第四十二話 師弟
ダスの師匠である金髪の女性——オッディーガ・ミッシャーは、ざわめく観客席をよそに、そこにいるミーリィとポンをじっと見て言う。
「そーいや、アイツらは何なんだ? ダス、オマエ結婚してガキでも作ったのか?」
「いや、あっちの女性はファレオでの相棒で、あっちの子供は今請けている仕事の依頼主——ってところだ」
「ふーん——ここのところずっとオマエの評判聞いてなかったから、仕事辞めたのか死んだのか心配していたが、いやぁ無事なようで何より」
そう言って安堵した表情を見せた彼女であったが、次の瞬間には巨槍を構えた。そしてまるで友人を遊びに誘うかのように、微笑んで言う。
「おら、勝負すっぞ」
「断る」
彼は心底嫌そうか顔ですぐに拒否した。そんな彼に落胆した表情を見せ、彼女は言う。
「えぇー、折角久しぶりに再会したってのに……弟子は師匠の期待に応えるモンだろ?」
「お客様ッ!」
そんな彼女のもとに、セミアが焦った顔で駆け寄ってきた。突然何だ、と疑問を抱いたような表情のオッディーガに、彼女は荒い呼吸と共に言葉を出す。
「乱入ありの試合ならいいですけどッ、今回はその規則はありませんしッ、こっちも色々と準備をする必要が——」
「ファレオの魔獣、対、その育ての親、『燎原の火のオッディーガ』との勝負って謳い文句、客が来て金になると思わん?」
遮るように放たれたオッディーガの言葉、『燎原の火』の二つ名に思わず黙ってしまう。
『燎原の火のオッディーガ』——かつてゴーノクル全土に轟いていたダスの『ファレオの魔獣』以上の知名度を誇る二つ名であり、味方に勝利を、敵に敗北を齎す名前として崇められ、恐れられている——その名を聞いただけで敗北を宣言した組織がある程に。
その名は、燎原の火が草原や森を焼くように、敵を鏖にしてしまう彼女の戦いから取られている。
セミアはしばし黙って考え、そして——
「クァヴァスにいらした観光客、そしてクァヴァスの住民の皆様————————ッ!!! ここサース闘技場に、ゴーノクル最強と言えるような二人が降臨しました————————ッ!!!」
セミアは自身の魔術で声をクァヴァス全体に轟かせた。その光景、その声量にオッディーガがにやりと笑い、一方でダスは溜息を吐いて肩を落とす。
「水の魔術を使い、かつてゴーノクル全土にその名を轟かせた魔術犯罪者殺しッ! 『ファレオの魔獣』ッ! ダス・ルーゲウスッッッ!!! 対するはその師匠であり、参戦した戦争・紛争を全て勝利へと導いた勝利の証ッ! 数十年もその名を轟かせ、今尚伝説を作り続ける『燎原の火』ッ! オッディーガ・ミッシャーッッッ!!!」
「ははッ! 『全部』は盛り過ぎだが、悪い気はしねェ!」
オッディーガは豪快に笑って言った。
「その戦いが、今まさに始まろうとしていますッ!!! 今すぐッ!!! ここサース闘技場に来てッ!!! 共に伝説の証人になりましょうッッッ!!!」
そう叫び、彼女の宣伝は締めくくられた。その叫びが止むと同時に、地鳴りのような音が響いてくる。
ダスは周囲をきょろきょろと見回し——すると、観客席の入り口から人々が洪水のように続々となだれ込んできたのが映った。
「めっちゃ来るねー。まあワタシにとっちゃどうでもいいけど——っておい、ダス?」
彼の方を向いたオッディーガは、彼が門へと踵を返している姿が目に映った。
「どこ行くんだ? おら、戦うぞ」
「……帰る」
彼はそう言ったが、彼女はその発言を気にしない——床を覆う水を一度踏み、ちゃぷ、という音を立ててから彼女はにやりと笑って言う。
「準備万端なのにか?」
言い終えた瞬間、彼女は自身の後方を爆発させ、その衝撃に乗ってダスに急接近する。飛んでくる彼女の体と巨槍を寸での所で躱し、彼は叫ぶ。
「どうせ戦うことになるからだろ!」
彼は水の膜を滑るように移動し、距離を取りつつ数十本もの激流の柱を生み、彼女へと放つ。
石の床を削りながら襲い掛かる激流の柱を、彼女はダスの方へと走りつつ爆発で消し去り——その爆発の向こうから、巨槍の穂先を向けたダスが飛んでくる。
激流に乗って砲弾のように飛んでくるダスとその巨槍を、彼女は屈んで躱し、その柄を握る。
「おらァッ!」
彼女は体を捻るように一回転しつつ魔術で膂力を強化し、彼を床へと叩きつける。彼の体と巨槍は石畳にめり込み——
「——ぐッ!?」
彼女の真下から激流の槍が伸び、彼女の体を突き刺した。そして追い打ちと言わんばかりに激流の柱が生じ、彼女を空へと押し出す。
「くっ……」
ダスは吐血しながら傷を魔術で修復して立ち上がり——
彼の後頭部がオッディーガの拳に殴られ、彼は再び倒れる。爆発を連続で発生させて激流を押し返しつつ勢いをつけ、流星のように落下したのだ。
穿たれた腹の穴を意に介さず、ダスの背中を踏んでいる彼女は、彼に巨槍の穂先を向けてにやりと笑う。
「もう終わりか? 流石に拍子抜け——」
彼の背中を突き破るように生じた何本もの激流の槍が、彼女の体を再び貫いた。槍は柱となり、激しく動いて彼女の体を切り刻む。
