表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/15

揺野さんと深夜料金

「はー、もうこんな時間ですねえ。すみません。引き止めちゃって」


 あれから、ファミレスで食事をして、ドリンクバーを飲みながら話をしていたらかなり時間が過ぎてしまっていた。


 いる間はあっという間だったけど、時計を見て頭に冷や水がかけられたような気分だった。


 これから知らぬ土地の最寄り駅に向かい、そこから電車に一時間以上揺られ、日付を跨いだ頃に駅から歩いて、家に帰って寝てと考えるとうんざりする。タクシーでも使ってしまおうか、でも、ここからだと二万は飛ぶ気がする。前職で終電ギリギリどころか終電を逃すなんて何回もしてたけど、今日この後、満員電車に揺られるのもキツイ。


 やっぱりバーべキューのすぐ後に帰っておけば……と考えていると、揺野が「面倒じゃないですか」と主語なしで聞いてきた。


「面倒とは」


「帰るの」


 発言にドキッとしつつ、「でも帰んなきゃ駄目ですからねー」とふざけた調子で返す。僕を殺してほしい。今、ドキッとした僕を殺してほしい。本当に。


「だってこの後、満員電車に揺られたり階段上り下りしてお風呂入ってって考えるの、だるいなって。駅から近いんですか? 家」


「いや、まぁ、まぁ……でも仕方ないですからね」


「そこのスパに泊まりません? 入館料と深夜料金のパックで泊まれるんですよ。終電逃した人間向けなんですけど、男女の仮眠室別れてて、温泉入れるんですけど。朝ごはんも頼めば出るし、チェックアウト朝10時とかなので、そのあたりならもう、電車マシでしょうし。クーポン見たらカップルパックなら二千円安くなるんで、私払います」


 疲れを隠さぬ顔で揺野はスマホ片手に話す。彼女の視線の先には、オフィス街からぞろぞろと行列になって歩く会社員たちの姿があった。おそらく、この近くの駅に向かっているのだろう。見ているだけで先が思いやられる。


 正直、疲れてる。相手が、男の社員だったら、泊まるかもしれない。いや泊まらない。宿泊まで一緒はキツイ。


 でも、カップル割引で、入るし、仮眠室が男女別れてるなら、一緒に入るだけ……。というか断ると揺野はカップル割を使わない……。


 ──いやでもまぁ……私が、男の人と付き合ったことないってのもあるのかもしれないけど。


 そして最悪のタイミングで揺野の言葉を思い出す。ここで、男女だから駄目ですよと言えば、逆に僕が意識してるみたいになって、自分はそんなつもりじゃなかったのにって、揺野を傷つける……のでは?


 最悪、僕が揺野を女として見ている、みたいになって……色々最悪なことが起きそうな気がする。


 ──それに今はパワハラ等のリスクもあります。パワハラを受けたと彼女が上に訴えた場合、第三者の前で客観的な説明はできましたか? 自分はしてないと、言えましたか?」


 彼女はそうやって後輩に注意していた。


 第三者の前で、客観的に説明できるか想像する。説明できない。女として見てない証拠が、出せない。悪魔の証明だ。


「そ、そうですね……」


 僕は感情を悟られないよう承諾する。揺野は「やったあ」と無邪気に笑った。


 バクバクと心臓が鼓動しているのが伝わってくる。生きているから当たり前なのに。仕事で大きなミスをしたときとかとまた違う。呼吸を吐くとギュウ、となるような、吸うと少し楽になるような、そういう鼓動。そして下腹部の、へその下あたりがキリキリする。足の指先は、そわそわして、脈が通ってる感じがする。それがなんとか知られないように、僕は気配を殺すようにして彼女とスパへ向かった。




 スパは八階建てで、入り口からエレベーターで七階のフロントに向かうシステムだった。揺野が先にエレベーターに乗り、ボタンを押し、扉が閉まり、階数表示の画面の数字がくるくると変わっていくと「彼女さんいらっしゃらないんですね」と揺野がこちらを見ずに言った。


