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揺野さんの好きなタイプ

 定義づけのあと、何か劇的に揺野との関係が変わるなんてことはなかった。元々、僕と揺野は生きている世界が違うからだ。


 僕は中学のとき、なんとなく部活に入らなきゃいけない、という空気があったから卓球部に入った。でも、馴染めなかった。表面上は仲良くできていたけど、好みが違うのもあったし、みんな教室ではひっそりと過ごすけど部活や周りに同世代の野球部とかがいない時は声や態度が大きくなる。そういうところに勝手ないたたまれなさを感じて、どうしてもその輪の中に入り切れなかった。


 皆は土日にアニメイベントやカラオケに行きたい、それが仲良くする、という世界の人たちだった。実際、僕も何度か顔を出した。でも、会っていて楽しいか聞かれれば、すぐにうんとは言えないし、苦しくはないけど楽でもなかった。


 だから高校は帰宅部にした。色々と、もういいやとなってしまった。


 なので卓球部には一応、後輩という存在がいたけど、そもそも同学年の部員とも距離が出来ていたし、上下関係が曖昧だった。大学では、僕と似たような気質のレポートやグループ課題をこなすだけの知人──周囲から見ればあそこいつも課題やってるよね、仲いいのかなと誤解されるけど実際は一度も一緒に帰ったことがない、といった薄いつながりで大学生活を凌いだ。


 その後、苦戦しながら励んだ就職活動の果てに入った前の職場は、いわゆるブラック企業というところだった。一週間のうち怒鳴り声が聞こえない日のほうが少ないし、物なんか普通に飛んでくるし、何にも敵意が無くてもじゃれる名目で痛い肩パンが飛んでくるみたいな、よくある体育会系。上下関係のヒエラルキーがしっかり決まっていて、論理なんて通じない。目の前で一番力がある人間が正義だった。


 議論なんてあってないようなものだし、飲み会と喫煙所で無から全部決まったり事態が一変することも少なくなく、胆力というより適応力とか順応性が求められる。でも出世するのは柔軟性がありつつ中身がある人間で、色々とつみ重なるものがあり前の職場をやめた。


 その後、奇跡的に今の職場に引っかかったけど、ここでずっと働きたいかと聞かれれば微妙だし、じゃあもっといい給料の仕事を見つけたいかと聞かれても、答えられない。


 また転職活動をしなきゃいけないと思うと、じわじわ四肢が重くなる。環境を変えるよりもこのままのほうが楽だし。


 ただ、今のままでいいのだろうかと途方もなく不安を覚える夜があって、転職サイトは見るし、PR用の職歴プロフィールを載せるサイトに登録はしてるし、記入もしっかりして、特に興味もない動画を流し見して、ネット小説のランキングの短編を漁ったり、続報まで追わない芸能人のゴシップや小学生くらいの流行ったゲームをやってる配信者の切り抜きを見て朝が来たりする。


 そういう、淀みみたいなものを揺野はたぶん一切持ってない。なのでコンビニでの一件があった後も、微妙な距離のまま日々を過ごし、ちょっとした待機時間の揺野と派遣社員の女の雑談で、ただ一方的に揺野の情報を聞かされる日々を送っていた。


「揺野さん、これ可愛くないですか? 今週の期間限定価格!」


 派遣の女がスマホを片手に揺野に話かけている。最近、新時代の人材育成云々により意味があるのか分からないような薄い研修と、それに伴う待ち時間が増加していた。今回の会場は椅子だけ並べられ、映像を見るだけ、というものだけど、僕のいる部署ではその準備をさせられることになり、設営が完了したものの上の指示が出るまで待機となり、パソコンも持たずいつ終わるかも分からない中、会議室に軟禁されていた。


「あ~安いですねえ」


 揺野は派遣の女のスマホを眺めながら、ぼんやり頷く。


 僕も行くというかそこしか行けない老若男女向け服屋が毎週どれかしらの服の価格を下げているらしく、派遣の女は揺野との会話でその服屋の話題を多用していた。理由は派遣の女が揺野にどこで服を買っているか聞いたとき、そこの店の名前を揺野が出したからだ。


「毎週その店の話されてますけど、なんか案件かなにかしてるんですか?」


「だって揺野さんそこでしか服買わないって言うんですもん~!」


「無難で。どこにでも着れて便利なので」


 揺野は洋服や化粧品に興味が無いようだった。社内には揺野や今揺野と話をしている派遣の女のほかに女子社員がいるが、誰より揺野の化粧は薄く、ブランド品の話題は相槌や相手の「話したい」を引き出すような立ち回りをしている。


