第6話 親友の来訪と、神様のやきもち
あの、神様とのまさかのお風呂体験から数日が過ぎた。ナギ様はあれ以来、少しだけ私に対して態度が軟化した…ような気がしないでもない。いや、正確には、私に対する「構ってほしい」アピール――有り体に言えば「わがまま」の質が、若干変化した、と言うべきだろうか。
以前はただ「腹が減った」「退屈じゃ」だったのが、近頃は私が神社の務めや学校の宿題をしていると、足元にすり寄ってきて邪魔をしたり、「巫女よ、我の髪を結え」「何か面白い話はないのか」と、直接的な要求が増えたのだ。まるで、自分以外のものに私の意識が向くのが気に入らない、とでも言いたげに。…まあ、神様相手に失礼な物言いだと自覚はしているけれど、正直な感想だ。
その日の朝も、私は学校へ行く準備で慌ただしくしているというのに、ナギ様は私の足元に影のようについて回り、「巫女、今日の甘味はまだか?」「この光る板で、昨日の続きが見たいのじゃ」「おい巫女、我と遊べ」と、矢継ぎ早に要求を繰り出してくる。
「もう、ナギ様! 今は忙しいんですってば! 甘味は帰ってきてから! スマホは昨日で終わり! 遊びません!」
子供をあやすように言いながら、私は食パンをトースターに放り込み、制服のリボンを結ぶ。朝のこの攻防は、もはや日常の風景となりつつあった。大変ではあるけれど、どこか賑やかで、以前の静かすぎた日常よりは良いのかもしれない、なんて思う自分もいるから、我ながら甘いのだろう。
しかし、この神様中心の生活は、確実に私の睡眠時間を削っていた。夜、ナギ様にせがまれて昔話や神社の伝承を語って聞かせているうちに、つい夜更かししてしまうのだ。その結果、学校では猛烈な睡魔に襲われることになる。
「……みやもり……宮森!」
「はっ、はいっ!」
古典の授業中、先生の声にはっと意識を引き戻される。どうやら、完全に舟を漕いでいたらしい。クラスメイトのくすくす笑う声が聞こえてきて、顔が熱くなる。
昼休みには、心配した友人の佳奈(佳奈ちゃんは、私とは中学からの付き合いで、数少ない気心の知れた友達だ)が、私の席までやってきた。
「詩乃、あんた最近なんか疲れてない? 目の下にクマできてるよ?」
「え? そ、そうかな? ちょっと家の手伝いが忙しくてさ……あはは」
必死で誤魔化すが、佳奈は疑うような目を向けてくる。
「ふーん? 家の手伝いねえ……。もしかして、彼氏でもできたんじゃないのー?」
「でっ、できてないって!」
思わず大声で否定してしまい、さらに怪しまれた気がする。ナギ様の存在は、絶対に秘密にしなくてはならないのだ。冷や汗が背中を伝った。
そんな心配をよそに、その日の放課後、事件は起こった。
私が境内の掃き掃除をしていると、背後から元気な声が聞こえたのだ。
「やっほー! 詩乃、手伝いに来たよー!」
振り返ると、そこには笑顔の佳奈が立っていた。手には、なぜか竹箒まで持っている。
「ええっ!? 佳奈!? なんでここにいるの!?」
私は素っ頓狂な声を上げた。学校から神社までは少し距離があるし、佳奈が突然訪ねてくるなんて、滅多にないことだ。
「だーかーらー、詩乃が最近大変そうだからさ! ちょっとでも手伝えたらなって! 親友でしょ?」
にぱっと笑う佳奈。その気持ちは、涙が出るほど嬉しい。嬉しいけれど、今は最悪のタイミングだった。だって、家の中には、あの自由奔放な神様がいるのだから!
「い、いや、本当に大丈夫だって! 気持ちは嬉しいけど、今日はもう終わりにするから!」
「えー? 遠慮しないでって! ほら、そっち持つよ!」
佳奈は私の制止も聞かず、ずかずかと境内に入ってきて、落ち葉を集め始めようとする。まずい、このままでは家に上がりこまれかねない……!
