第二十七話 死して尚残る願い
目が覚めると、ミーリィは自身が灰色の世界にいることに気づく。何も無く、無限の広がりを持つ空間。その光景を、幼い頃の彼女は何度も見てきた。
そして、以前と変わらず彼女の眼前にはある男がいる。
「……憐れみを捨てろ。慈しみを捨てろ。怒りに燃え上がれ。憎しみに狂え。そして、分からせてやれ——貴様は、この世から消えるべき命なのだと」
その呪いの言葉も、変わっていない。
「…………あ、」
彼女は絶望の呻き声を上げ、涙を流す。記憶と心の奥底に押し込めていた呪いが目覚めたが故に。自分で、殺したいと願ってしまったが故に。
「久方ぶりだな。子供の頃以来か? 何て呼べばいい、ミーリィか?」
「…………わたしは、ミーリィよ……今も、昔も」
男を睨み、吐き捨てるように言い放った。
「承知した……改めて、自己紹介とでもいこうか。私はシャール・ウェイス——貴様の、殺しの意志だ。そして、貴様の魔腑の本来の持ち主だ」
鋭い目で彼女を見つめ、絶望する彼女を嘲笑うように微笑んでシャールは言う。ぼろぼろの服とその裂け目から覗かせる鎧、一方で結われた黒い長髪はすらっと伸びている。
魔腑には持ち主の魂が宿る——という噂が存在する。理屈は不明だが、それが本当だということが、証明された。
「いやはや、まさか魔術師が生き残っているとはな……奴等、まだ死んだら天に還れるとでも思っているのかどうか、気になるところだな」
「雑談をする気は無いよ……お願い、もう出てこないで」
つっけんどんな彼女の態度に彼は肩を竦める。
「ま、貴様の性格も、貴様の生い立ちも理解しているつもりだからな、そうなるのも理解できる。ただ、貴様は考え過ぎだ」
立ち上がって彼女の前に立ち、彼女を見下して言う。
「殺意は誰しもが抱く意志だ。貴様のような心優しき者でさえ、それは例外では無い。そしてそれが悪人に向けられるのであれば、どうしてその意志を押し殺す必要がある? それに、今や貴様はファレオに属している身であろう? ならば、貴様も殺せばよい——私が、かつてファレオでそうしたように」
その言葉に、彼女は耳を疑う。
「ファレオ? 貴方も、ファレオに所属していたの?」
「尤も、ダプナル帝国直属の暗殺組織だった頃の話だがな。独立し、大分変わったとはいえまたファレオに属することになるとは、私も感慨深い」
にやりと笑ってシャールは言った。
「…………とにかく、わたしは誰も殺したくないの。もう、誰も……」
「贅沢なことを言うな。殺さないと守れない命もある。それとも、自分が殺さなければ、たとえ殺すべき相手が別の誰かを殺しても放っておくのか?」
「そ、それは……」
尤もな意見に、彼女は言葉が詰まる。そんな彼女を見つめ、シャールはにやにやと薄笑う。
「そのような薄弱な意志であるのなら、ファレオなど辞めてしまえ」
そう無慈悲に言い放つと、ミーリィはその目に涙を溜めて歯を食い縛った。彼女は何も言い返せず、ただ俯くだけであった。
「…………と、言いたいところだが、それが貴様の贖いなのだろう」
無慈悲な言葉を放ったシャールは、しかし溜息と共に同情の言葉を告げる。
「尤も、私は貴様が贖うべき罪など無いと思うがな。しかし本人がそうしたいのなら、こちらが止める道理も無い」
徐に顔を上げるミーリィ。そんな彼女の目を見つめ、彼は言う。
「もし誰かを殺さなければならなくなった時——或いは、誰かを殺したくなった時は、私を呼ぶがいい。これなら、貴様の贖いの妨げにならないだろう」
誰も殺さないと誓ったミーリィ。しかし誰かを殺さなければいけない状況に陥ってしまったら、その誓いを破ってしまう。だから、彼は自分を呼ぶように言ったのだ。
「それが、最善の選択だ」
「…………分かった」
彼女は暫し考えた後にそう言った。
「そうか、では——」
「でも、誰も殺さなくていい道があるはず。わたしはそれを信じている」
後ろを向いて歩きだした彼は、その言葉を聞いて立ち止まり、呆れて思わず溜息を吐く。
「……籠の中の娘——いや、檻の中の娘だな、昔からずっと。世界は想像以上に冷たいものだ——それを理解しないと、いつまでも辛い思いをするぞ」
彼はその場で座り、彼女を見て言う。
「ひとまず、今回はこれでお別れだ、ミーリィ。あの小僧が、貴様を呼んでいる」
彼がそう言うと、どこからともなく微かな声が聞こえてきた。
「——リィ……ミーリィ……!」
そして彼女は目を開ける。青空と荒廃した街、そしてポンの顔が彼女の目に映っている。
「おい、ミーリィ……お前、大丈夫か? さっきの——」
「大丈夫……大丈夫よ。ありがとうね、ポン君」
彼女は体を起こし、鉄棍を掴む。
「あれは、わたしの呪いで……罪なの」
突然放たれた言葉に、ポンは動揺する。
——呪い……? 罪……? 何を言って——
そして、ダスの言葉を思い出した——彼女の過去を詮索するな、と。
「……そうか」
彼はミーリィの目を見て続ける——これ以上、自分が彼女の過去を知ることがないように。彼女が、自分の過去を言わないようにする為に。
「ほら、立て。一応おれ達の役目は終わったが……行くんだろ? ダスの所に」
「……うん、そうね」
そう言ってミーリィは鉄棍を掴んだまま立ち上がる。
「それじゃあ、行こうか」
「ああ」