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揺野さんの復讐

「っていうか避妊のって携帯してます?」


 二人分の布団を繋げて、枕だけ寄せ、手を繋いでいると、揺野がこちらに寝返りをうった。僕はびっくりして「いやいやいやいや」とすぐに否定する。


「ああ、じゃあ危なかったんだ。良かったー。そういうのってドラックストアとかコンビニですもんね」


 揺野は平気で言うけど、危ない、とは。危ないというか、彼女は僕とそういうことをする気……だったわけで。


「あの、そ、え、今日、そのつもりで……?」


「まぁ……ですね。ただ、ことのほか上手くいったものの、サイズ……が色々あるんですよね? なので、さすがに私が全サイズ揃えてきても引かれそうというか、とんでもない人間だと思われるし、かといって、二人のことなのに、したいので買ってきてくださいも違うな……と思って、なんか一応持ち歩いている人はいるとネットにありつつ、持ち歩いてもなさそうだしな……いやでも万が一に備えている可能性も、と思って。で、最悪の話ですけど、そちらがその気なら一旦ここ出て、コンビニで買って私の家かそちらの家かなーとは。まぁ、下にタクシー呼べるみたいなので」


「……あの、そういうのに、興味がある、とか」


 あんまり考えたくないというか……異性のそれについて思いをはせたくないけど欲求的なものが強いのだろうか……。すると僕の疑いを察するかのように「いや、むしろ人より薄いと思いますけどね」と何気なく言う。


「だからこその、経験人数のなさというか……やだ?」


 揺野の質問に、僕は「え」と聞き返す。意味は分かるけどどう答えていいか分からなかったからだ。


「重いとか、経験ない人間」


 揺野はそっけない口ぶりだ。


 そんなこと言える立場じゃないしそもそも経験豊富な人間は怖い。創作の中ではリードしてくれそうとか許してくれそうと思わなくもないけど現実は非情だろう。会ったことないし関わったこともないけど。


 そして、経験がないほうが比べられなさそうというか、悪い気はしない。経験ないほうがいいって言うと変態とかヤバいやつに思われそうだからあれだけど、出来れば……ないほうがいい。


 でも経験が少ないほうがいいなんて思ってるとは絶対知られたくないので「いや、普通に……そういうの、気にしてないけど、イメージがなかったから」と言葉を濁す。イメージってなんなんだよと自分で自分を殴りたくなった。アイドルじゃないんだから。揺野は。それも経験してそうなアイドルってどうなんだよ。


「イメージ?」


「なんていうか、今日、そういう話、聞いたけど……その前までは、ちゃんと恋愛してそう、みたいな。誰とも付き合ったことないようには思えない。あ、明るいし」


 証明するとか言っていたし彼女は経験済みだとばかり思っていた。清楚な感じもあるにはあるし、すれてる感じもしないけど……絶妙な年上感というか。落ち着きというか。あんまり説明すると気持ち悪く思われそうだから言いたくない。


「学生時代バスケしてるって言った」


 揺野はまるでバスケをしていたら経験がないことを当然の常識かのように言うけど暴論だと思う。それに、揺野がバスケしてるなんて話をしていたのは、本当に最初のほうだ。うっすら程度しかない。そもそも彼女は学生時代の話をふられれたらその話をするけど、街中でバスケモチーフの何かがあったところで反応しないし、スポーツ系の人間がいても、何も言わない。


 それにむしろ──。


「バスケ部って……も、モテそうっていうか……モテるでしょ」


 バスケ部の女子は軒並みサッカー部や野球部の男子と付き合ってるイメージだ。いわば運動部の中でも序列が高い位置の男。それか何で部活に入らないのか不思議がられるような、体育で重宝される運動神経のいい背が高い男とか。そういう人間とすでに付き合っていて既に色々経験済みだとばかり。


「スパルタみたいなところにいたから」


「じゃあ、大会とか出てたってこと?」


 揺野は「まあ」と短く続けた後、「怪我で、全部駄目になったけど」と静かに、簡単に、絶望を告げた。反応が出来なかった。


「本当は多分、テレビ中継とかされる選手になれたっていうか……今テレビ出てる選手より、学生時代の得点は誰より多かったよ」


 そして、逃げ場を封じるように絶望の根拠を固める。


「……元々、大学もスポーツ推薦だった。怪我するまでは……本当に、選手として生きていくつもりだった。でも怪我で、全部駄目になって、就職も正直全然、考えてなかったし、全然、駄目」


