第50話 交換条件
人のいない北校舎の空き教室に呼び出され、先輩と二人きりになった。
「妹さんから彼氏を奪う気ある?」
「あるわけないじゃないですか!」
手首を掴まれたまま尋ねられ、即座に否定する。
僕と亜衣は双子だから顔はそっくりだけど、性格も性別も違う。それだけじゃない。亜衣は彼に好かれるように努力して自分を変え、そこに迅堂くんは惹かれている。僕はなにも変わろうとしなかった。だから僕は選ばれなかった。スタート地点に立つことすら放棄したのだ。
「なーんだ、残念。もし奪うなら手助けしてあげようと思ってたのになぁ」
「手助けなんて要らないです」
笑顔のまま首を傾げる先輩。僕の返答は彼が望むものではなかったようで、更に問い掛けは続く。
「瑠衣くんは見てるだけでいいの? 好きな人が自分そっくりの妹さんと付き合ってて平気なの?」
「近くに居られるだけでいいんです。どのみち、もう諦めるつもりだったし」
こんなことを他人に言うのは初めてで、身体だけでなく声も震えた。
今まで人前で『迅堂くんが好き』だなんて口に出したことすらなかった。誰にも相談できなかった。先輩には既に秘密を知られているから隠す必要がない。先輩には嘘を吐かなくて済む。その一点だけが心を少しだけ軽くした。
「じゃあ、新しく好きな人を作るといいよ。俺がその相手に立候補したいな」
「なにを言って……男同士ですよ?」
「俺、瑠衣くんの顔好きなんだよねぇ。可愛いし、あんまり抵抗ないみたい。瑠衣くんだって男が好きだったんだから問題ないでしょ?」
「いや、僕は男が好きなわけじゃなくて」
僕が迅堂くんに惹かれた理由は、困っていた時に彼が助けに来てくれたから。別に男だからというわけじゃない。小学生の頃から八年間も迅堂くんに恋をし続けていたから他の人を好きになることはなかったけど、女の子のことは普通に可愛いと思う。
「でもさぁ」
「ひっ」
掴まれたままの手を思い切り引っ張られ、僕は先輩の腕の中に収まった。咄嗟にもう片方の手を間に差し込み、身体の密着を避ける。
「男に対する抵抗は他の人より少ないんじゃない?」
「は、離してください」
細身なのに、先輩の力は僕よりはるかに強い。必死に身を捩っても腕の中からは抜け出せなかった。もがく僕を見て、先輩はにこにこ笑っている。その笑顔はいつもと変わりないのに、何故か怖くて堪らない。
その時、僕のスマホがポケットの中で震えた。
「なに、電話?」
身動きが取れない僕に代わり、先輩がズボンのポケットからスマホを取り出して画面を見ると、土佐辺くんの名前が表示されていた。まだ昼休みの最中だけど、教室に戻ってこない僕に気付いたんだろうか。先に戻った駿河くんからなにか聞いたのかもしれない。
先輩はボタンを押してコールを切り、近くの机の上に僕のスマホを置いた。
「瑠衣くん、ここに来ること誰かに言った?」
「いえ、誰にも」
「そう。じゃあもう少し時間あるかな」
空き教室の壁に掛けられた時計を見れば、昼休みはまだ十五分ほど残っていた。逆に言えば、十五分後にはこの北校舎にも人が来る。午後の授業をサボらないのであれば、もうすぐ解放されるはずだ。
そう考えていたのが伝わったのか、先輩は僕の顎に手を掛け、無理やり上を向かせた。間近で視線が交わる。
「ひとつ約束してくれたら離してあげる」
「約束……?」
スマホがまた震え始めた。
今度は先輩も無視を決め込んでいる。
「俺と付き合ってよ。妹さんの彼氏を好きなままでもいいからさ」
解放の条件が先輩との交際?
意味が分からない。そんな約束なんかしなくても、昼休みが終わるまで我慢すれば離してもらえるのに。
「俺は午後の授業サボるつもりだよ。北校舎の三階は今日どこのクラスも使わないって聞いてるし、瑠衣くんがOKしてくれるまでこうしてる」
「そ、そんな」
予想外の言葉に青褪める。
「……ああ、やっぱり瑠衣くんのほうが好きだな。気弱で押しに弱いとこ、最高」




