第1章9節: 旅立ちの準備と町での噂
目的地が決まれば、話は早い。あたしたちは早速、旅立ちの準備に取り掛かった。
まずは装備の調達だ。あたしはアルヴィンの財布を再び拝借し(もちろん彼の了承は得ている……はずだ)、市場で必要最低限のものを買い揃えた。丈夫な革のブーツ、動きやすい旅装束、そして何より、しっかりとしたサバイバルナイフ。これでようやく、丸腰状態から脱却できた。ついでに、携帯用の調理器具として、小型の鉄鍋とフライパン、それに塩や香辛料の類を入れられそうな小さな革袋もいくつか手に入れた。中身はまだ空っぽだが、これから見つけていく楽しみがある。
一方、アルヴィンは、自分の研究道具と称して、大量の本や羊皮紙を背負い袋に詰め込んでいた。どう見ても重そうだ。
「おい、アル。そんなに持って行けるのかよ?」
「だ、大丈夫です! これらは私の知識の源泉ですから!」
ぜえぜえ言いながらも、彼は荷物を手放そうとしない。まあ、本人がいいなら構わないが、旅の途中でへばらないか心配だ。
準備を整えている間にも、ラルンの町ではあたしたちに関する噂が広まっていたらしい。
「広場で変な料理を作ってたエルフがいるぞ」
「なんでも、キノコを焼いただけなのに、めちゃくちゃ美味いらしい」
「それだけじゃない、あのガラの悪いチンピラどもを、一瞬で伸しちまったんだと!」
「見た目はか弱いお嬢さんなのに、実はとんでもない武闘派らしいぜ」
そんな噂話が、市場や宿屋で囁かれていた。おかげで、あたしたちが町を歩いていると、好奇と、少しの畏敬が入り混じった視線を向けられるようになった。中には、昨日あたしのキノコ料理を食べた住民が、「あのエルフのおかげで、焼いた肉が前より美味しく感じるようになった!」なんて言い出す始末だ。まあ、気のせいだろうが、悪い気はしない。
昨日あたしが焚き火をしていた広場の隅では、何人かの主婦らしき女性たちが、見よう見まねで野菜を炒めようとして、黒焦げにしている姿も見かけた。まだまだ道のりは遠そうだが、ほんの少しだけ、変化の兆しが見えた気がした。
衛兵たちも、あたしたちを見る目が変わっていた。門を通る際も、以前のような怪訝な顔ではなく、どこか敬意を払うような態度で見送ってくれた。腕っぷしが強いというのは、こういう世界ではそれだけで信用になるのかもしれない。
全ての準備を終え、あたしたちは「眠れるフクロウ亭」の老爺に別れを告げ、ラルンの町の西門から外へと出た。
目の前には、地平線まで続くかのような広大な緑の平原――グランデール平原が広がっていた。風が草を揺らし、どこまでも続く青空が広がっている。
「さて、行こうぜ、アル!」
「はい、ミラさん!」
あたしは新しいブーツの感触を確かめるように、力強く一歩を踏み出した。隣では、大量の荷物を背負ったアルヴィンが、期待に満ちた目で前を見据えている。
エルフの皮を被った元・豪腕冒険料理人の、料理という概念が存在しない異世界での胃袋無双の旅は、まだ始まったばかりだ。
これからどんな未知の食材と出会い、どんな人々を驚かせ、そしてどんな美味い料理を作り出すことになるのか。
あたしは、広大な平原の向こうに待つ冒険に胸を躍らせながら、西へと向かう道を歩き始めた。