第二十三話 凄惨たる過去と悲愴な願い
そんな訳で、ミーリィとダスの二人は小舟に乗っていた。二人はイギティの勢いに飲まれ、言われるがままに彼女の手配した小舟に乗っていた。先程の会話もあり、ミーリィは気恥ずかしさと気まずさを感じ、彼を直視しないよう水面を眺めている。
二人きりの小舟を漕ぎ、開けて空がよく見える場所に小舟を浮かべ、そこで安らかな一時を過ごす。その景色は絶景で、観光客からの人気も高く、実際周りには何隻かの小舟が浮かんでいる。
満天の星と煌々と輝く月を杯に浮かべ、ダスは郷愁の目でそれをじっと見つめる。
「昔、家族と来た時はよくこういうことをやってたよ。小さな夜空だって、母親が言っててさ」
独り言ちるように言い、その杯の酒を呷る。ミーリィもダスの真似をし、杯をじっと見つめる。
「……本当ですね。綺麗……」
うっとりしている彼女は、しかし同時に気まずさも感じていた。突然何か切り出したかと思えば、今は亡き家族の話をしだしたのだから。
「…………まあ、さっきはイギティと戦役のことでも話していたんだろ?」
「…………はい」
部分的に、とは流石に言えなかった。彼はしばし沈黙してからその重い口を開く。
「……そういえば、俺の目標とか願いとか、お前に言ってなかったよな?」
突然提示されたその言葉に、彼女は内心驚く。
「目標、願い、ですか……? 確かに、まだ聞いたことないですね」
「……俺の願いは、魔術をこの世から消し去ることだ」
「え……」
彼女は驚愕の声を零してしまう。
「……ま、無理なのは分かっているがな。だからこうしてファレオに入って、魔術の濫用を防いできた」
苦笑を零しつつダスは言った。
「…………始まりの者さえいなければ、大勢の人が苦しむことは無かったんだろうな」
その神がいるであろう天を仰いでダスは小さく言う。その目には憎しみも怒りもなく、「仕方なかった」と受け入れるしかない悲しみに満ちていた。
「だが、ロイン・ヒュー……ゴーノクルに生きている人間なら、誰しも一度はその名を耳にしただろう。恐らくお前もな」
『骸谷のロイン』の異名を持ち、ブライグシャ戦役を悲惨な戦役に変えた要素の一つであり、そしてこの世界で最上位の強さを持つ男の名を挙げ、
「俺は、あの魔物を殺したい。あんなものを野放しにしちゃいけない」
今度は憎しみと怒りに満ちた目で言い放った。長い付き合いであるが、そんなダスの表情をミーリィは初めて見た。
「ただ、もしその時が来たら、お前とは二度と会えないだろうな」
「え……な、何でですか!?」
驚きと疑問に満ちた声でミーリィが尋ねる。
「正直、あいつは強すぎる。俺じゃ、相打ちに持っていくのがせいぜいだろう」
彼は淡々とその重い事実を伝えた。ファレオ最強格であるダスの言葉だからこそ、その言葉の重みが——ロイン・ヒューという男がどれ程危険なのかがより伝わってくる。
「そうですか……」
その言葉を受けて、ミーリィは黙ってしまった。
——ダスさんが、死ぬかもしれない。
その事実を、そうなってしまった光景を頭の中で何度も何度も反芻してしまう。心臓の鼓動が高鳴り、息が荒くなる。
「——ダスさん!」
それから逃げるように、自然と彼を呼ぶ言葉が溢れてしまった。
「お、おう……何だ、突然」
「あ、えっと……」
言葉を詰まらせてしまうが、それでも意を決して言葉を紡ぐ。
「わたしは、その……ダスさんに、死んでほしくないです。ずっと、生きていてほしいです。だ、だから——ってダスさん?」
そんなミーリィを見て、ダスは思わず吹き出してしまった。
「だ、ダスさん! わたしは真面目に——」
「ああ、悪い……急に何かと思えば、告白みたいなことを言われたからな」
「こ、ここ告白!?」
仄かに赤みがかった彼女の頬はみるみるうちに赤みを増していく。
「そそ、そんなつもりは……あ、いやダスさんのことは……」
「ま、安心しな」
慌てふためく彼女に微笑みながら声を掛ける。
「叶えたい願いに守るべき奴もいる。ポンも、そしてお前もだ。だから、そう簡単に死ぬつもりは無い」
「…………ダスさん」
そう言ってミーリィは俯いて黙る。そして彼と向かい合っていた体を、彼が視界に入らないように、彼に顔が見えないように反対を向かせた。
「ミーリィ?」
「……今顔が凄いことになっていると思うので、見ないで下さい。ちょっと……恥ずかしいです」
先程の言葉を受けて彼女の顔は非常に赤く、また困惑と笑みが表情ににじみ出てしまっている。そう言ったのを最後に彼女は黙ってしまった。が、しかし——
——ああああああああっ! そんなつもりじゃ無かったのにっ! こっ、ここっ、告白って思われたっ!?
心の中では激しく叫んでいた。とはいえ、多少なりとも自分の思いを伝えられたのでまんざらでもなかった。