第1章7節: 腹ペコ魔法使いと本気の朝食
翌朝。あたしは日の出と共に目を覚ました。冒険家としての習性だ。エルフの体になっても、それは変わらないらしい。隣を見ると、アルヴィンは机に突っ伏したまま眠っていた。どうやら、あたしが寝た後も何か調べ物をしていたようだ。
さて、約束通り朝食の準備だ。
まずは材料の調達。あたしは眠っているアルヴィンを起こさないように、そっと部屋を抜け出し、彼の財布から銀貨を数枚拝借した。まあ、食費は持つって言ったんだから、これくらいは許されるだろう。
朝のラルンの町は、昨日とはまた違った活気に満ちていた。広場には朝市が立っており、新鮮そうな野菜や果物、昨日見たのと同じような(しかし素材としては良質な)肉や魚、そして穀物などが並んでいる。あたしはその中から、手頃な値段で売られていた鳥の卵、麻袋に入った粗挽きの麦、そして野菜をいくつか(見た目で判断したが、おそらく根菜と葉物だろう)購入した。ついでに、一番安かった小さな鉄鍋と、これも安物のナイフを一本手に入れた。これで最低限の調理はできる。
宿に戻ると、アルヴィンが目を覚まして、あたしの置き手紙(「材料買い出し、金借りた」とだけ書いた)を見て目を丸くしていた。
「ミラさん! お、お金なら私が出しますのに……」
「いいんだよ、立て替えといただけだ。それより、見てろ。今から美味いもん作ってやるから」
あたしは買ってきた食材を広げ、早速調理に取り掛かった。宿の裏には共同の洗い場と簡単な竈があったので、そこを使わせてもらうことにする。宿の老爺は、アルヴィンの連れだとわかると、特に何も言わずに場所を貸してくれた。
まずは、粗挽きの麦。これを鍋に入れ、水を加えて火にかける。そのまま煮れば、この世界で一般的な(そして味気ない)粥になるんだろうが、あたしはそうしない。
買ってきた根菜(カブのような味がした)をナイフで細かく刻み、麦と一緒に煮込む。さらに、葉物の野菜(少し苦味があるが、火を通せば甘みが出そうだ)も刻んで加える。味付けは……塩がないのが痛いが、仕方ない。素材の味を信じよう。焦げ付かないように、時々木のヘラ(これも市場で買った)でかき混ぜながら、弱火でことこと煮込んでいく。
次に、卵だ。幸い、新鮮で黄身の色が濃い、良い卵だった。
あたしは熱した鉄鍋に、市場で分けてもらった獣脂(おそらく豚か何かの脂だろう)を少量溶かし、そこに卵を割り入れた。
ジュッ、と小気味良い音がする。あたしは鍋を巧みに操り、白身が均一に広がるようにする。白身の縁がちりちりと焦げ付き始め、香ばしい匂いが漂ってきた。黄身は半熟、白身はカリッと。完璧な目玉焼きを目指す。これも、料理の基本中の基本だ。
アルヴィンは、あたしの手際の良さと、見たこともない調理法(彼にとっては)に、口を開けて見入っている。
「ミラさん……それは……?」
「見てわかんねえか? 麦と野菜の煮込みと、目玉焼きだよ。朝飯の定番だ」
「テイバン……?」
言葉が通じていない。まあ、そうだろうな。
やがて、麦の煮込みが良い具合にとろみを帯び、野菜も柔らかくなった。火から下ろし、木の器(これも拝借した)に盛り付ける。隣には、完璧な半熟具合に焼きあがった目玉焼きを添える。見た目は地味だが、栄養バランスは悪くないはずだ。
「さあ、できたぞ。食ってみな」
あたしはアルヴィンに器を差し出した。彼は、恐る恐る、しかし期待に満ちた目でそれを受け取り、まずは煮込みから一口、スプーン(これも借り物)で掬って口に運んだ。
次の瞬間、アルヴィンの動きが、ピタリと止まった。
そして、昨日、キノコを食べた少年と同じように、目がカッと見開かれる。
「こ、これは……!!」
彼は震える手で、もう一口、また一口と煮込みを口に運ぶ。
「なんという……滋味深い味わい……! 麦の優しい甘みと、野菜の複雑な風味が渾然一体となって……! 塩気がないはずなのに、しっかりと味が感じられる……! 不思議だ……!」
次に、目玉焼きに手を伸ばす。ナイフで黄身を割ると、とろりとした黄金色の黄身が流れ出した。それを白身に絡めて、一口。
「!!!!!!」
今度は、声にならない叫びを上げ、椅子から転げ落ちそうになっている。
「た、卵が……卵がこんなにも濃厚で……! 火を通しただけのはずなのに、どうしてこんなにも……! 白身の香ばしさと、黄身のまろやかさが……ああ……!」
アルヴィンは、もはや感動のあまり言葉にならない様子で、一心不乱に朝食をかき込んでいた。その姿は、腹ペコの魔法使いというより、初めてご馳走にありついた子供のようだ。
「……大袈裟な奴だな」
あたしは呆れながらも、自分の作った料理がこれほどまでに喜ばれるのを見て、悪い気はしなかった。むしろ、料理人としての血が騒ぐのを感じる。
この世界には、まだまだあたしの料理で驚かせられる人間(や、他の種族も?)がたくさんいるんだろうな。