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ゲロムスの遺児(新版・改訂前)  作者: 粟沿曼珠
第三章 白熱の冷海
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第四十九話 奴隷市場

 時は少し前に遡る。

「こっちの女は奴隷にするとして……その男は闘技場に連れていけ」

「闘技場? 奴隷にするんじゃないのか?」

「上からの命令だ。ほら、今日の奴隷市場の為にわざわざ雇った傭兵がいるだろ? そいつへの報酬として、その男と戦わせるみたいだ」

「ふーん、了解。ひとまず腕を斬りに——」

「いや、その男は斬らなくていい」

「は? こいつ、あのダス・ルーゲウスだろ? ゴーノクルの中でも特に強い奴じゃん」

「傭兵からのご所望だ。『魔腑はそのままにしろ。でないと意味が無い』、だってよ」

「ふーん……まあ、そう言うなら大丈夫か」

「それじゃ、俺はこの女の腕を斬ってくるよ」

「ああ、後でな」

「……ほら、お前ら、早く行くぞ。もうすぐ奴隷市場は始まるんだ」

 ——成程、ミーリィが気を失ったから、体という器が空き、そこに私の魂が収まった——という訳か。


 ミーリィが目を覚ます——否、シャールが閉じていた目を開く。

「っ!? おいっ! こいつ起き——」

 彼を運んでいた兵士がそれに気づき、周りの兵士に伝え——る間も無く、彼は冷気の魔術を周囲に展開し、兵士達の体を凍らせて殺した。

 慢心からか、幸い彼の体は縛られていなかった。手を握り、体を動かして感覚を確かめる。

 ——以前の時と同じ感覚。体を動かすのに問題は無いようだ。

 彼は兵士に奪われた鉄棍を手に取り、彼は進んでいく。

 ——ダスは、まあ一人でもどうにかなるだろう。それより私は、あの女がやるであろうことをやるだけだ。

 実のところ、彼はずっと意識があった。先程の兵士達の会話を勿論聞いている。兵士の言葉は多少気がかりであったが、ダスの実力を買い、闘技場を彼一人に任せたのである。

 彼はこそこそ隠れるような真似はせず、堂々と歩く。燭台の飾られた薄暗く広い廊下を進み、その最奥にある分厚いを開け——

 そこにあった光景に、彼は愕然とした。

「…………」

 視線を右から左へと移していくように、その部屋の全体を見渡す。

 彼の視界にまず映ったのは、檻だった。獣を展示するかのように、部屋の左右に檻があり、それはこの部屋の奥まで続いている。

 そしてその次に、中にいる存在——人が映った。まともな服を着ておらず、またある者は裸でいた。己の運命に絶望してか、死んだような表情で座って動かない者、お互いを殴り合う者、性交する者——まるでこの世の終わりのような光景が繰り広げられていた。

「これが奴隷市場、か……」

 昔——それこそ、魔術師の時代の頃から奴隷市場の話はあったが、初めて見るその悍ましい光景に、彼は不快感と怒りを示す。

 そんな中を、彼は歩いていく。檻の中の奴隷達は彼の存在に気づく——が、助けを求めはしなかった。ここには誰も助けに来ないと、こうなったらもう救われることは無いと、長い間ここに閉じ込められたせいでそんな考えに染まっていた。

 ——のだが。

「き、君はあの時の! 助けてくれ————————っ!」

 まだ一人だけ、そんな考えに染まっていない者がいた。彼は驚いてその声の方を見遣る——そこには、檻を両手でがしっと掴み、泣き叫ぶベロルの姿があった。そんな彼を、シャールは困惑した表情で見る。

「……ミーリィを口説いた男か。貴様、何をしている……?」

「何してるって、捕まったんだよ! 借金して、返済できないなら奴隷だ、ってね! ——って、え? 何その言い方? 君を口説いたんだよ? ていうか、君昨日と性格違くない?」

