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網抜けの先に 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 あ、先輩。ちょうどいいところに。

 こっちのほうに蝶が飛んできませんでしたか? アカホシゴマダラなんですけどね。


 ――へ? お肉屋さんに行ってこい?


 なに想像したんですか? 「赤星ごまだれ」とか思いました? ひょっとして。私はシンプルな焼き肉のたれのほうが好きでしてね。

 と、そうじゃなくって! アカホシゴマダラです。こう白い羽に黒い線が入った蝶でして、その格好は春限定なんですよ。それをこの虫取り網で、ひょいっと捕まえようと思ったわけです。

 実はついさっき、しっかり捕まえたはずでした。網をかぶせて「とった!」と思ったら、するりと逃げ出しちゃったんですよ。それを追いかけて、いまに至ると。


 ――網に穴が開いている?


 あらら、本当。

 大きくないですが、蝶はぎりぎり抜けられそうですかね。うっかりしてました。

 うーん、直そうかなあ。結局、蝶を見失っちゃいましたし。


 ……あ、網といえば。

 先輩、いまでもネタ探ししているんですよね? 網で一件、私の家に伝わる話をふと思い出したんですよ。

 よかったら聞いてみません? その辺りにでも座りながら。



 私たちのご先祖様は、戦国時代に別の土地から、ここへ移り住んできたと伝えられています。

 流れてきた農民が、新しい地で新しい田畑をもらい、生活をしていく。

 田舎の農民といえば、ややもすると排他的なイメージがわきません? 「よそもの出てけ」とか、コミュニティに入った瞬間に叩きのめされて、身ぐるみはがされるような野蛮な雰囲気まで想像しちゃいませんか?

 

 でも、実際のところは歓迎ムードだったらしいですよ。土地の許す限りなら。

 だっていざ戦となったときの、鉄砲玉に使いやすいですし。年季の浅いペーペーなんていうのは、面倒で危ない仕事を押しつけるにはぴったりの立場でしょう?

 元から人がいなかった土地。そこを借り受ける新参者なら、討ち死にすればそれまで。討ち死にしなけりゃ、「次も戦に駆り出せて良かったね」ですよ。長く住んでいる自分たちが出張る機会を減らせますし。

 排斥などという、「叩いて潰して、はいおしまい」じゃもったいない。よそものはできるだけ長く、効果的に使っていく。生き延びるための、農民たちの知恵というか、暗黙の了解のようなものですね。

 

 

 私のご先祖さまもこの例に漏れず、戦の召集がかかると、進んで出発の準備をしていたようです。

 新入りなら新入りで、何度も戦に出て帰ってきたとなれば、元から住む人たちも居心地の悪さを感じる人が出てくるでしょうから。それに、自分のことを覚えてもらえば仲間入りをしやすくなるし、次にやってくる「新人たち」に対して、幅を利かせやすくなるというものです。

 ご先祖様が参加した戦は、大半が、出番がほとんどなく終わるものだったそうです。自分がいる部隊以外の戦闘で趨勢すうせいが決まってしまい、流れによって掃討や退却に移ったりするものだったとか。


 ただ例外がありました。

 ご先祖様が住まう地を治める殿様は、相手取っている大名家が複数いました。その家たちと頻繁に戦と和睦を繰り返していたため、家同士の関係がひんぱんに変わっていたそうです。


 その中でただひとつ。何年たっても敵対関係をやめない家がありました。そして、田んぼの仕事が終わる時期になると、決まって両家の間で戦が起こったそうなんです。

 初めてご先祖様が戦に参加したとき、対陣してからは小競り合いがしばらく続きました。丘からのぞむ平野で繰り広げられる、両軍の旗の激突は一進一退。なかなか大きな動きを見せなかったんです。

