第48話 解消された不安
土佐辺くんに送ってもらい、自宅前で別れる。
家に入ろうとしたところで、玄関の脇に置いてある自転車に気付いて足が止まった。これは迅堂くんの自転車だ。今日も学校帰りに遊びに来ている。
時刻は夕方六時少し前。帰宅時間をわざと遅らせたのだ。親はまだ仕事から帰っていない。亜衣には友だちの家に寄ってから帰ると事前にメールしてある。もし二人が『そういうこと』をするなら今日は絶好の機会だ。
家の鍵を握る手が震える。いつまでも外で立ち尽くしているわけにはいかない。意を決して鍵を開け、ドアを開ける。すると、家の中には普段と違う匂いが漂っていた。
「まさか」
靴を脱ぎ、カバンを階段下に放り投げて奥へと向かう。刺激的な匂いはキッチンに近付くほどに強くなっていく。
「瑠衣、おかえり~」
「今日はチキンカレーだぞ」
「た、ただいま……?」
キッチンでは、腕まくりしてエプロンを身に付けた迅堂くんがカレーを作っているところだった。見慣れない小瓶が幾つも並んでいる。どうやら市販のルーではなくスパイスを使って調理しているらしい。亜衣は料理センスがないからか使い終えたフライパンなどを洗って片付ける係に徹していた。カレーは鍋で煮込まれており、完成が近い。
え、なに?
もしかしてずっと料理してた?
なんのために気を利かせて遅く帰ったと……
気が抜けて、ダイニングテーブルに凭れ掛かり、大きな溜め息をつく。呆れたような、ホッとしたような複雑な気持ちが僕の胸を占めた。
「随分と本格的なんだね……」
「インド出身のバイト仲間が教えてくれた」
「なるほど?」
どこでなんのバイトをしてるんだか知らないけど、きっと仲良くやってるんだろう。迅堂くんは明るくて誰からも好かれる人だから。
「んじゃ、カレーも出来たし帰るな」
「食べていかないの?」
「うちにメシあるもん」
作るだけ作って迅堂くんは帰っていった。残されたのは家中に漂うスパイシーな香りと鍋いっぱいの美味しそうなカレー。炊飯器のごはんはもうすぐ炊き上がる。
「あのさぁ」
「なぁに?」
調理器具を片付けている亜衣に声を掛ける。母さんたちが帰ってくる前に、これだけは聞いておかなくては。
「ちょっと前にエッチがどうこう言ってたよね。アレ、もういいの?」
「ああ、アレ?」
こんな話をするのもどうかと思う。でも、一人で悶々とするよりはマシだ。亜衣は双子の片割れ。大きくなるに従って話せないことも増えてきたけど、他の誰よりも気軽に話せる相手なのは変わりない。
「ここ最近晃は迫ってこないよ。むしろ料理に目覚めちゃって」
「なんでまた」
「アタシにちょっかい掛けてきてた先輩が構いに来なくなったからかな?」
以前相談された時に『他の男に奪われる前に自分のものにしておきたいのでは』と予測を立て、亜衣には『先輩の誘いをキッパリ断るように』と話をした。
「諦めてくれた、ってこと?」
「どうだろ。学校でもあんまり見掛けなくなったし、他に目移りしたんじゃない~?」
亜衣は呑気にケラケラ笑いながら、カレー用のお皿を食器棚から取り出している。
恐らく『彼女に言い寄る先輩』という不安の原因が解消されたから、迅堂くんが焦る必要がなくなったってことだ。
「だから、無理して時間潰さなくていいよ瑠衣」
「……気付いてたのか」
「分かるよ。兄妹じゃん!」
「ごめん。変に気を使った」
僕が謝ると、亜衣は目を細め、歯を見せて笑った。
「瑠衣は昔っからそうなんだから」
可愛くて明るい僕の妹。僕の気持ちを知ってもこうして笑い掛けてくれるだろうか。応援すると言いながら、ずっと妹の彼氏を好きな気持ちを捨てられずにいる兄を見捨てずにいてくれるだろうか。
「てゆーか、どこ行ってたの? 図書館?」
「図書館も寄ったけど、土佐辺くんのうちに」
「へぇ~、急に仲良くなったよねぇ」
確かに、亜衣たちの高校の文化祭にも一緒に行ったし、うちにも来たことあるからな。
「文化祭の実行委員一緒にやってるし、今日もそれ関連で本借りて調べ物を……」
そこまで言って思い出した。
「亜衣、肩が出る服は嫌なんだけど」
「あっ気付いちゃったか~」
「もっとこう、露出低めでゆったりした服がいい。そういうの貸して」
「じゃあ萌え袖シャツにする?」
「また新しいワード出た」
僕は普通の女装がしたいだけなのに。いや、女装がしたいわけじゃない。クラスの出し物だから仕方なく。
「お化け屋敷の後で撮った写真ってデータ残ってる? あったら送って欲しいんだけど」
「土佐辺くんと一緒に写ってるやつ? 先生に言えば貰えると思う。明日聞いて……あっ、明日うちの学校お休みだった! 創立記念日!」
「じゃあ明後日忘れずに聞いといてよ」
「明後日の朝、もう一回言って!」
「はいはい」