私が必死で佳奈を境内から追い返そうと画策していた、まさにその時。
社務所兼自宅の、私の部屋がある二階の窓から、銀色の長い髪をした小さな頭が、ひょこっと覗いたのが見えた。ナギ様だ! きっと、外の騒ぎに気づいて様子を見に来たのだろう。
「ひぃっ……!」
私は悲鳴を飲み込み、心臓が口から飛び出しそうになるのを必死でこらえた。佳奈はまだ気づいていない。今のうちに、なんとかしなければ!
「か、佳奈! ごめん、やっぱり今日は予定があるんだった! それよりさ、駅前の新しいクレープ屋さん、知ってる? めっちゃ美味しいんだって! 今から行かない!?」
自分でも驚くほどの早口で捲し立て、私は佳奈の腕を掴むと、有無を言わさず神社の門の外へと引っ張っていった。
「えー? なになに、急に? クレープ? 詩乃がおごってくれるならいいけどー?」
怪訝な顔をしつつも、食べ物の名前に釣られたらしい佳奈。私は「もちろん!」と見栄を切り、内心で自分の財布の中身を心配しながら、足早にその場を離れた。
なんとか佳奈の注意を逸らし、クレープ屋で時間を潰して(もちろん私のおごりだ)、ようやく解放されたのは、日が傾き始めた頃だった。佳奈は最後まで「なんか今日の詩乃、変だったよ? 本当に何も隠してない?」と疑いの目を向けていたけれど、なんとか誤魔化しきった、はずだ。疲労感がどっと押し寄せる。秘密を守るというのは、これほどまでに神経をすり減らすものなのか。
へとへとになって神社に戻ると、私の部屋では、ナギ様が座布団の上でぷんすかと頬を膨らませていた。明らかに、ご機嫌斜めだ。
「……おかえり、巫女」
「た、ただいま戻りました……あの、ナギ様、どうかされましたか?」
「……別に。何でもない」
そう言って、ぷいと横を向いてしまう。けれど、その全身からは「面白くない」というオーラが溢れ出ている。
(あ……もしかして……)
私が慌てて佳奈を連れ出したのを見て、自分が蔑ろにされた、と拗ねてしまったのかもしれない。子供か! いや、子供のような神様なんだった。
私は、はぁ、と深いため息をつき、ナギ様の隣に座った。
「あのですね、ナギ様。さっきのは、その……友人だったんです。ナギ様のことを秘密にしているので、見られたら大変だと思って……決して、ナギ様より友人を優先したわけでは……」
言い訳がましく説明する私に、ナギ様はちらりと視線を向ける。
「……ふん。あの人間が、巫女の『しんゆう』とやらか」
「え、まあ……そうですけど……」
「……我より、大事なのか?」
拗ねた子供のような、それでいて少しだけ不安げな響きを帯びた問いかけ。その言葉に、私は胸の奥を掴まれたような気持ちになった。
忘れられた神様。永い時間を、おそらくはずっと一人で過ごしてきたのだろう。だから、唯一自分を認識してくれる私という存在に、これほどまでに執着してしまうのかもしれない。その孤独を思うと、昼間のドタバタや胃の痛みなんて、些細なことに思えてくる。
私は、そっとナギ様の小さな頭を撫でた。銀色の髪は、絹糸のように滑らかだ。
「違いますよ。私にとっては、ナギ様が一番大切です」
我ながら、少し恥ずかしいことを言った自覚はある。けれど、それは偽りのない本心だった。
私の言葉に、ナギ様は驚いたように目を丸くし、そして、みるみるうちに顔を赤くして、再びぷいとそっぽを向いてしまった。でも、その耳まで真っ赤になっているのが見えて、私は思わずくすりと笑ってしまった。
まったく、本当に手のかかる、愛おしい神様だ。
この関係が、これからどうなっていくのか、私にはまだ分からない。けれど、この小さな神様の寂しさに、そして私に向けてくれる独占欲のような強い想いに、きちんと向き合っていかなければならない。
そんな覚悟を、私は春の柔らかな夕暮れの中で、静かに決めていた。とりあえず、今日の夕飯は、ナギ様の大好物の甘い卵焼きを、また作ってあげよう。
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