「私は……いや、面倒だ」

 律儀に今ミーリィの体に何が起こっているか説明しようとしたが、彼は溜息を吐いて切り上げた。そして体の先にある扉を向く。

「いやいやいや待ってくれっ! このままじゃ、僕は奴隷かもっと酷い目に——」

「黙れ」

 泣き叫んで懇願するベロルを、シャールは睨んで一喝する。ベロルは竦み、その声は止まった。

「……大人しく待っていろ。今から貴様らをここから出してやる」

 その言葉に、檻の中にいる誰しもが彼に注目した。

 そう言った彼は歩き出し、部屋の奥の分厚い扉を開け、隣の部屋へと進み——そこの光景にも愕然とし、強烈な不快感と怒りを抱いた。

 ヘローク教団の大きな礼拝堂の中で祈りを捧げる人々のように、地下に作られた大きな空間をびっしりと埋め尽くす程の人がそこにはいた。中にはゴーノクル全土で名を轟かせているような人さえいる。

 祈りを捧げる人との違いは——喚声を上げ、熱狂に包まれた人々が、今か今かと売りに出される奴隷達を待ちわびていることだ。

「クァヴァスの奴隷市場に、ようこそおいで下さいました————————ッ!」

 舞台の中央へと歩きながら、不快な笑みを浮かべる司会の男が叫んだ。先程殺した兵士達と司会の男で全員なのか、裏方には誰もいなかった。

「今回紹介する奴隷は既に渡した資料にある通り——ですがッ! 先程急遽手に入った奴隷が一人だけおりますッ!」

 それが自分——もといミーリィのことだとは、言われなくても理解できた。彼は鉄棍を片手で構え、司会の男の話を聞く。

「ではまずそれをしょ——」

 言葉を紡がせまいと、シャールは跳躍した。魔術で膂力を強め、その力を以て鉄棍を司会の男の頭目掛けて振るう。

「う゛っ!?」

 その声と共に男の頭は体から離れて飛ばされ、血を撒き散らしながら最前列の客の体に直撃した。

「きゃああああ————————っ!?」

「敵だ————————ッ!」

 広間は狂騒に包まれ、人々は逃げ惑う。頭が無くなった司会の衣嚢を漁って鍵を見つけると、シャールは逃げ惑う人々を、憤怒と憎悪に満ちた表情で睨む。

「貴様らのような人間がいるから、この世界は一向に良くならない」

 ——あいつらを、凍て殺せ。

 シャールが強く願うと、大広間は一瞬にして極寒の冷気に包まれる。悲鳴を上げて逃げ惑っていた人々はすぐに黙り、その体も動かなくなった。

「ふむ、これで檻の扉を開けられる」

 彼はすぐに檻の部屋に戻り、分厚い扉を閉めて鍵をかける。

「おお、君! それは鍵か!?」

 ベロルの目には、シャールの手に握られた輝く鍵が映った。その言葉につられて檻の中の他の人々も彼を見る。その手に握られた鍵を認めると、奴隷となる運命から逃れられたのだと、彼らは歓喜して涙を流した。

「自業自得だが……まあそれはこの際どうでもいい」

 檻の扉が開けられると、檻の中の人々はすぐに檻から出ていった。道も分からないであろう彼らを見かねて、

「その扉を出たらまっすぐ進め。そうすれば、森に出られる」

 そう助言した。檻の中から出ていく人々を彼は眺め——数がだいぶ減ってきたところで、ベロルがなかなか逃げようとしないことに気づいた。

「貴様も早く逃げろ」

「いやいや、僕は最後に逃げるよ——そう! 君と一緒にねっ!」

 その言葉に呆れた彼は肩を竦めて溜息を吐き、面倒そうに言う。

「ふざけるな。今ここで追手が来たら——」

 その時だった。分厚い扉が——いや、それどころでは無い。檻の部屋と隣の広間を分け隔てていた壁が、音も無く崩れ落ちた。

「……!?」

 突然の出来事に、シャール達は崩れた壁を見遣り——その違和感に気づく。

 ——崩れた? いや違う……()()()……?