「おぉっと」
脚を切断され、切り離された彼女の体は床に落ちていく。ダスは咄嗟に立ち上がって巨槍を握り、彼女の体を貫いて——
「バーカ、魔術師を相手にする時は右腕を狙えっつったろ?」
彼女は自分の体に突き刺さった巨槍の周りに爆発を生み、自分の体の一部を消し飛ばしつつそこから抜けて空へと飛んでいく。
「身内にできるかっ!」
ダスは叫び、空へと飛んでいく彼女目掛けて激流の刃を、巨槍を何度も斜めに薙いで飛ばす。そして最後の一発と言わんばかりに激流の巨槍を放つ。
吹き飛ばされつつ体を再生させた彼女は、自身の体のあちこちの周りに爆発を生み出して、跳ねたり吹き飛ばされたりするように刃を回避し、猛烈な勢いで迫る激流の巨槍を、自分の眼前に連続で爆発を生み出すことで消し——
それが消えたところで、激流に乗ったダスが躍り出た。彼は片腕で巨槍を薙ぎ、それに応えるように彼女も巨槍を薙いでお互いの巨槍をぶつける。激しい金属音と共に二人の体は吹き飛ばされ——お互いに、その隙を逃さなかった。
二人共ほぼ同時に左腕を相手に向けて突き出す。そこからダスは激流の巨槍を、オッディーガは砲弾のように飛ぶ爆発を生み出し、それぞれが倒すべき相手へと襲い掛かる。
それらは互いの体に直撃し、左腕諸共体を消し飛ばし、二人はその衝撃で吹き飛んだ。ダスは鮮血が溢れる腕をすぐに再生させ——
「——ッ!?」
爆発音が彼の耳をつんざいた直後、オッディーガは自身の下半身を消し飛ばして彼の眼前に躍り出てきた。その巨槍の穂先は、彼の体を捉えている。焦った表情のダスに、彼女はにやりと笑い——
「体を再生させる時は、相手が倒れた時か死んだ時——そう教えたはずだ」
激烈な爆発が彼女の体内から生じ、彼女の体の大部分が消し飛んで血肉を撒き散らす——が、その爆発で生じた衝撃に乗って、躱す暇も与えずにダスを突き刺し、空中を舞っていた二人の体は隕石のように石の床へと落下していく。
そこから抜け出す暇も、抵抗する暇も無く落下していき——彼を貫いた巨槍が床に突き刺さるのとほぼ同時に、舞台を消し飛ばさんとする程の爆発が生じた。その熱が、その衝撃が、それによって壊された舞台の破片が、観客席へと襲い掛かる。
「ポン君っ!」
咄嗟に叫ぶミーリィに、ポンは彼女の方を向かずに応える。
「言われなくてもッ!」
彼は観客席を包むように障壁を展開し、熱と衝撃、そして飛んでくる石の破片から観客達を守る。破片は障壁にぶつかっては落ちていき——それが飛んでこなくなった頃に、ポンは障壁を解いた。
爆発で生じた煙が徐々に晴れていき——荒れ果てた舞台の上には、オッディーガの巨槍に突き刺され、石の床にめり込んだダスと、巨槍の柄を握ってぶら下がっているオッディーガがいた——ダスが、彼女に敗北したのだ。
勝利した彼女の体はダス以上に悍ましい有様で、頭と肩と右腕だけが残り、他の部分は消し飛んでいる。そんな彼女の体からは血が滝のようにびちゃびちゃと零れ、右腕と肩を繋ぐ肉は今にも千切れそうである。
「ダスさんが、負けた……」
その事実に、ミーリィは衝撃を受ける。彼女の中で誰よりも強かったダスが、彼女の前では一度も負けたことの無かったダスが、負けたからだ。
「嘘だろ……」
その衝撃は、ポンにとっても同様であり——そして、二人は納得もできた。ダスの強さ、ダスの魔術の練度がゴーノクル全土で見ても上澄みだということを。そしてその源が彼女にあるということを。
「勝者ッ! 『燎原の火のオッディーガ』ッ!! オッディーガ・ミッシャ————————ッッッ!!!」
セミアが叫び、そしてそれと同時に観客達が喚声を上げた。その戦いに歓喜し、その健闘を讃え、彼らはずっと叫び続ける。
「結局、使わなかったな……まあ、最後に派手に爆発できて祭みたいだし、いっか」
巨槍にぶら下がった彼女は体に再生の魔術を掛け、その体と服は生えてくるように元通りになる。
先程の大爆発は、ダスを空へと飛ばす、或いは移動させる為に、または追撃する為に予め放出していた魔粒によって引き起こされたものである。結局使いどころが無かったので、最後の盛り上げに使ったのだが。
「しっかし、ワタシの戦闘なんて血がめっちゃ飛んで気分悪いモンだと思ったんだけどなー。ここの連中、慣れてるな」
騒ぐ観客達を驚きの目で眺めつつ彼女は足を床につけて立ち、巨槍をダスの体から引き抜く。そしてにやりと笑って彼に言う。
「まだ詰めの甘ぇところはあるけど……ワタシが身内じゃなくて敵だったら、まあ多少は苦戦しただろうな。よーやったよーやった」
彼女は倒れているダスに手を差し伸べる。彼も自分の穿たれた腹を再生させ、悔しそうな、不満そうな顔で呟く。
「……どうせ負けるから、あんたとは戦いたくなかった」
そして彼は差し伸べられた手を掴んだ。悔しさ、面倒臭さ、己の未熟さへの苛立ち——彼の言葉には色々な感情が混じっていて、だからこそ彼女は満足げに微笑んだ。
——自分の弟子が、普通の人間に戻ってきてくれたことに。