第2章2節: 平原の恵みと最初の実験
グランデール平原での旅は、数日に及んだ。
昼間はひたすら歩き、古代穀物の手がかりを探す。夜は野営し、乏しい食料で腹を満たす。ラルンで買った食料はすぐに底をつき、基本的にはあたしが道中で調達する食材に頼ることになった。
幸い、この平原は恵みに満ちていた。グランデール・バイソンはさすがに手を出さなかったが、もう少し小型の、鹿に似た動物(アルヴィン曰く『ホーンディア』)を仕留めることには成功した。ナイフ一本での解体は骨が折れたが、新鮮な肉は焚き火で焼くだけでも十分に美味かった。獣脂も採取できたので、調理の幅が少し広がった。
他にも、地面に生えている球根(芋のような味がした)や、鳥の巣から拝借した卵、そして薬効のある野草など、あたしのサバイバル知識とエルフの鋭い感覚が、次々と食料や有用な植物を発見していく。
「すごい……ミラさん、あなたがいれば食料に困ることはありませんね。まさに歩く食料庫です!」
「失礼な言い方だな。まあ、否定はしねえけど」
アルヴィンは、あたしが調達してくる食材と、それを調理する(といっても焼くか煮るかだが)手際の良さに、毎日感嘆の声を上げていた。
だが、問題もあった。調味料の不足だ。ラルンで塩を手に入れられなかったのが痛い。岩塩でも見つかればいいのだが、この広大な平原では望み薄だろう。料理の味付けは、もっぱら素材の味頼み。悪くはないが、やはり物足りなさを感じる。
「塩……塩があればなあ……。あのホーンディアの肉も、塩さえあればもっと美味くなるのに」
「塩、ですか……。そういえば、伝承の一つに『塩辛い風が吹く沼地』に古代穀物が実る、というものがありましたね。もしかしたら、その沼地の水や泥から塩分が採れるかもしれません」
「ほう、塩辛い沼地ねぇ。それは有力な情報だな。どこにあるんだ?」
「それが……正確な場所は不明でして。平原のどこかにある、としか……」
「使えねえな、あんたの伝承は」
「うっ……面目ない……」
肩を落とすアルヴィン。まあ、仕方ないか。伝説なんてそんなもんだろう。
そんなある日の野営の夜。あたしはホーンディアの肉を厚切りにして、石板の上で焼いていた。獣脂を引いて焼いているので、香ばしい匂いが漂う。
「美味そうだ……」
隣でアルヴィンが涎を垂らしそうな顔で見ている。こいつもすっかり、あたしの作る(原始的な)料理の虜だ。
肉に火が通り、良い具合に焼き色がついた。さて、食うか、と思った時、ふとアルヴィンが言った言葉を思い出した。
――魔法を使えば、火力調整も自在です。
この肉、もう少しだけ、表面をカリッとさせたい。でも、これ以上焼くと中まで火が通り過ぎて硬くなる。もし、魔法で一瞬だけ、表面だけに強い火力を当てることができたら……。
「……なあ、アル」
「はい、なんでしょう?」
「魔法で、火を強くしたり弱くしたりって、簡単にできんのか?」
「えっ? ああ、はい! 火の元素魔法の基本的な応用ですよ。魔力の込め方次第で、蝋燭の灯火から、鍛冶場の炉のような高温まで、自在に操れます!」
アルヴィンは、あたしが魔法に興味を示したのが嬉しいのか、待ってましたとばかりに説明を始めた。
「やってみせてくれよ。この肉で」
「えっ!? この肉で、ですか?」
「ああ。この表面を、ほんの一瞬だけ、強い火で炙る感じで。カリッとさせたいんだ」
「な、なるほど……! 料理への応用……! やってみましょう!」
アルヴィンは興奮した様子で立ち上がり、石板の上の肉に向かって手をかざした。そして、何事か短い呪文のようなものを呟く。
「――熾火よ、我が意に従い、一瞬の煌めきとなれ!」
瞬間、アルヴィンの手のひらから、小さな火の玉が飛び出し、肉の表面を舐めるように走った!
パチパチッ! と音を立てて肉の表面の脂が弾け、一瞬で香ばしい焼き色が濃くなった。そして、火の玉はすぐに消え去った。
「……おぉ」
あたしは思わず声を上げた。完璧だ。まさに、あたしがイメージした通りの焼き加減。表面はカリッと香ばしく、中はジューシーさを保っているはずだ。
「ど、どうでしょう……? これで良かったでしょうか?」
アルヴィンが、期待と不安が入り混じった顔で尋ねてくる。
「……ああ。上出来だ、アル。やるじゃねえか」
あたしはナイフで肉を切り分け、一切れを口に放り込んだ。
「…………!!」
美味い! さっきまでとは段違いだ!
表面のカリッとした食感と香ばしさ。噛み締めると、中から溢れ出す肉汁の旨味。塩気はないが、肉本来の味が凝縮されていて、たまらない美味さだ! 魔法、すげえ……!
「ミラさん! その表情……成功ですね!」
「……ああ。文句なしだ。お前も食ってみろ」
あたしは肉の塊をアルヴィンに差し出した。彼は目を輝かせて受け取り、恐る恐る一口。
「!!!!!! ……お、おおおお……! 美味しい……! なんて力強い肉の味……! 表面の香ばしさが、中の旨味をさらに引き立てている……! これが、魔法と料理の融合……!」
アルヴィンは、またしても感動のあまり打ち震えている。こいつ、本当にリアクションが大きいな。
「なあ、アル。その火の魔法、あたしにも使えたり……しないか?」
気づけば、そんな言葉が口をついて出ていた。魔法なんて、と思っていたはずなのに、目の前の圧倒的な「美味さ」が、あたしの考えを揺さぶり始めていた。




