後編
結局、女テロリストさんはそのまま自首し、私たちは解放された。
といっても、当然ながら、そのまま夏休み突入……ということにはいかないわけで。
警察による被害者への事情聴取。学校側の説明会。そして、ケガ人はいなかったけど、精神面でのトラウマが残っているのではないかということで、順次近くの総合病院で検査を受けることになった。
(トラウマ……)
カウンセリングを受けた後、ロビーのソファーにどかりと座り、その内容を思い出す。
あんなことがあった直後だから、母は心配して付き添おうとしていたけど、私は気恥ずかしさからそれを断った。
私がおかしいのか、みんなそうなのか。恥ずかしくて連絡を取れずにいたので他の人の状況がわからないけど、私は女テロリストさんの襲撃も、あの性癖暴露万博も、不思議と苦痛な思い出として残ってはおらず、差し当たって問題はなさそうだった。
(いや……)
訂正。一つだけ、ある。トラウマが。
それは――
「あれ? 佐藤さん?」
聞き覚えのある声にびくりと肩を震わせる。
ねじ巻き仕掛けの機械人形みたいにぎこちなく首を回して振り返ると、そこにはどこかためらいがちな――でも、さわやかな笑顔を浮かべるトラウマの元凶、金子君がいた。
「……ひ、久しぶり」
私が思わずぱっと脇を閉めると、金子君の笑みに苦いものが浮かぶ。
「……まだ五日しかたってないけど。カウンセリング?」
「うん。ちょうど終わったとこ」
「そうなんだ。俺もだけど」
苦笑いと共に紡がれるたどたどしい会話はやがて途切れ、辺りの喧噪が私たちの間を包む。
多くの学校が夏休みに入ったせいか心なしか病院は子供が多い。玄関扉に通じているので少し蒸し暑い空気の中で、小さな子たちの声と完全に集会所代わりに使っているご老人たちの井戸端会議が混ざり合い、普段はあまり耳にすることのない騒がしさができあがっていた。
「あの……ごめんね。あの時」
夏の病院の音に、小さく、金子君の申し訳なさそうな言葉が響く。それに私は「いや、別に……怒ってないから」とやっとのことで返す。
「……誤解されたくないから、言っとくけど、俺、そのー……腋毛の剃り残しがあるから、佐藤さん好きになったわけじゃないからね」
「ちょっと! こんな人前で言わ――」
そう言いかけて、はっとした。
腋毛の剃り残しに気を取られていたけど、会話後半、私にとってはとんでもない爆弾を投下されていたことに。
「……へ?」
突然の事態に対処しきれず、そのまま思考停止。
ゆっくりとその意味を咀嚼すると、徐々に頬が熱を帯びるのを感じ、思わず金子君の顔を見上げる。どこかきまり悪そうなその顔は、今自分にもさしてるであろう赤色に染まっていた。
「……私、女テロリストに拷問されたいって思ってる変態だよ? それに……腋毛の剃り残しに気づいてなかったし」
「そ、それひっくるめてだよ! てゆーか、腋毛の剃り残しはむしろあった方が――」
性懲りもなく人前で口に出そうとするのを聞き、言い切る前に横腹を小突いた。
「……す、すいません」
「……こっちこそ、ごめん」
終業式の日、スマホを落とした時と同じように謝り合うと、また沈黙が下りてくる。
でも、数日前のあの日と違い、互いの秘密を知った今となってはなんとなく気まずい感情とは違う――妙な心地良さがある無言の距離で。私は、乾いた喉を一つ鳴らす。
そして、勇気を振り絞り、だけどごく自然にスマホを取り出した。
とりあえず、金子君とはいわゆる「まずお友達から」ということで。
お互いのラ〇ンを交換し、夏休み中に遊びに行く約束はした。男子と付き合ったことないからわからないけど、こういうのってデートっていうのだろうか。
「服、どうしようかなぁ……」
夏の夕暮れに照らされた橙の帰り道。郊外の住宅街に伸びる自分の影とにらめっこしながら、私は一人思い悩む。ノースリーブやワンピース系は論外だ。日焼するし……腋毛、見えるし。
――俺、そのー……腋毛の剃り残しがあるから、佐藤さん好きになったわけじゃないからね
だけど、そう思っているはずなのに。
金子君の声が脳裏をよぎり、知らずと顔がにやける。
そして、なぜか――ほんの少しなら、見せてやってもいいかな、なんて思ってしまう。
そんな自分の思考に気づき、慌てて一人頭を横に振った。
ダメだ。また変な癖ができたら、ますます変態に磨きがかかってしまう。
「……でも、まあ、別にいっか」
真っ赤な夏空に流れていく雲を見上げ、どこか清々しい気持ちで笑ってしまった。
夏休み明けには、たぶん『ミス平均値』の称号は剥奪され、クラス中から『ミスマゾサイコレズ』だと思われるのかもしれない。
それでも、あの日以来、今まで自分を苦しめていた欲望――「女テロリストに拷問されたい」というこの気持ちも、別に悪いもんじゃない気がしている。
それはなぜか?
今、思えば、最初から自分の中に持っていた答えだった。
もっと、他人も自分も納得できるような意味を持つ欲望なら、私もこんなふうに悩まずにすんだのかもしれない。
だけど、どんな理屈も「そういうもんだ」と頭を諭すことはできても、この欲望そのものを作ったり、なくしたりはできないんだ。
そして、私が普通だと思っているみんなも、きっと何かしら似たような感情を持ってたりして。それぞれ自分たちの中でうまく付き合っていくしかないのだろう。
わざわざ表に出して見せびらかしたり、主張したりする必要はないと思う。でも、恥じることはあっても、別に自分を蔑むことはないんじゃないか。そんなふうに思えてくる。
だから、難しく思い悩まないで、お互いに変態だなって笑い飛ばしてしまえばいい。根拠はないけど、金子君とならそれができる気がする。
だって、どうせみんな少しずつ正しくて、少しずつおかしいのだから。
こちらにて完結なります。
お付き合いいただきありがとうございました。