第32話 生着替え
土曜の朝九時過ぎ、土佐辺くんからの『もうすぐ着く』というメールで飛び起きた。
亜衣たちの高校の文化祭を見に行く約束をしているが、開場は十一時からだ。昨夜のやりとりでは、十時半くらいに僕の家に迎えに来るという話だったのに、一時間以上も早い。ていうか、僕まだ着替えてないんだけど。
そうこうしているうちに玄関のチャイムが鳴り、慌てて階下に降りる。
「悪い。早く来過ぎた」
「ううん、いいよ。上がって待ってて」
たぶん時間を勘違いしたんだろう。申し訳なさそうにしている土佐辺くんを家の中に招き入れ、リビングに通した。
「家の人は?」
「休みの日は昼まで起きてこないよ」
父さんも母さんもフルタイムで働いている。土日は貴重な休息時間なので、いつも昼近い時間まで寝室から出てこない。亜衣は朝から学校に行っている。今頃は文化祭の準備をしているはずだ。
「麦茶とジュースどっちがいい?」
「気ィ使わなくていーよ」
「あ、甘いほうが好きなんだっけ」
遠慮する彼の前に冷えたジュースのグラスを置く。
そういえば、土佐辺くんが僕んちに入るのは初めてだっけ。うちのリビングにいるの、なんか変な感じ。今日の彼はVネックのTシャツに薄手の上着を羽織っている。制服以外の私服姿を見るの、もしかしたら小学生の頃以来かもしれない。
「ちょっと着替えてくるね。待ってて」
僕はまだパジャマ代わりの部屋着姿だ。部屋に戻ろうとしたら、土佐辺くんがリビングの出入り口に立ち塞がった。
「オレも行っていい?」
「なんで???」
「安麻田がいない間に家の人が起きてきたら気まずいじゃん」
それは確かに気まずいかもしれない。僕だって朝起きてリビングに知らない人がいたらびっくりするもん。仕方なく一緒に二階へと向かう。
「前は妹と同じ部屋だったよな。今は?」
「中学に上がる時に部屋を分けてもらった」
「ふーん。そりゃそうか」
あれ、小学生の頃に同じ部屋だったの話したっけ。むかし亜衣が喋ったのを覚えてたのかな。記憶力良いもんね、土佐辺くん。
「おっ、片付いてるじゃん」
「いつもはもう少し散らかってるよ」
「それでもオレの部屋よりはマシだな」
とりあえず勉強机の椅子に座ってもらい、僕はクローゼットを開けて今日着ていく服を選ぶ。夏から秋に移る時期はいつも何を着たらいいか分からなくて迷う。晴れていれば暑いけど、日が陰れば肌寒かったりもする。
土佐辺くんみたいに、半袖に薄手の上着を羽織ればいいかと考えながら服を取り出し、早速着替えようとしたけど……人前で着替えるの恥ずかしいな?
男同士だし、教室では体操服に着替えたりも普通にするけど、自分の部屋で誰かがいる時に着替えたことなんかない。でも、下手に恥ずかしがると不審に思われてしまう。何も全裸になるわけじゃない。さっさと着替えてしまおう。
土佐辺くんは勉強机に置いてあった文庫本を手に取ってパラパラ捲っている。今のうちだ。彼に背を向けて部屋着代わりのTシャツを脱ぎ、スウェットに手を掛けた時、すぐ後ろから話し掛けられた。
「安麻田、これの前の巻ある?」
いつのまにか土佐辺くんが僕の背後に立っていた。手には先ほどの文庫本がある。何冊か出ているうちの途中の巻だったから気になったらしい。
「あるよ、こっちの本棚に全巻」
「おっ、ホントだ。ちょっと見ていい?」
「うん」
そう言うと、彼は部屋の隅にある本棚の前に行き、本を探し始めた。その隙に手早く服を着る。
「意外と渋い小説読んでるんだな。『特攻列島』ってベストセラーだけど親世代の作品じゃね?」
「夏休みにドラマの再放送やってて、それで原作が気になって買ったんだ」
「あ、それオレも観た。面白かったよな」
たまたま同じ再放送を観ていたと分かり、話が盛り上がる。その間に着替えも済んだ。
「僕もう全部読んだし、興味あるなら貸すよ」
「マジで? 貸して貸して!」
「でも今渡したら荷物になっちゃうね」
「じゃ、帰りにまた寄っていい?」
「そうしよっか」
小さな文庫本とはいえ全部で四冊もある。地味に嵩張るし重い。これから出掛けるというのに邪魔になってしまう。
「それにしても……」
そう言いながら土佐辺くんは本棚を上から下まで眺めた。何故かニヤニヤしている。
「エロい本があるかと思ったのに、なんもなくて拍子抜けだったな」
「あ、あるわけないよ!」
やけに部屋に来たがると思ったら、最初からエロ本を探すつもりだったのか?
「普通はあるだろ。健全な男子高校生なら」
「そうなの!?」
運動部は部室にエロ本を置いて共有してるとか前に聞いた気がする。普通はそうなのかな。
「土佐辺くんも持ってるの?」
「どうだと思う?」
「今の流れなら持ってるんでしょ」
「興味あるなら貸すけど」
「い、要らない!」
「あっそ」
……やっぱり持ってるんだ。




