第4話 神様の暇つぶしは、巫女の胃痛の種
ナギ様が我が家――もとい、水杜神社の社務所隣の私の部屋に居候(神様に対して失礼極まりない表現だが、実態はそれに近い)を始めてから、一週間ほどが過ぎた。私の日常は、その存在によって、良くも悪くも劇的に変化していた。そして、その変化の大半は、私の胃痛の種として積み重なっているというのが正直なところだ。
最初の数日は、私の部屋の中だけで大人しく(?)していたナギ様だったが、どうやら部屋の探検にも飽きてしまったらしい。近頃は、私が学校に行っている間や、神社の務めで少し目を離した隙に、家の中や、あろうことか神社の境内まで勝手にうろつき回るようになっていた。
「ナギ様! お願いですから、勝手に外に出ないでください! もし誰かに見られたら……!」
「ふん、何を慌てておるのだ、巫女よ。我の姿なぞ、お前以外の人間には見えぬというのに。それに、この境内はそもそも我の庭じゃ。どこを歩こうが我の勝手であろう」
そう言って、神様はどこ吹く風。確かに、ナギ様の姿は普通の人には見えないらしい。それは先日、境内で鉢合わせした宅配便のお兄さんが、私の隣に立つ(ように見えているはずの)ナギ様に全く気づかなかったことで証明されている。とはいえ、物が勝手に動いたり、誰もいないはずの場所から声(主にナギ様のわがまま)が聞こえたりするのは、普通に怪奇現象だ。いつか大騒ぎになるのではないかと、私の心配は尽きない。
そして、最近の私の最大の悩みは、ナギ様の底なしの食欲だった。力が弱まっているせいか、あるいは単に食いしん坊なのか、とにかくよく食べる。私が学校に行っている間に、台所に置いてあった食料――特に、私が楽しみに取っておいたお菓子や、季節の果物――が、ことごとく消えている事件が頻発しているのだ。
「ナギ様! また勝手に食べましたね! 私の分の桜餅まで……!」
「む? ああ、あれか。桜の香りがして、なかなか美味であったぞ。神饌として、有り難く頂戴つかまつった」
「神饌じゃありません! 私のおやつです!」
言い訳がまた神様っぽいのが腹立たしい。私がどんなに巧妙に隠したつもりでも、ナギ様は神様パワー(としか思えない何か)でいとも簡単に探し当ててしまう。私のお小遣いが、神様の食費(主におやつ代)に消えていく日々。巫女の給金、上げてほしい……(出てないけど)。
食欲だけでなく、ナギ様の好奇心もまた、留まるところを知らない。私の部屋の漫画や雑誌はあらかた読み尽くしたらしく、今度は神社の古い道具に興味を持ち始めたようだ。
ある日の午後、私が本殿の掃除をしていると、どこからか「ちりん、ちりん」と涼やかな音が聞こえてきた。まさか、と思って社務所を覗くと、案の定、ナギ様が神楽で使う神楽鈴を手に持ち、楽しそうに振り回していた。
「ナギ様! それは神事の大切な道具で……!」
「ふむ、なかなか良い音色じゃのう。巫女もこれで舞ってみせよ。退屈しのぎになるやもしれん」
「舞いません! っていうか、勝手に持ち出さないでください!」
またある時は、社務所の隅に置かれた、もう何年も使われていない黒電話(ダイヤル式の古いものだ)を、不思議そうにいじくり回していた。
「巫女よ、この黒い塊は何じゃ? 指で穴をくるくる回すと、ジーコジーコと奇妙な音がするではないか」
「それは電話機です……昔の……って、壊したらどうするんですか!」
極めつけは、私が幼い頃、亡くなった祖母から貰って、ずっと大切に机の引き出しにしまっていた、小さな兎の根付。それが、ある日忽然と姿を消したのだ。家中を探し回り、半泣きになっていた私を、ナギ様はどこか面白そうに眺めていた。そして、私が諦めかけた頃に、「ふん、そんなものなら、さっき本殿の裏で見かけたぞ?」と、しれっと教えてくれたのだ。もちろん、隠したのはナギ様本人に違いなかった。からかわれたのだ。神様に。
「もう……! いい加減にしてください!」
さすがに堪忍袋の緒が切れかけた私に、ナギ様は悪びれる様子もなく言った。
「何を怒っておるのだ。巫女が慌てる様は、なかなか愉快であったぞ」
……この神様、性格が悪いのではなかろうか。
そんなやりたい放題が続いたある日の午後。事件は起こった。
その日、ナギ様は神社の縁側で、念動力(としか思えない力)を使って、庭の小石をいくつか宙に浮かせて遊んでいた。まるで、お手玉でもするように、小石がふわふわと宙を舞う。本人(神?)は退屈しのぎのつもりなのだろうが、傍から見れば完全に怪奇現象だ。
「ナギ様、危ないですからやめて……」
私が注意しようとした、まさにその時。神社の門の方から、聞き覚えのある声がした。近所に住む、噂好きで知られる鈴木のお婆さんだ。
「宮森さんとこのお嬢さーん、いるかーい?」
まずい! このタイミングで! しかも、お婆さんの視線は、明らかに小石が浮いている縁側の方を向いている!
