第59話 けじめ
文化祭開催は土曜。週明けの月曜は代休と決まっている。その月曜に洗濯したジャージを返すため、僕は土佐辺くんの家に来ていた。明日学校で渡しても良かったんだけど、二人だけで実行委員の打ち上げ兼反省会をやろうと誘われたのだ。
「お邪魔します。これ、手土産」
「気ィ使わなくていーのに。でもサンキュ」
母さんから持たされた焼き菓子の詰め合わせが入った紙袋と洗濯済みのジャージを渡す。
「おうちの人は?」
「平日だから仕事」
「そっか、うちもそうだった」
代休なのは将英学園だけで、亜衣は学校、両親は仕事に行っている。土佐辺くんの家もそうだ。ちなみに、お姉さんは就職して一人暮らしをしているらしい。
リビングには飲み物とお菓子が用意されていた。ソファーに座り、今回の文化祭における反省点や要望などを挙げていく。これは後日レポートにまとめて学校側に提出する実行委員に課せられた宿題のようなものだ。来年以降の文化祭運営に役立てるという目的がある。
「テーブルクロス、出来が良いから残したいんだよね。来年も何かに使えると思うし」
「備品扱いで保管してもらうか」
「あと、どこでなにを仕入れたかリストを作っておきたい。近場の店に馴染みがなくて困ったもん。一年生は特にそうじゃないかな」
「そうだな。あれば助かると思う」
他にも細々とした意見を挙げ、レポートを書き上げる。明日これを提出してしまえば実行委員の仕事は終わりだ。
「井手浦のこと、ちょっと調べてみた」
「メガネの先輩に聞いたの?」
「いや。別ルートから」
どこで誰とどう繋がってるんだ。
土佐辺くんの情報源は謎が多い。
「アイツ、中学時代は相当遊んでたらしい。成績は良いが素行が悪過ぎて将英学園には入れなかったんだと」
「それで工科高校に?」
「そう。あっちでは成績トップでかなり優遇されてて、多少やらかしても見逃してもらえてるって話だ」
制服は将英学園に対する未練なのだろうか。
「文化祭の時の動画は今後なにかあった時の切り札だ。ま、あれだけ脅しておけば二度と安麻田には近付かねえと思うが念のため保存しておく」
どうやら既に大学の推薦が決まっているらしいから、卒業まではおとなしくしてくれると信じたい。もし悪さをすれば今度こそ先輩は潰される。
「家庭環境が複雑だとか色々聞いた。でも、そんなの免罪符にはならねーからな」
「……そうだよね」
僕は先輩のことを知らない。飄々とした笑顔の裏でなにを考えていたのか、なにを求めていたのか知ろうとすら思わなかった。もしかしたら、普通の先輩後輩として仲良く笑い合えていたかもしれないのに。
「オレ、安麻田に言わなきゃならないことがあるんだ」
「なに?」
隣に座る土佐辺くんが姿勢を正し、こちらに向き直る。首を傾げていると、彼は何度か口を開き掛けては噤むを繰り返した。いつもの彼らしくない様子に戸惑う。
「前も言ったけど、オレは安麻田と仲良くなりたくて実行委員に誘ったんだ。来年も同じクラスになれるとは限らねーし、最後のチャンスだと思って」
「うん」
「井手浦がヤバいヤツだって分かる前から気に食わなかったのは、後から出てきたくせに安麻田に馴れ馴れしくしてたからだ」
確かに最初から敵意剥き出しだった。
あれは嫉妬だったのか。
嫉妬って、どういう意味で?
「安麻田が迅堂のことが好きなのは知ってる」
「えっと、」
「三年の遠足の時、迅堂が助けに行ったのが切っ掛けってのも知ってる」
「う、うん」
どうして今ごろ八年前の話をするんだろう。
どうして彼は辛そうな顔をしているんだろう。
意味が分からず、次の言葉を待つ。
「あの時、オレは別の班の班長で、仲間を置いて探しに行くっていう選択ができなかった。でも、同じ立場の迅堂はおまえらが居なくなったって聞いた瞬間ぜんぶ放り出して探しに行った。……オレが助けに行きたかった」
井手浦先輩から助け出された後にも似たようなことを言われ、その時は意味が分からなかった。土佐辺くんが抱える『あの日』の後悔。迷わず動いた迅堂くんに対し、彼はずっと羨望と焦燥を抱いていた。
「安麻田が好きなんだ。実行委員は一緒に居るための口実だった」
告白されたのだと頭で理解するよりも先に心臓が大きく跳ねた。返事をしたくてもなんと答えればいいのか分からず、ただ黙って彼を見つめる。
「こんな役目は苦手だろうに一生懸命頑張ってくれて、諦めようとしたのにもっと好きになった。言っても困らせるだけって分かってたのに、悪い」
いつも冷静で落ち着いている土佐辺くんが恥ずかしそうに頬を赤らめ、たどたどしい言葉で気持ちを伝えてくれている。それがどれだけ勇気と覚悟が要ることなのか、僕はよく知っている。知っているからこそ、なにも応えられない。
「土佐辺くん、ごめん」
「……ッ」
開口一番で謝罪すると、彼はビクッと肩を揺らして辛そうに俯いた。しまった。今の言い方では誤解を招く。
「ええと、そうじゃなくて、僕は器用じゃないから気持ちの切り替えがすぐにできないんだ」
「切り替え?」
土佐辺くんが不安そうに顔を上げた。僕の言葉ひとつで感情を左右されてしまうくらい好きでいてくれるのだと思うと、なんだかこそばゆい。
「僕はなんにもしないまま迅堂くんに八年も片想いしてきた。その気持ちにカタをつけてくる」
「男らしいな」
「勇気をくれたのは土佐辺くんだよ。君が『恥じるな』と言ってくれたから、もう自分を卑下したりしない。後ろめたいことだと思わない。迅堂くんに伝えて、きっぱり振られてくる」
単なる自己満足で、迅堂くんにとっては迷惑な話かもしれない。でも、区切りをつけなければ。
「振られたら慰めてくれる?」
「……ああ。任せろ」
前に進むため、僕は全てをさらけ出す覚悟を決めた。