 感傷的な話は苦手だった。励ましを求められているのかただ聞いていてほしいのか慰めてもらいたいのか分からないし、そもそも仕事のことじゃないから解決策なんか出せないし、傷つけそうで怖い。それも今彼女が僕に対して話をしている内容は、明らかに彼女の根幹に関わり、彼女の柔いところで、より一層、何も言えなくなった。


「何も言わなくていい。今、手を離さず、傷ついてくれたら、嬉しい」


 揺野は僕を見透かすように、つなぐ手の力を込めた。一瞬逃がさないようにしているのかと思ったけど、その手は少し震えていた。


「なんかさ……みんなの目も辛かった。可哀そうなものっていうか……可哀そう以外に無いけど、事故に遭っちゃったわけで、でもその時の私はそれがすごく辛かった。そっとしておこうね、みたいな。そういう感じ。バスケだけやってきたからこの先、将来どうしようっていう不安とか、惨めさとかで、一人なんだなって苦しかった。今まで皆に頼ってもらえる、強い私だったけど、全然違くなっちゃった。みんな、私のこと、避けてた。助けてくれなかった。誰も。後から、なんて声をかけていいか分からなかったとか、話しかけたりしたら、傷つけるんじゃないかとか、私がよくみんなの相談役のってたからだと思うんだけど、かけるうまい言葉がないからとか、一人で乗り越えたいと思ってたって、言ってた」


 ──でも私にとっては、誰も助けてくれなかった。見捨てられた。それが、すべて。


 揺野はずっと深い深い、海の底で呟くように、おそらく当時の心境を話す。


「就職活動もあるしってやってたけど、駄目。書類専攻は……やっぱり普通の会社はバスケが強いなんて求めてないし、怪我の話になって、じゃあバスケの選手になりたかったんだよね、怪我で仕方なく就職したんだなって言われた、実際そうだし、面接の在り方として正しい。それで……今の会社に入ったんだ」


 今までずっと揺野はどうしてこの会社に入ったのか不思議だった。僕みたいな意味じゃなく、いい意味で会社で浮いた存在だからだ。


 彼女ならもっとふさわしい場所が他にあるような、もっと大手のしっかりした企業で活躍していてもおかしくない雰囲気があった。


 でも、そういう経緯で入社したなら何となく納得できるし、中途採用の僕に対してこちらが息苦しくなるようなノリや配慮をせず、あくまでフォローに入っていてくれた理由が分かった気がした。


「だから、恋愛というか、男の人と関わること自体なかったし、そっちが最初に入ってきたころ、私、うざかったと思うよ」


「別にそんなことない」


「年下のくせにって、思ったりしてなかった?」


「全く。っていうか、そんなこと不安だったなんて、知らなかった」


 年齢を気にする感じはしなかったから意外だ。一切気にしないからこそ、ずけずけ……というと言い方が悪いけど、近かったと思っていたし。


「不安に決まってるよ。後輩だし、仕事はちゃんと教えなきゃいけないし。バスケの時はチームだったけど、就職の時、というかそれ以前に、私どこまでも一人だな……いざとなったら自分でなんとかしなきゃいけないし、誰にも助けてもらえないんだな……って苦しかったからさ、その苦しさを、もしかしたら転職中に感じてたらなって思ったら、こう、胸がギュってして、絶対助けるぞって、そんな思いさせないぞって思って、年上だったし、私の助けいらないかなって思ってたらなんか、寂しそうというか」


「寂しそう?」


「うん。まぁ、勝手に私がそう思ってただけかもしれないけど、寂しそうだなって思って、気になってた。だから、ごめんなさい」


「それは全然、大丈夫」


「良かった。たまに私と話してて困った顔してるから、うざがられてるのかなって思ってた」


「え」


 揺野を、うざがるまではしてない。怖いとか、困るとかは思ってたけど。「いつ?」と聞くと「たとえば今日なら服どうか聞いたときとか」と、少しだけ元気がなさそうに話す。


「いや、あれは困る」


「え、なんで?」


 揺野は目を丸くした。小さい女の子みたいな無垢さを感じてよりやるせない。


「いや普通に問題になりそうだし……」


「問題になりそうって……問題になりそうなこと思ってたってこと?」


「いや、可愛いとかも問題になるでしょ、何も、全部、問題になるから」


「へえ」


 しかし、揺野はちょっと白けた顔をした。


「へえ、って何」


「ふつーに……なにかしらの感情が欲しかったから、わざわざ胸とかお尻とか強調した服着て損したなっーて」

「損って……だって、あれ、じゃないですか女の人ってあれですよね、じ、自分の為に服着るんですよね……?」

「はい。そして今日は貴方のためです」


 とんでもない発言に絶句した。一体何を言っているんだ。というか、あれ故意だったのか。僕だけが意識しているのだとばかり思っていた。わざわざ僕に声をかけるのも、いわば舐められているからとか、男として見られていないからで、勘違いしないように必死に自我を殺していたのに。


