


「の、飲まれないのかなと思って」


「はい」


「お車……」


「飲めないので」


「え……」


 意外だった。驚いてると「よく驚かれます」と付け足した。


「甘いのならギリギリ大丈夫ですけど、それならウーロン茶のがいいというか。酔うとかもあんまり好きじゃないっていうか、よく分からなくて。こういう、誰が飲んでるのか飲んでないのかギリギリ分からないようなときは、普通に食べる時間にしてます」


 同じだった。食べることじゃなくて、飲むことに対する姿勢が。甘いのならいいけど別に酔いたいとも思わないし、正直お金を払うならジュースのほうがいい。少しだけ親近感を覚えていると、揺野は「馬鹿にしてる?」と怪訝な顔をした。敬語が外れた。


「いや、馬鹿にしてないです」


「本当に?」


 揺野がジト……と疑いの目を向けてくる。馬鹿にされたくない気持ちは少しわかる。ビールが飲めない、お酒が好きじゃない、詳しくないだけで人生半人前扱いされるわけで、理不尽にほかならない。社会なんてそういうものだけど、されたいわけじゃないし。


「こちらもなんで」


「なにが」


「酒とかそこまで好きじゃないんで。一応、付き合いで頼みましたけど、揺野さんがウーロン茶なら、ウーロン茶でも良かったかなって」


 一瞬、とんでもなくキモい言い方をしてしまったのではんと様子を窺う。


「へぇ……」


 揺野は一気に顔を明るくし、口角を上げた。欲しかったお菓子を与えられた子供みたいに無邪気に笑っている。変な人だな、なんて思っていれば「じゃあ、あげる」と自分の卵焼きをこちらに寄せてきた。


「え」


「ひとくちだけ」


「いや……」


 別にそれ以上というかひとくちもいらない。だって普通に、揺野が切り分けた箸で、あーんという態勢だ。周りの人間が見ているんじゃないかと周りを確認するけど、誰もこちらを気にする素振りはない。


 いや、でも。食べないと逆に意識してるってことで気持ち悪いのだろうか。苦悩の末に「お腹いっぱいなんで」と苦し紛れの嘘をついた。


「そう?」


「まぁ、まぁ、あんまり普段、食べないんで」


「へー、じゃあ、これもらう」


 そう言って、揺野は平然と僕の前にあった唐揚げを食べた。唖然としていれば「おいし、さっきから気になってたんだよね、ありがと」と微笑む。その唇は、唐揚げの油なのか彼女自身のリップグロスによるものなのか、照明の光をぽってりと受けていて妙に艶めかしい。やけに赤い気もする。見てはいけないはずなのに、妙に視線が逸らせないでいると、彼女の唇よりも赤い舌が、やや開いた唇からぺろりと現れ、自身の口のはじをなぞっていた。


「っていうか、レモンかけないんだ」


「え」


「酸っぱくなかったから、それも一緒なんだ」


 彼女は満足げに笑い、ウーロン茶を一口飲む。


 飲み会の最中は来なければ良かったと思っていたはずなのに、帰る頃には、もう二度と行かないという誓いはどこか曖昧になっていた。



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