レクリエーション①
全員の準備が整い、再びメタンフォードの前に集まる。
団員は急所の防御のみを想定した鎧を全身に纏っている。おれは事前に使うか聞かれたが、少しでも俊敏性と隠密性を上げるために断った。
「じゃあ、改めて。今回の範囲は半径ニキロ。リュートはその中で何としてでも逃げ切ること。それ以外は何も考えなくていい。」
「はい。」
メタンフォードは満足そうに頷く。
「そして、団員諸君!君たちにとってはまたとないチャンスだ。ただし、彼は君たちが想像しているより遥かに強い。出し惜しみなど考えず、初めから全力でいけ!」
「はっ!」
百五十人の洗練された応答。士気が尋常ではない。空気のヒリつき具合はもはや戦前のそれだ。
「制限時間は二時間。リュートには開始まで十分間の猶予が与えられるから好きに使ってくれ。」
「了解です。」
「では、十分後からスタートだ。」
解散後、おれは早速距離をとった。二時間逃げ切ればいいのだから、まずは距離の確保だろう。
後は適当に茂みの陰でも、木の上でも黙って潜伏していれば楽勝だ。半径ニキロもの広範囲、ピンポイントに居場所を探り当てるなんてまず不可能だろう。
それにしらみ潰しで見つかったとしても、残り時間はそれほど残らない。魔獣との鬼ごっこで鍛えた逃げ足があれば…。
なんて考えが甘すぎた。開始から十分、気づけば周囲には団員が集結しつつあった。
一歩も動かず木の上でじっとしていたのになぜ。
次第に狭まる索敵網。既に物音一つ、呼吸音の一つが致命傷になりかねない距離感。
すると近くにいた団員の一人が急にしゃがんだ。地面をじっと見つめたあと、上空に向かって火弾を打ち上げる。
どうやら足跡が見つかったらしい。このままでは余計に人が集まってきてしまう。
見つからない可能性に賭けて留まるか、リスクを承知で完全に包囲される前に移動するか。
迷ってうちに二発目の火弾が放たれる。
「北北東、距離二十五、展開用意!」
声はこちらに向けられている。同時に四方を囲む多数の魔力を感知した。
本能はそこに留まることをよしとしなかった。木の上から飛び降り、最高速でその場を離脱する。
直後、無数の土の蔦が地面から伸びてきておれを取り囲む。ドーム状の牢が完成する一歩手前、わずかに伸び切っていない隙間に飛び込んだ。
「第一層突破、外壁用意!」
何とか蔦の包囲を抜け出したのも束の間、周囲に分厚い外壁が出来上がる。
だが、甘い。外壁一枚でおれを止めれると思っていたのなら心外だ。
『誓約の拳』の初陣。その性能を存分に見せてもらおう。
「もっていけええええ!」
魔力を惜しみなく『誓約の拳』に流し込む。美麗な真紅の曲線が脈動する。
全体重を乗せ、ミートポイントを外壁に合わせて一振り。分厚い外壁はガラスのように砕け散り、その衝撃は収まりきらず奥の木々をも薙ぎ倒した。
その威力は以前に使った無銘の戦鎚とは比較にならない。木の枝と聖剣ほどの差がある。
メタンフォードは世にとんでもないものを生み出してしまったのかもしれない。使い手を選ぶとはいえ、危険極まりない代物である。国軍力に影響を及ぼしかねない兵器だ。
なんて思ったが、面倒事に巻き込まれるのはどうせメタンフォードだ。おれの知ったことではないのである。
「第二層突破、代替作戦に移行!」
「了解。」
後方で団員が何やら叫んでいるが意味はわからない。ただ、これで終わりではないということだけは分かる。おれはひとまず全力で距離をおくことにした。
手持ちの懐中時計でようやく二十分。周囲に団員の気配はなし。
今度は走る際になるべく足跡を残さないよう、木や草むらを駆使して移動した…はずなのだが。
気づけば、またもや団員の捜索が近くまで及んでいるのだ。偶々なのか、何らかの痕跡を辿っているのか。得体の知れない何かに追い詰められているような気分だ。
このままでは先の二の舞になる。今度こそ迷いなく移動しようと判断したとき、柔らかな風が頬を撫でる。
同時に再び号令が響く。
「代替作戦、開始!」
合図を機に地面が激しく揺れる。立っていることすらままならないほど乱雑な揺れ。
さらに周りを見渡すと自分を中心とした巨大な円の外側が迫り上がっている。
「いや、逆だ!こちらが沈んでいる!」
やられた。円の外側が迫り上がっているのではなく、円の内側が沈んでいる。壁だと破壊されると踏んで対策を立ててきたのだ。この短時間で。
かと言って、揺れのせいで身動もとれない。這ったまま揺れがおさまるのを待つしかなかった。
しかし、予想外はさらに続いた。
「きゃあ!」
悲鳴の方向を見ると団員の一人が、際から足を踏み外して転落するところだった。
彼女は祈るように胸の前で両手を結び、目を瞑ったまま頭から落ちる。既に地面までは五十メートル以上あり、そのまま落ちれば確実に即死だ。
「お父さん、お母さん。こんなドジな娘でごめんなさい。先に逝くことをお許しください。」
そんな悲哀に満ちた表情で、早々に生きることを諦めていた。
いや、レクリエーションで人が死ぬとか冗談じゃない。
おれは考えるよりも先に地面を蹴っていた。何度もバランスを崩しながら走る。走って、走って、最後の一跳びで彼女に飛びついた。