 彼女は、僕の為に。


 今まで必死に揺野は僕を意識してるはずがない、自意識過剰だと思っていた自分が一番馬鹿だったということか。そんなひどいトラップがあるか。自分の為なんて思って間違いだったらとんだ勘違いで恥かくどころか下手すれば捕まるのに。


 思わぬ真実に返事が出来ずにいると、静寂に何かを察したらしい揺野が「なに」といたずらっ子みたいな声がした


「もしかして、何か思ってた? 思ってたのになんで言わなかったの」


「問題になる。社会的に死ぬ」


「私は、貴方になら、何されてもいいんですけど」


 本当に彼女は処女なのか?


 くすくす笑う目の前の揺野は、あまりに挑発的で、年下であることを忘れそうだ。


「なんでそんな楽しそうな……」


「いや、報われてたんだなーと思って。私の努力」


 そんな方向に努力なんてするなと心の底から思うけど、感情に反して口角が緩みそうになり僕は必死に目を閉じて、呆れ顔を作る。しかし追撃が飛んできた。


「だって頑張ってたんだもん。大変だったし」


 なにが大変なんだ。大変なのはこっちだ。しかし僕は「え?」と軽く疑問符をつけ留める。必死になって悟られたくない。


「誰にでも見られたいわけじゃないし、他の男に見られたら、不愉快だし。痴漢とかもいるしさ。電車の中ではシャツの上にまたシャツ着て、暑いし……汗かいて臭いって思われたら……とか、腋とか拭いて、ウエットティッシュだとかぶれるから、別に持ってかなきゃいけないわけで、それに毎年汗拭きシートの匂いの感じも変わるしで」


 汗や脇という単語に、僕はごくりと唾を飲み込んだ。ぐっと喉が詰まる感覚と共に、バーベキューの彼女の姿を思い出す。確かに彼女は到着した時、薄いレモンイエローのシャツを羽織っていたけど「暑くない?」なんて言ってすぐに脱いでいた。その時にちらりと見えたなめらかに窪んだ脇や、鎖骨や首筋につぅっと流れていた汗、微かな石鹸の香りを思い出しそうになり、思考を散らそうとするけどどんどん考察が始まっていく。


 あれが、彼女が僕にそういう目で見られるために服を選び、汗をかいて拭いた結果なわけで。そこまで想像できた自分の気持ち悪さに死にたくなった。死にたい。誰か殺してほしい。


「……思い出した?」


 駄目だ黙っていても見透かされる。


「いや」


「今度は一緒に電車乗ってくださいよ。そうしたらシャツ着る必要ない」


「いや……着ればいい、着ればいいじゃないですか、シャツ」


「嫉妬です? 見られたくないと?」


 揺野は嬉しそうに僕の顔を覗き込む。勘弁してほしい。何でこの子は今まで何もなく居られたんだ。ありがたいけど……と、ありがたいなんて思ってる自分の情けなさが辛くなってきた。


「そういうんじゃない。そういうんじゃない。そういうんじゃないけど着たほうがいい。さ、寒いと風邪ひくし」


 嫉妬してるのも悟られたくないので僕は目を閉じて小刻みに頷きその場をやり過ごしつつ、彼女のペースに巻き込まれないよう、「じゃあ、あの来てくれて良かったって言ってたのはシャツのことですか」と話の落としどころをつける。これでもうこの話は終われる。変な後日談のせいで夢にも出てきたら最悪だ。今日は絶対、変な夢は見たくない。


