仮説「父と母のポートフォリオ?」
お父さんとお母さん。あんなに意見が違って、なんだかもめてるようにみえるんだけど、それならなぜ結婚したんだあ・・・?子供の立場からの永遠のなぞ。あら?この仮説どうかしら。いきものとしての危険分散。違うからこそタフである?いつもの「仮説」です。いつもお付き合いいただきありがとうございます<(_ _)>(*^-^*)あくまでも仮説です。登場人物、場所、出来事、状況などはすべて架空です。
こんにちは!
またもや
仮説です!
あるあるかどうか
わからないんだけど
父親と母親って
意見が違ったりしませんか?
片方は教育熱心だったり
片方はのびのびがいいよとこだわったり
こどもとしては
大事な両親が
自分をめぐって
争っているのは
ほんとうに
おちつかないことでしょうし
なかよくしてほしいなあって
おもうだろうし
・・・・・
当事者の父母の気持ちを
自分なりに自分の自由で想像すると
ようは
子供に本当に
うまくいってほしい
無事に
そして
できれば
立派に育ってほしいと
双方とも思っている
だからこそ
ゆずれない
子供から見ると
え、そこまで
あらそわなくても
というぐらい
こじれることもある?
そして
最終的には
どっちかの戦略が成功したり
片方があきらめたりして
見た目
敗北したりする
そして
父と母が
本人たちも
表面的には
勝ち負けを感じて
喜んだり
むかついたり
タッグを組んで家族を構成しているはずの
相方を
なんだかなあと思って
もやもやしたりもする
こどもも
どっちかに賛同させられたり
かれらの争いをみて
どっちも
信じられないなあと
しらけて心が離れることもある
それが
間接的には
子供の精神的自立を促すきっかけになったりもする?(副産物?)
あんなに争わなければいいのに
と
けっこう
大人になっても
父母のあらそい
意見の対立に
真剣に心を痛める子もいる
さっさと解脱して
全然気にしない子もいる
・・・・・
なんで
ポートフォリオかって?
つまり
どっちの戦略が
子供に適するかなんて
ふたを開けてみるまでわからないってこと
何が幸いするかわからない
時代の流れで
まるっきり
結果が違うこともあるだろう
そう
わからない!
わからないから
父と母
二人いれば
別々の可能性に
分散するのは
実は
いきものの
戦略として
理にかなっているのでは・・・?
なーんてね!
またぞろ
仮説
おもいついちゃって
たのしくなっている
今日この頃です
あ、
あくまでも仮説です
三歩あるけば
わすれてるかもしれないし
全く別の考え方に
飛びついているかもしれませんので
聞き流していただけますと
たすかります
いつもお付き合いいただき
ありがとうございます<(_ _)>(*^-^*)
ではまた!
お父さんとお母さん、子供を思うからこそ、真剣に戦って譲れない?そしてそれは、生物の戦略として理にかなっているかもしれない?ふっと、思いついた「仮説」にお付き合いいただき、ありがとうございます<(_ _)>(*^-^*)登場人物、場所、出来事、状況などはすべて架空です。