空中で身体を捻り、背中から着地する。落下の衝撃で意識が飛びそうになるも、背の肉が削ぎ落とされたような激痛のおかげで逆に意識を保てた。
受け止めた団員は恐らく無事。落下の恐怖で意識を失っているだけだろう。しばらくジクジクと痛む背中の治癒に集中しながら、揺れが収まるのを待った。
しばらくするとそれは収まった。おれは落ちてきた団員を抱きかかえながら身体を起こす。その振動で彼女も目を覚まし、お互いの目が合った。
「…。」
「…。きゃあっ!」
彼女の掌打が仮面をつけている顔に入った。そして流れるようにおれを押し飛ばして、その場を離れた。
「い、痛い…。」
おれは複雑な気持ちでいっぱいだった。
確かに彼女からしてみれば、目覚めたら変な仮面の男に抱きかかえられている状況。普通に怖かったろう。パニックになるのも分かる。
だけど、おれの立場も理解してほしい。結構死ぬ気で助けたのにそんな反応されたら…。おれは泣いてしまうかもしれない。
「あ、あの…。」
声をかけてみるも彼女は後ずさった。完全に怯えられているようだ。
「お怪我はないですか?」
一瞬、彼女は言葉の意味を理解できずにいるようだった。しばらく無言で待っていると、何かに気づいたのか彼女はキョロキョロし出した。
そして最後に上を見ると、自分に起こった事を理解したようだ。
「えっと…。副官様が助けてくれたのですか?」
「まぁ、一応はそうなる…かな?」
「あ、あ、ごめんなさい!私とんだご無礼を!」
彼女は大慌てで土下座した。あまりに自然な動きに見とれてしまったが、女の子の土下座とか見たいものではない。
「そんなのいいから、いいから!とりあえず怪我とかなければ」
「痛っ!」
彼女は小さく悲鳴を上げて足首をさすった。
「ちょっと見せて。」
皮のブーツを脱がし、ズボンの裾を捲った。スラッとした綺麗な脚が露わになるが、足首の部分だけが赤く腫れていた。
おれは患部にそっと触れると、彼女はピクッと身体を強ばらせた。痛みを我慢しようと目を閉じた。
「大丈夫。すぐ終わるから。」
言葉通り十秒程度。腫れは引いていき、赤みも残っていない。
「どう?」
「え、どうって…?」
彼女は恐る恐る自分の足首を見ると目を丸くした。どう考えてもすぐに治るような怪我ではなかったはずなのに、と。
「へ、なんで?」
「これでも本職は治癒術士だからね。」
彼女はもう一度自分の足を見ると、ピョンと姿勢をただし改めて土下座をする。
「あ、ありがとうございます!私、あんな態度までとっちゃったのに。このご恩をどうやって返したらいいでしょうか。」
「じゃあ、一ついい?」
「はい、何でも。身体には自信ないですけど…がんばり…ます…。」
「自分を大切にしなぁ!違う違う、そうじゃなくて。」
彼女はキョトンとした表情でおれの顔色を伺った。
「で、では何を。」
「土下座やめない?それだけでいいからさ。」
「そんなっ…恐れ多いですぅ…。」
彼女は再び頭を下げる。こんな場面を他の人に見られたら要らぬ誤解を招きそうだ。
「分かった、分かったから!じゃあ、そうだな。『大地を穿つ爪』の情報をくれない?」
「情報ですか…。」
彼女は少し迷ったようだが、納得して土下座の姿勢を解いてくれた。
「まず貴方のことを聞いていい?」
「は、はい。私はシルル・ブリーズです。ブリーズ準男爵家の次女で、今は『大地を穿つ爪』の索敵部隊に所属しています。」
彼女はグレンに憧れて騎士を目指したのだとか。騎士学校時代は準男爵家という弱い地位と内気な性格が災いし、周囲から侮辱されることも少なくなかった。
また、それを覆せるだけの実力もなく、勉学だけのガリ勉女と嘲笑われてばかりだった。
卒業直前まで、どの騎士団からも声がかからず諦めかけていたとき。彼女に声をかけたのがメタンフォードだったらしい。
「フォード様は風属性最弱の『旋風』しか使えない私に道を示してくれました。」
「それが索敵部隊だったということか。」
「そうです。出力の弱い『旋風』しか扱えなかったおかげで、風を操る精密さが身についていたらしくて。呼吸のように、僅かな空気の乱れも見つけられるということを教えてもらいました。」
それまで勉学でしか評価されてこなかった彼女にとって、実技でメタンフォードから評価をもらったことは望外の喜びがあったことだろう。
おれもそれに似た経験に覚えがあるので、その気持ちは非常に共感できる。
そして、なるほどと同時に納得をした。呼吸で人の位置を把握できるなら、このレクリエーション、潜伏で逃げ切るのはかなり難しい。
この調子で団員の情報や作戦を聞き出せないものだろうかと考えたとき、空気の変化を感じた。
何かに狙われているような緊張感。
「ど、どうしたんでしょうか!?」
「何か…いる。」
団員が狙ってきているかと思いきや、どうやらそうでもないらしい。殺意の出処は、地面が沈んだ際にできた壁面に点在するいくつもの穴だ。
地中だったはずの場所にあるいくつもの穴。どう考えても嫌な想像しかできない。おれを捕えるための魔法が運悪く地中にいた何かを刺激してしまったようだ。
「あ、あれは…!」
「シルル、あの穴が何かわかる?」
「はい、あれはサンドワームの巣です!」