揺野さんのお誘い
翌日、僕は気を引き締めて家を出た。昨日は揺野に対して半ば八つ当たりみたいな対応をしたぶん、仕事で取り戻さなければと普段より二本早い電車に乗り込み、普段しないメールチェックを行う。今日は揺野と共同で行っている案件の、今後確認を取らなきゃいけない部分を先だってフォローしておき、円滑に進めていけるようにしたい。
仕事で取り返す。
そうしていつになくやる気を出して会社に到着し、三分も経たずして計画が狂った。
「あの、再来週の日曜日って開いてますか」
「え」
デスクで仕事していると、揺野が声をかけてきた。まさか声をかけられるとは思わず戸惑っていると、揺野は「今メール送ったんですけど」と付け足す。
「すいません、今見ます」
「はい」
僕がメールフォルダを開こうとすると、揺野はかがんで一緒に見ようとしてきた。僕が座っているデスクに人差し指、中指、薬指だけで手をついている。彼女のひじのあたりと僕の脇腹まで五センチくらいしかないし、普段見えない角度で彼女の肩が見える。ぽつ、とした赤いニキビが見えて、異様な生身さが感じられ、胸下の筋肉が強張った。
「えっと、なにか、急ぎの確認ですか」
「いや、今年の新入社員歓迎会、どうしてもスケジュールがたたなくて休日にすることになったんですけど、大丈夫そうかなって」
「え……」
新着メールフォルダを開き、揺野の宛名を探す。すると一斉送信メールで、歓迎会がわりのバーベキュー開催に関する旨の知らせがあった。もしかしたらこれが、派遣社員を外した飲み会向けのフォローかもしれない。
「休日出勤扱いじゃなく、任意なんですけど……なるべく参加してもらいたくて」
「あぁ……」
こういう行事は嫌いだ。任意なら参加したくない。しかし揺野がわざわざ僕のところに来るということは暗黙の了解として参加が義務付けられたものなのだろう。こういう感じが面倒なんだよな、と思う。言葉通りに受け取っちゃ駄目というか、空気読み検定みたいなのが理不尽かつランダムに発生し、それがじっとりと続く感じ。
「大丈夫、です」
普段なら『調整します』と言って逃げに入るけど、昨日のことで後ろめたさのあった僕は承諾した。
「大丈夫?」
揺野は、どこかホッとした様子で顔を明るくした。また敬語が外れている。
「まぁ……電車とかが止まらなきゃ……大丈夫かと」
「そしたら中止だよ」
揺野がツッコミを入れてくる。心なしか馴れ馴れしい……?
いや、馴れ馴れしいとはいわないか。や、柔らかい?
「あ、私服だからね。差し入れとかは持ってこなくていいから。手ぶらで。すっごく前の年に、持ち込みで事故起きたらしくて、普通にバーベキュー場で全部用意してくれるやつだから」
「あ、ありがとうございます」
じゃあもうほとんど焼肉みたいな感じか。いかにもな感じだとあれしてこれしてが多そうだし、何していいか分からなくて立ってれば怒られそうだし、勝手にやっても怒られそうで
逃げ場がない。良かった。
「……体調どう?」
もう話は終わりだと思っていると、揺野が聞いてくる。「昨日ビールだったし、二日酔いだったのかなって」との言葉に、強い申し訳なさを覚えた。僕のそっけなさを彼女は体調不良と誤認しているらしい。実際はもっと俗っぽくて救いようがない。
「すみません。お手数おかけしました」
「元気ならいい。元気なのが一番だから」
彼女は「お仕事の邪魔してすみませんでした」と言って去っていく。
敬語が戻っている。まるで、僕と話をしているときだけ意図的に外したみたいに。
そんな馬鹿みたいな思いに至って、ありえないとすぐに自意識を遮断し、僕は仕事に打ち込んだ