「ひぃっ!」
私は悲鳴を上げそうになるのを必死でこらえ、電光石火の速さで縁側に駆け寄り、ナギ様の小さな体を自分の背中に隠した。同時に、浮かんでいた小石が、バサバサと地面に落ちる。
「あれ? 今、何か……?」
訝しげな顔で近づいてくるお婆さんに、私は必死で笑顔を取り繕った。
「い、いえ! 何でもありませんよ、鈴木さん! きっと、風で木の葉でも舞ったんでしょう! 今日は風が強いですから!」
「ふぅん? そうかい?」
幸い、お婆さんは特に疑う様子もなく、「回覧板、持ってきたよ」と用件を済ませて帰っていった。私はその場にへたり込み、どっと冷や汗が噴き出すのを感じた。心臓が、まだバクバクしている。
「……もう! 本当に、心臓に悪いですから! ああいうのはやめてくださいって言ってるじゃないですか!」
背後でけろりとしているナギ様に、私は涙目で抗議した。
「何を慌てておる。見られたとしても、我の姿なぞ、あの人間には見えぬと申したであろう」
「姿が見えなくても、石が浮いてたら誰だって驚きます!」
「ふん、人間はつまらぬことで騒ぐものよ」
全く反省の色がない神様に、私は深いため息をつくしかなかった。この神様の「しつけ」、どうすればいいのだろうか……。いや、そもそも神様に「しつけ」という概念は通用するのだろうか。
その夜。私が今日の出来事を(主にナギ様への愚痴を)日記に書きつけていると、すでに布団に入っていたナギ様が、もぞもぞとこちらに顔を向けた。
「……巫女よ」
「はい、なんでしょうか」
「……退屈じゃ。何か、面白い話はないのか?」
昼間の悪戯をすっかり棚に上げて、甘えるような声でねだってくる。そのあまりの切り替えの早さに呆れつつも、私は筆を置いた。昼間あれだけ振り回されたのに、こうして甘えられると、なんだか許してしまう自分がいる。絆されている、完全に。
「……仕方ないですね。じゃあ、昔、お婆ちゃんから聞いた、この神社の古いお話をしましょうか」
私は、灯りを少し落とし、静かな声で語り始めた。それは、この水杜神社がまだ人々の信仰を集め、ナギ様も大きな力を持っていた頃の、少し不思議で、どこか物悲しい物語。
話をしているうちに、隣からは静かな寝息が聞こえてきた。いつの間にか、ナギ様は私の話を聞きながら、安心して眠ってしまったらしい。その無垢な寝顔を見ていると、昼間の騒動が嘘のように思えてくる。
本当に、手のかかる神様だ。やりたい放題で、わがままで、ぐーたらで。でも、時折見せる寂しげな表情や、こうして無防備に眠る姿を見ていると、どうしても放っておけない。
(まあ、仕方ないか……)
私はもう何度目か分からない溜め息をつき、そっとナギ様の布団をかけ直した。この小さくて大きな神様との奇妙な同居生活は、まだ始まったばかり。これから一体、どんな騒動が待ち受けているのだろうか。
春の夜風が、開け放たれた窓からそっと吹き込み、私の少しだけ疲れた頬を撫でていった。
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