 普通に考えれば、崩れたのであれば轟音と共に壁が吹き飛んだり落下したりし、その破片が散らかり、積もる。しかし、その轟音がそもそも無く、そして破片というよりは砂、或いは埃のようなものが積もっている。さながら氷が溶けて水になった、或いは岩が非常に細かく分解されて砂になったかのように。

 その砂と化した壁を踏み、男が現れる——猛獣の毛のように乱れる金髪の男だ。それが現れた瞬間檻の中の人々は悲鳴を上げて全力で逃げ出した。

「あ、あいつだ……! 僕をここに連れてきたのは……!」

 そう言ってベロルは男を指さす。シャールも男を見遣り——再び、違和感に襲われた。

 ——何だ、あの剣。柄に、紐……?

 刃の無い剣の柄、そこからいくつもの床まで届く程の長さの紐が伸びている——というよりはくっつけられている。傍から見れば、おもちゃのようにも思える。

 かなりの時が経っているとはいえ、シャールもかつてはファレオで活躍し、数多の死地を潜り抜けてきた——そんな彼が、直感する。

 ——あれは、まずい。

 男の風格、ただならぬ殺気を彼は感じ取ったのだ。それだけでは無い。彼はその男を知っている。ミーリィの目を通じて、その男がどういう男なのかを知っているのだ。

 男は二人の姿を捉えると、にやりと笑う。

「昨日のヤツと——ああ、さっき言ってた奴隷か。連れてくのに失敗した、ってところか——」

 そして男は紐の剣を構える。

「まあいい。退屈凌ぎにはなってくれよォ?」

「おい!」

 今にも襲い掛かってくる男の声を聞き、シャールはベロルに叫ぶ。彼は咄嗟にシャールの方を向いた。

「何!?」

「あいつを足止めし、生きて帰ってこい! そうすれば飯くらいには付き合ってやる!」

 その言葉を聞き、ベロルは嬉々とした表情を浮かべる。

「え!? 本当!? でも武器が——」

「貴様程の実力者であれば、武器などいらぬだろう!? 素手で戦え!」

「無茶なっ!? …………分かった! 君の為にやってみせるよ!」

 流石の彼も動揺し焦るが、少し黙って意を決し、叫んだ。

「任せた! …………不屈のナンパ師!」

 辛うじて思い出せた彼の異名を呼び、シャールは元来た廊下へと駆け出した。

 ……勿論、ベロルが生きて帰る想定は全くしていないし、仮に生きていたとしても飯を一緒に食べるつもりは無いのだが。

 律儀に待っていた男が、あくびをしてベロルに言う。

「もう終わったかァ……? さっさとやりたいんだが」

 そんな男の方を向き、彼は拳を握って叫ぶ。

「思えば、あの時は不意を突かれたけど……それは君が臆病だからだ! ()()()()()!」

 その言葉を聞き、男は眉間に皺を寄せる。それに気づかず、彼は叫び続け、己を奮い立たせる。

「そうと分かれば、君なんか怖くない! この拳だけでも——」

 男がゆっくりと歩いて彼に近づき、紐の剣を振るった。その紐はベロルの体に触れ——

 彼の体は、まるで野菜を切る時のように何枚、何十枚にも斬られた。紐はまるで水に通しているかのように彼の体をすっと通り、抜けた瞬間にばらばらになった体が崩れ、散乱する。

 血、内臓、眼球、脳、体液——体のあらゆるものが床に撒き散らされ、男はそんな彼の亡骸を忌むように憤怒の目で睨む。

「オレに弱いと言ったな……? 違う……オレが、オレこそが……

()()()()()()()()()だ」

 そして男は前を向き、逃げていったシャールを追跡し始めた。

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