 服も誰でも似合いそうなもので、私服っぽい時は図書館に司書として、スーツっぽい時は塾や英会話の教室に混ぜても違和感がない。


 正直、今派遣の女が話題に出している、僕も着るようなファストファッションの服屋で全身揃えてそうな雰囲気すらあった。でも、揺野の全身統一と、僕の全身統一は違う。揺野は選べる中でそれを選び、僕はそれしか選ぶほかない。大きな違いだ。


「勿体ないですよ~! この白のシャツとか良くないですか? 似合いそう~」


「これどうやって着るんですか。上になんか着る前提の透けるやつですか」


 透ける。そんなもの着てこないで欲しいと切実に願う。職場の人間の露出ほど複雑な心境になるものはない。エロいとか見ちゃいけないとか意識するとかじゃなく、疲れるのだ。


 アイドルや女優やイラストの露出は、それこそそういうコンテンツだ。楽しむ動線が引かれてる。でも職場の人間というか、普通の女の露出は疲れるのだ。見た目がどうこうじゃなく、視界に入れれば犯罪者扱いされかねないから。刺青を入れてる明らかに反社会的な若い男とか、六人くらいでコンビニ前で群れてる絡まれたくない感じのグループと同列の緊張が走る。


「中に着てもいいですし透け感意識してもってやつです! オフィスとオフの日で両方いけるので~」


 オフの日。芸能人でもないのに、と心の中で言う。


 前の職場でオフの日なんて言おうものなら殺されてただろう。そもそもどこであれ、僕みたいな人間があれやこれやと身の丈に合わない服でも着ようものなら、あいつ今日気取ってる、力入れすぎだろと査定されて潰される。人間がワックスなんてつけようものならからかいの洗礼に合うし、適当にすれば女から清潔感と風呂やシャワーで衛生を保つという意味ではない謎概念で批評されるのだ。理不尽だなと思う。


 持ってる人間はどこまでも持っていて、自分はその代償を支払うみたいに何も持ってないどころか、負債はしっかり背負わされている。なのにそれを嘆くと甘えとか、根性なしとか努力が足りないとか言われるわけで。


 揺野を見てると、これから先なにをしても幸せになれそうだな、という羨ましさで、どうしていいか分からなくなる。年下の先輩が男だったら、どうせ蔑まれてるんだろうな、実際、自分なんかという冷静な諦観だけで済むのに。


 もちろん色々苦労もあるだろうけど、非力でも気持ち悪がられたりしないし、一人で歩いているところで職務質問されて警戒されることは無く心配されるだろうし、たとえ揺野が僕の前の職場に就職したとしても、仕事中に胸倉掴まれたりとか腹パン肩パン腹蹴りされることは無いだろうし、しっかりしろと罵声を浴びせられずに済むだろうし。


 揺野に許されていることと、僕に許されていることのデフォルトの許容値が違う。


 それが羨ましくて、苦しい。


「っていうか揺野さんって好きなものあるんですか? こだわりなくないですか? 食べ物も……食べられたらいいっていうか」


「あ~でもそっちが悩み過ぎなのもある気がしますけどね、この間、なんでしたっけ、チーズケーキとチーズムースで悩んでませんでした?」


 揺野の指摘に派遣の女は「悩みますよー! どっちも好きですもん!」と芝居がかったように喋りつつ、「でも、待っててくれて嬉しかったです」と沿えた。


「まぁ、人が悩んでたり選んでたりするの見るのは楽しいから」


「やさしー、どっかの誰かさんとおおちがーい!」


 派遣の女が目を細めて遠くの男の社員を睨む。男は派遣の女をからかうように「遅いんだよお前は~」と笑った。さらに隣の男が「なになに~」と会話に混ざろうと揺野と派遣の女を見ていたが、派遣の女はアッサリ揺野だけに照準を戻した。


「っていうか、揺野さんってこれが好きってものないんですか」


「……ないわけじゃないと思うんですけどね」


 派遣の女の質問に揺野はまるで他人事のように返す。


「好きなアイドルとかいないんですか?」


「う~ん」


 こうして隙間時間になると、目的なんてなさそうな会話を聞くことになる。よくやるな、と思う。不快感はない。ラジオを聞いている間隔だから。なので、僕を混ぜることはくれぐれもしないでほしいと願ってるだけ。誘ってもらえる、参加権があると勘違いしていると誤解されたくないけど、こういう目的のない会話が苦手だからだ。雑談はなにを話せば相手を不愉快にさせないかが気になるし、楽しめない。だから目的そのものが会議や打ち合わせになっている場が苦手だった。