「それもあるけど来てくれたこと自体、すっごく嬉しかった。そういうの全然、来なそうだし。もしかしたら来てくれないかもって電車の中で不安だったから」


「別に僕なんかいなくても別に変わらな──」


「変わる」


 揺野が真っ向から否定するように言う。さらに「私にとっては、変わるの」と念を押してきた。


「……意味が分からない」


「別に、私の気持ちだから、貴方には分からないと思う」


 そう言われると、何も言えない。分からないと言われるとそれはそれで納得できない。黙る僕に彼女は「いてほしいから誘った」と続けた。


「別に仕事のレクリエーションなわけだから……いて欲しいも何も」


「ひどい。断られたくないって不安だったのに」


「なんで」


「悲しいから」


 むす、と音でも出てきそうなくらい揺野は不貞腐れた顔をした。そうは言われても僕に断られて傷つくなんてことないだろう。揺野には周りにひとがいっぱいいて僕である必要なんかないし、誘って断られて悲しいなんてありえやしない。お世辞とかおべっかだ。なのに罪悪感がわく。気にするべきじゃないのに。


「悲しいって……別に他の人もいるし」


「他の人なんて別にいなくてもいいし」


「じゃあこっちだっていらないでしょ」


「いる」


 強い口調で揺野は即答してきた。反射的に身構え怒られた気持ちになるけど、揺野が主張するのは僕が必要というものなので、どんな顔をしていいか分からない。返事も出来ず奇妙な沈黙に耐えていれば、揺野は「っていうかさ」と僕を訝しむように見据えた。なんか探られている気がして居心地の悪さを感じる。


「もしかしてさ、私の為に来てくれてた?」


「え……」


「だって、そこまで言う割に来てくれた」


「来ちゃ駄目でしたか」


「来ないほうが駄目だった。っていうか、まぁ、さっきから言っている通り、私が駄目って話だけど。でも何で来てくれたの?」


「……予定なかったし、誘われた、ので。仕事、仕事なので」


「へー」


 揺野は得意げに笑った。最初に予定がない、と言っただけだし別に僕は揺野に誘われたから、なんて一言も言ってない。いや、揺野が誘ってこなかったら「行けたら行きます」で乗り切っていた気がするけど……。


 それにしてもこの反応、狙ってやってるのだろうか?


 計算でこうしているのかもしれない。でも、計算すると言うことは、僕をこう、計算でどうにかするという算段をしているわけで。


 自分はそんな人間じゃないと恥ずかしくなるけど、同時に、ものすごく計算高い女だとして、その計算が僕の為に行われているのだとしたらと考えると、心の中のいままで満たされていたことのない部分が埋まっていく感覚に陥る。


「っていうかよく、覚えてますね。そんな前のこと。記憶力いいっていうか……」


「覚えてる。なんでも、覚えていたい。大事だから」


 真っすぐな言葉に僕は返事が出来なかった。こんなにも好意をストレートに言えるって、一体何なんだろう。才能だろうか。やっぱり世界が違う。好意に慣れてるんじゃないかとか、今まで拒否されたことが無い人生だったんじゃないかとか、要因は色々浮かぶし、だからこそ彼女が僕の一挙一動で傷ついたり悲しんだりすることが信じられず、もし影響していたらそれはそれで怖い。


「ちなみに私のこと何にも知らないときに理想高いって言ったのも覚えてますよ」


「いや、ご、ごめんなさい、それは……失礼でした」


 まずい、昔の話を蒸し返してきた。こんなことになるなら、誘いの時に話を引き延ばさなければ良かった。適当に頷いて肯定しておけばよかったのにどうして「他の人もいる」なんて言っていたのか自分でもよく分からない。というかプライドを傷つけてしまったのは申し訳ないけどしつこいんじゃないか。


 そう思っていれば「こっちは、大事な人に、理想高いって言われて」と、僕を見てきた。


 大事。


 さっきは色々大事なのかなと流したけど今度は駄目だった。だって『大事な人』と単語が出てしまったし、もう色々逃げようにもどう考えたって彼女が示す大事な人は僕だ。そんなこと僕が考えてる時点で嫌になるけど。


 改めて僕は「ごめん」と謝る。今度は本気だった。彼女はじっと僕を見た後、「もう駄目だからね」と諭すように言って目を細める。


 あの時から、彼女は僕に。


 だとしたらあの時の選択ゲームの指名は本気だったのか。だとしたら僕はとても酷いことをしたんじゃないか。


 選ばれる立場じゃないのに選んでくれた人間の心を踏みにじって。


 もう愛想つかされたかもしれない。いや、こうして彼女がそれを言ってきて、なお、ここにいるということは、まだ僕は見捨てられてないわけで。


「ごめんなさい」


 僕はまた謝る。彼女は「やだ」と、仕方ないように笑った。

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