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揺野(ゆらの)さんとコンビニで

 その日僕は、出社前、昼食のパンを買うためにコンビニに来ていた。朝は食べる気がしないし、朝の眠気が地続きで昼に繋がっているので、焼きそばパンとか卵サンドなど総菜パンはハードルが高い。なので心理的負担のないパンを適当に選び、飲み物のコーナーへ向かうと、揺野がいた。なので僕は気付かれぬうちに、さっと棚に隠れ、揺野が移動するのを待った。


 会社の中では普通に話ができるけど、会社の外で社内の人間に会うのはしんどい。


 相手が誰であろうとだ。


 そもそも僕はセルフレジが出始めてから、仕事以外で他人との会話が完全に消えたタイプの人間である。


 今までは仕事とコンビニとスーパーくらいでしか声を発しない中、セルフレジでコンビニでの発声手段を割愛し、最初は楽だなんて思っていたけどスーパーでのやり取りのハードルが変に高くなった。


 その結果、仕事以外で喋る機会が減り、仕事の自分と素の自分がどんどん剥離していってる気がして、その剥離がなにかの病気に繋がってくるんじゃないかと不安に思うけど、人と話がしたいとか遊びたいという感情は出てこない。一人行動が辛いとも思えず、昼食は一人で食べたいし映画も一人で見たい。仕事でもないのに仕事の人間と会いたくない。


 自分でもなんなのかよくわからないが、他人と一切関わらないと決めて孤独を貫く強さもないので、会えば無視も出来ず、こっそり棚に隠れ揺野がいなくなるのを待つというこんな有様になっている。


 僕は揺野がいなくなったか確認する。揺野は新商品のお茶を見ていた。買って味を社内の人間と話すか、もしくは見かけたことを誰かと話すんだろう。容易に想像できた。


 何となくの持論だけど、人間関係というものは10段階くらいに分かれていて、普通の人見知りは2の段階から危うく、体育会系の中心に君臨するみたいなコミュ強みたいなのは1から10までそつなくこなせる、みたいな階層分類がある。


 そして僕はおそらく1から3くらいまでは他人より上手くできて、でもそれがとんでもなく気力を消耗し、挙句の果てに4を越えてくると誰よりも上手くできない負債というか呪いにかかっている。


 理由は多分、根が暗いのと根が暗いなりに社会に適応しようと努力した結果、小手先のテクニックもどきみたいなのを身に着けられたはいいものの基礎の地盤がないままにそれを手にしてしまったせいで、肝心の足場がない、みたいな状況だ。


 基礎の地盤を手に入れるには小手先のテクニックもどきを手放さなければないけど、この年に至るまでそれを抱えて生きてきたからできない。


 なおかつこのテクニックをなくせば仕事が立ちいかなくなるので、消耗戦のような今に至る。


 そして1から10までのオールラウンダーが揺野だ。


 そこまで体育会系の職場じゃないし派手な場所でもないので、扱いづらい人間は前職よりいないだろうとふんでいたけど、思わぬトラップだった。それも本人の性格は問題ないのに、あり方とタイプが露骨に噛み合わないというかやりづらいパターンだ。だから、会社の人間と会いたくないのはもちろんのこと、揺野には余計会いたくない。


 僕は揺野を避けるようにしてペットボトルを手に取り、セルフレジに向かう。


 そのまま順番待ちをしていると、すっと大胆に横入りが発生した。パーマをあてたマッシュヘアの、僕より若く体格のいい男だった。いかにも女に好かれそうな顔をしてる。僕が見えていないのか、横入りしても問題がないと舐められたかは分からない。ただ、白のワイシャツにグレーの質の良さそうなベストとセットのスラックス、磨かれた靴などの装いから、後者だろうなと諦めや嫉みに似た感慨が浮かぶ。


 後ろを見ると、並んでいる人間がいた。僕に注意しないのか、と促すように僕を見てきたけど、無理だと思う。後ろの人も知らない人だし、刺すような視線が痛いけど、前も後ろも他人なので、耐えてこの場をやり過ごすことにする。そして僕は知らないふりをしようとスマホを取り出そうとした──その時だった。


「列こっちですよー並んでるんで」


 さっと目の前に横切り、女が男に声をかけた。横入りした男に声をかけたのは、揺野だった。


「え、いや、並んでたっすよ」


 男はこっちに振り返り、僕を見ていけると踏んだらしい。半笑いで嘘をつく。しかし揺野は「いや私並ぼうとして横入りしてたの見てたんで、一緒に並びましょ」


 そう言って、有無を言わさぬ調子で揺野は男を見た。揺野の冷えた空気にあてられたのか、男はばつが悪そうにセルフレジではなく有人レジに向かっていく。周囲の空気が、少しだけ和らいだ気がした。助かった。ただ、あまりにも不甲斐ない現場に、揺野へどう声をかけていいか分からない。僕は注意できなかったし、知らないふりで逃げた。責められるだろうか。不安を覚えていれば「すいません。これ買っておいてください。あとでお金払うので」と揺野は特になにか話すでもなく、僕へ常温のペットボトルを渡し、店を出て行く。


 嵐みたいな出来事に驚きつつ、セルフレジでさっさと買い物をしてコンビニを出ると、揺野が「ありがとうございます、お金です」と金額ぴったりの小銭を出してきた。遠慮したほうがいいのか分からず僕はそのまま受け取り、「さっきはすみません」と謝罪する。「なにがですか?」と、揺野は不思議そうな顔をした。


「いや……注意して頂いて」


「ああいうの成功体験詰ませておくと調子乗るので」


 小ばかにするみたいな言い方だった。僕に対してではなく、横入りをした男に対してだろう。未だ有人レジに並ぶ男に軽蔑の眼差しを向けている。


 揺野が誰かに向けてこんな風に蔑むのを見たのは初めてだった。なんとなく、負の感情みたいなものは無さそうなイメージだったから驚いていると、揺野は「でも、注意しないほうがいいと思いますよ」と付け足す。


「今ほら、揉めたら他人が動画撮ったりしますし、危ないですからね」


「なら、揺野さんも危なかったのでは」


「カチンときちゃった」


 ふ、と揺野は自分で言って自分で笑う。


 誰に対しても敬語で話す彼女が、敬語を外した瞬間。いわば事故。イレギュラー。


 意味なんてないだろうに、やけに印象的で。


 自分でも馬鹿みたいだと思うけど、そうしたことがあったからか、揺野と初めて会った日と僕が感じるのは、僕の転職初日ではなく、コンビニ前でそうやって話をした日、と定義づけされてしまった。

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