 半刻(約一時間)経っても、状況は変わりません。ご先祖さまとしては、援軍のひとつも出してやった方がいいのでは、とも思いましたが、やはり軍に目立った動きは見られず。

 一兵卒が将に策を持ちかけるなどできるはずがなく、眼下の状況を歯がゆく感じていた、そのときです。


「敵襲!」


 見張り役の声が、声高く響きました。

 見るといつの間にか、この陣取っていた丘の周りを、ぐるりと敵の旗が取り巻いていたのです。いえ、こうしているいまも、少しずつ旗が立てられる姿が見受けられました。

 気配を殺して忍んで来た敵軍が、頃合いを見計らって旗を立てたのでしょう。安全と思っていたところへ、突然の包囲宣告。にわかに部隊全体がどよめきます。


 ほら貝が鳴らされます。それは退却を示す音色でした。

 さっとご先祖様は周囲を見回します。ひしめく相手方の旗の列から、ほころびを見出さんとしていました。


「北だ! 北から抜けられるぞ!」


 見張り役とは別の誰かが、声を張り上げます。ほどなく、自分の近くの兵たちが一目散に駆け去っていきました。

 確かに北の一方のみ、相手方の旗が見受けられません。


「包囲した相手が窮鼠とならないよう、一方を開けて逃げ道とし、自軍の被害をおさえる」


 広く知られる兵法のひとつですが、当時のご先祖様にはそれを知るすべはありません。

 死ぬのは御免とばかりに、皆の後を追いかけ始めたんです。



 来る時とは違う、悪路となりました。

 丘を駆け下った先にあるのは、見晴らしと水はけのよかった丘とは対照的な、うっそうと木が茂る湿地帯。たちまち草履は水がしみて、ぐしょぐしょと音を立てました。

 敵軍の旗は、なおもこちらを囲まんとしているのか、木々の間からちらちらと見え続けます。盛んに矢も射かけてくるようで、細長い影が空を切り、木の幹に刺さる音が聞こえてきました。


 ですが、逃げる中でご先祖様は疑問を持ちます。敵軍の包囲があまりに巧みで、それでいて積極的とはいえないからでした。

 しばらく逃げたあと、進路を塞ぐように彼らの旗が大きくなってきます。そこで足を止め、あたりを見回すと、やはり一方向だけ包囲がゆるいところがあるのでした。それに従って進むたび、湿地の沼と森の暗さが少しずつ増しているように感じるのです。


 ――いいように誘導されて、なぶられている?


 矢の間隔も短くなってきた感があります。ついに自分のすぐそばを走っていた兵のひとりが、いきなり背中をのけぞらせたかと思うと、一瞬固まったあとで地面に倒れ込んでしまいました。

 足を止め、兵を助け起こそうとしたご先祖さまですが、ひと目見て息を飲んでしまいます。


 首を貫いて刺さる一矢。特に致命的なところを刺されたのか、出血はほとんど見受けられません。

 問題はその凶器です。ご先祖様が見ている前で、黒い「矢」はぬるりとおのずから身をよじらせ、首の傷からじりじりと這いずり出してきました。

 矢の正体はヒルだったんです。指ほどにも満たない身体の太さのヒルが、すさまじい勢いで宙を飛び、兵の首へ突き刺さった。それがことの次第だったのです。

 自分のすぐ近くの木にも、「矢」が刺さりました。が、それもやはり己の身体をくねらせ、みずから幹から外れて逃げていくのです。おそらくは、自分たちが逃げている間、迫ってきた矢はきっとすべて……。


 ご先祖様は無我夢中で逃げ出し、どのようにして家へ戻ったか、分かっていないようです。

 それからも、毎年同じ時期に召集がかかり、殿様の軍とかの大名家は戦いを起こしました。そしていずれにも、あの丘の上に陣取る部隊があり、やはり同じように囲まれて退却の道を辿るのです。

 北の一方を開けられ、その先にある件の湿地の中へ引き込まれて。

 これが相手方の策ならば、殿様が対策を練らないはずがありません。それをむざむざ、同じことを繰り返す。ご先祖様の頭に、一抹の不安がよぎります。

 

 これは両大名家の示し合わせた、八百長ではないのか。と

 

 やがて戦乱の世は終わりを迎えます。かのご先祖様はすでに亡くなられていましたが、その一族に例の話は伝わり続けていました。

 この話に興味を持った一部の人が調べたところ、ご先祖様が追い込まれた場所は、ときの領主によって代々、生け贄が捧げられてきた地だという話を耳にしたそうです。あくまでウワサどまりで、確たる証拠は得られなかったようですけどね。

 江戸時代に入ってから、その湿地も手が入れられ、道が整備されたそうです。けれど、そこを通る人は、知らぬ間に身体の一部を食いちぎられることがしばしば起き、やがて廃れてしまったとか。

 

 


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