「好きなタイプ」


 派遣の女が揺野に訊ねる。揺野は「う~ん」と唸った後、呟いた。


「なおせない短所があるひと、生き辛そうな人、矛盾してる人、コンプレックスがある人、強くない人」


「なんですかその五点!」


 派遣の女が目を丸くした。僕自身、なんだそれと驚く。女が好むって、顔がかっこよくて背が高くて収入がちゃんとしてて明るいだろうに。そしてそれを言うと女コミュニティでもとやかく言われるっぽいので、優しいとか包容力と言い換えてるイメージだ。たまに趣味が合う人とか、本音なんだろうなという枠もあるけど。


「だって長所なんてどうやったって消えるし、悩みない人は信用できないので」


「え~! 暗い人がいいってことですか? 寡黙な人が好き? っていうか強くない人ってなんですか? 困ったとき助けてもらえないじゃないですか」


「別に喋っても喋らなくても、どちらでも。私は……助けてもらいたいと思えないというか、私を救える人は、私をいらない人だと思うんですよね」


「ど、どういうことです?」


「強さとか、長所って、消える可能性があるじゃないですか。きめ細やかな人間だとしても、仕事だからの可能性があるので、短所が、いいなと思える人がいいです」


「へ~ふかーい! 勉強になります!」


 派遣の女が迎合するが、同意できていないのがよく分かる。あそこまで露骨ではないが、前職でしばらくしていた。簡単に言えばそうしなければ生き残れないから。派遣の女はおそらく身体の芯から染みついているのだろうが、ああはなれないなと思う。軽蔑はない。若干、羨ましい。コミュニケーション能力云々というより、人間の根本的な質として。


 なぜなら僕は、ああやって演技派として場を乗り切ることもできないのだ。僕は。


 コミュニケーションなんてどんなビジネス書にも盛ったりがあるし就活なんてその典型で、演出あっての人間関係だし、本当の自分、ありのままの対話なんて夢の世界にしかない。仕事を円滑に出来ればいい。なのに、無性にむしゃくしゃすることがあって、それがどこにも出せなくなり、どうしようもなくなる瞬間が来る。


 前職で働いていた時がまさにそうだった。理不尽も勿論のこと、たぶん、一番はコミュニケーションだ。パワハラは少し慣れたというか麻痺した部分もあったけど、そういうのを回避するために磨いたはずの処世術が、致命的に僕の気質に合ってない。なおかつ手に負えないのは、別に人を憎悪しているまでには至れない点だ。


 一人が好きなのに、人に影響される欠陥品。どこかしらが噛み合ってくれていたら、少し人に興味が無ければ、いっそのこと人を利用できる、嫌われても関係ないと思える人間でいられたら違うのに、ちゃんときつい。


 そのきつさも、仲良くなりたいからじゃなく、嫌われたり不愉快にさせたくない、という動機だし、その根本を辿ればたぶん仕事に支障が出る、とかになる。その仕事もすごくやる気があるわけじゃない。


 波風も立てたくない。そういうところは気を付ける。客観的に考えてそれが正しいから。感情とか置いておいて。そう結論付けて行動すると上手くいく。


 でも尋常じゃなく疲れる。


 まぁ、社会というかこの世界そのものがそうだし、テレビに出てる芸能人や動画で話題になるアーティスト、いわゆる選ばれる側の人間は才能があったり見た目がいいから、自分勝手に好き勝手生きて許されるわけだけど、現実問題好き勝手振る舞えば排除されるし、変に尖っても叩き潰されるだけで、個性を尊重だとか自分らしくは就活向けの広告みたいなものでしかなく、僕みたいに何のとりえもない──というか大多数の人間は、当たり障りないものに迎合して揺野みたいな存在を遠巻きに眺め生きていかなきゃいけないわけで。


 だというのに「みんなの意見を聞いている私」という自己演出のためか、派遣の女は「好きなタイプどうですか、男性は」と僕に質問の矛先を向けた。派遣の女は僕に聞きつつも、答えを聞いて話題を動かそうという気もなさそうだ。自己演出のほかに、周りの男に──たとえばさっきケーキを選ぶ話で出てきた『どっかの誰かさん』に向けると周囲からの目があり、チラチラうかがっているほうを指名すれば話題が伸びてややこしくなる。だから僕の答えで適当に締めるつもりなのだ。


 ただ当たり障りなくしたいだけなのに邪魔しないでほしいけど、答えて失敗したら嘲笑か静かに減点される場よりマシなので、仕方なく僕は、「神経質じゃない人が」と応えた。派遣の女は「わかるー!」と絶対に同意してない肯定をして、僕の予想通り「そういえば」とスマホを取り出し揺野に何か別の話題をもちかける。


 やり過ごせてよかった。上下関係のしがらみも面倒くさいけど、こういう小テストもそこそこ面倒くさい。


 ホッとしてふいに顔を上げれば、揺野と目が合った。彼女は眺めるように僕を見ると、そのまま特にコメントすることなく、ちょっとおどけるように目を大きくして、また派遣の女との会話に戻った。



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