「え」


「だって、彼女さんいるのに職場の女とカップル割でスパ入る人には見えないから」


「ま、まぁ、まぁ、そうです。そうですね。いないですけど……」


 だから、なのか。彼女がいないからという理由でカップル割要員として、選ばれたというのもあれだけど、こうなったわけで。まぁ、見た感じ彼女がいると思われないだろうし、だよな……と納得していれば揺野は「でもセクハラとかパワハラで訴えられたらどうしようかな」とつぶやいた。


「え」


「だって断れなくないですか? 一応私上司だし」


「いや……」


 反射的に否定の言葉が出た。これでは上司と思ってないみたいになってしまう。どっちの意味でも危ない。上司として敬ってないの意味でも、仕事外……プライベートで女として見てるみたいに誤解されても死ぬしかなくなる。


「いや、別に普通に、嫌みたいなのはないです」


 なるべく問題が無いよう返す。すると揺野は「今も言わせてるみたいだなぁ」と苦笑した。「満員電車で帰るの嫌だったんで」と続ければ、彼女は「なら……大丈夫ですかね」と、何故だか僕を疑うように見てくる。


「そんな、訴えたりしません」


「本当に?」


「本当です。というか、言えないというか……多分、言ったら責められるの僕のほうですよ。誰も味方にならない」


 絶対、お前が連れ込んだんだろみたいに言われかねない。そこまでの度胸があったらこうなってないけど、僕は年上で男で、揺野は年下で女というスペック上、どんなことがあろうと責められるのは僕だ。


「あ、ついた」


 揺野が呟き、エレベーターの開くボタンを押し、「どうぞ」と促してくる。「すみません」とすぐに出れば、彼女は「それを利用する女もいるかもしれないじゃないですか? なので、分かんないですよ」と言いつつ、フロントに向かう。


「いやあ、だって、そんなことされる人間じゃないし」


 なんだかおかしくなって、思わず敬語が外れてしまった。彼女は「いやぁどうかなぁ……」と笑う。そのままフロントにいたスタッフに「すみません、カップル割で」と声をかけた。スタッフは彼女を見た後、僕を見て、傍にあった会計用PCの操作を始める。


「料金は後払いです。館内では、ネックストラップにあるロッカーキーにお荷物を入れて頂きます。収納が難しければお声掛けください。ストラップのこちらについてあるバーコードでお買い物ができます。最後、退館のおりに入館料と一括清算となりますが、ネックストラップおよびロッカーキーを紛失された場合、紛失分の代金も追加加算となりますのでご了承くださいませ」


「じゃあ、別々に出ることは」


 揺野が問いかける。するとスタッフが「原則ご一緒に出て行く形で」と申し訳なさそうな顔をした。


「ありがとうございます。問題ないです……大丈夫?」


 揺野がこちらに振り返った。僕は慌てて「あ、はい」とかしこまった返事をしてしまう。


 いったい今、僕と彼女はどう見えているのだろうか。僕のが年上で彼女は年下。カップル割だから恋人……に見られているんだろうけど、僕がかしこまって彼女が堂々としているわけで。


 レンタル彼女にでも見えているのだろうか。居た堪れなくなってきた。そのままフロントスタッフの説明を聞き、奥へ入っていくと「男」「女」と着物みたいな刺繍がされた暖簾で区切られた空間に出る。和風系スパ、らしい。入口の時点で気付くべきだったけど、色々思うことがありすぎて気づくのが遅れた。館内着もあるらしく、すでに中で過ごしていたらしい人々は、浴衣や甚兵衛を着て歩いていた。家族連れに、友人同士らしい女子グループに、カップル……やっぱり今、とんでもないことをしているのではと血の気が引いていれば、先を歩いていた彼女がくるりとこちらに振り返った。


「結構ゆっくり浸かりたいですか? お風呂」


「え、あ、そ、そうですね……温泉だし……」


 考える時間が欲しい。というかこのまま後は別行動のほうがいいんじゃないか。どうすればいいのか悩んでいれば、彼女は「ロッカーに荷物預けて、お風呂入って髪を乾かしたり……四十分後に、あのベンチでいいですかね?」と、お風呂から出た後に落ち合うような、椅子の並ぶスポットを指した。そばにはそれっぽいお土産コーナーがあり、饅頭まで並んでいた。


「あ、そうですね……」


 僕はさっきと似たような相槌をうつ。彼女は「じゃあ、またここで」と笑った後、女湯の暖簾をくぐっていった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