誓約の拳
メタンフォードの挨拶が終わると、ピックは鼻息を荒くして真っ先におれに向かってくる。
「フン、副官の座はわーがもらったるでな!覚悟しとけや!」
ピックがおれを指差し啖呵を切る。
どうしよう。負けないぞう、とでも返せばいいだろうか。いや、でも大人気ないかな。
困惑していると物腰柔らかな好青年がピックの首根っこを掴んだ。二十歳前後でメタンフォードよりも身長はやや高い好青年。
「コラコラ、副官殿に迷惑かけるなよ。そもそもまだ正式な団員ですらないんだからあんまりはしゃがないの。」
「だあ!離せ、マルク。それにこいつが副官でいられるのも時間の問題でねえか!」
「はいはい。君はまず一人前の騎士になろうね。」
マルクがギャーギャー文句を言っているピックを引き剥がすと、視界の外に追いやった。
「すみませんね。うちのバカが。」
「あ、いえ。構わないんですが、正式な団員じゃないというのは?」
「ああ、あれは一年前にメタンフォード様が拾ってきた孤児でしてね。今は見習い中なんですよ。」
「な、なるほど。」
そうか、孤児か…。しかし、一年前に拾われたにしては、中々の槍さばきだった。
「それに多いんですよ、この騎士団は。才能を見込まれて拾われた奴がね。」
「あなたも?」と聞きそうになったが、何となく口を噤んだ。それは初対面の人が触れてはいけない気がしたから。
「おっと、ご挨拶が遅れました。僕はマルク。今は副官殿の方が立場は上なので、失礼のないよう努めませんとね。」
おれは差し出された手を素直に握る。仮面を外せないことを謝罪しながら名を伝えた。
「それにしても他の団員と比べると…なんというか…。」
「友好的ですか?ははは。彼らも普段はあそこまで敵意むき出しではないですよ。今回ばかりはそれぞれ譲れない思いがあるのでしょう。」
「譲れない思い…ですか。」
「言ったでしょう?拾われたって。中には本当に酷い環境から救われた者もいるんですよ。そういう奴らは騎士団の中でも特にメタンフォード様への忠誠心が強い。過激派、なんて呼ばれるくらいには。」
過激派…。なんて物騒な響き。おれはこのレクリエーションとやらを生きて終えることができるのだろうか。「死因、メタンフォード過激派によるリンチ」とか嫌すぎる。
「まぁ、全員が全員そうというわけではありませんがね。ただ、これだけはご理解いただきたい。見ず知らずの少年が副官に抜擢されるということの意味を。それはメタンフォード様の下にいた団員としては看過し難いことなんです。」
それは当然理解しているつもりだ。おれの立場に置きかえれば、ハル姉がどこぞの不審人物を侍らせているようなものだろう。
想像するだけで確かに耐え難い。敬愛する人からの信頼がそんな者に劣っているなんて考えたくもない。
おれはその相手が剣聖であっても我慢ならないのだ。団員からしてみればそれ以上の屈辱なのは理解できる。
だからこそのメタンフォードの提案なのだ。せめて力を示せと。団員を力で納得させてみせろというメッセージだ。戯れの意向も少なからずあるだろうが。
「ええ、理解はします。ですが、おれも譲る気はありません。」
「…そうですか。お手柔らかにお願いしますね。では、また後ほど。」
マルクは立ち去ろうとすると、ピタッと止まって振り返った。
「あ、そうだ。一つ、僕からの忠告です。捕まるなら人を選んだ方がいいですよ。過激派はちょっとばかし気性が荒くてですね。余計に痛い目を見ることになるかもしれません。」
爽やかに笑いながら恐ろしいことを言うものだ。今度こそマルクは団員の輪に戻っていった。
「新入り、さっさと作業終わらせねえと今日の寝床はないと思え!」
「承知した!」
「もう疲れたんですけどー。」
「御意。」
「御意。」
また別の場所から団員の怒声が聞こえる…のだが、どうにも聞き覚えのある声も一緒に聞こえる。
明朗な声に気だるそうに間延びした声。あとは仰々しい二つの返事。
声の主を探すとつい先日対峙したばかりの彼らの姿があった。カラフル五人組のうちレッドとブルー、グリーン、イエローの四人の姿だ。
「ちょ、ちょちょ、ちょっとフォードさん!?あれはどういうことですか!?」
「どういうことって…ああ、まだ言ってなかったっけ。」
「何にも聞いてませんが!」
「なに、監察処分となった彼らの身元をうちの団で管理することになっただけさ。先の件の免責を条件にね。」
何という手際の良さ。そういえばマルクもちょうどそんなことを言っていたか。才能を見出されて拾われた者が多いと。おれはその手口の一端を見たような気がした。
「ふむ。そうだな…。よし。新入りの四人を少しこちらに寄越してくれないか。」
「かしこまりました!」
メタンフォードが団員に声をかけるとすぐに四人が連れてこられる。
「何をするつもりですか?」
「君の味方を作る。仮面を外してもらえるかい?」
「え、だけど…。」
「大丈夫。彼らなら問題ない。」
四人は横一列に並ぶと端のレッドが口を開いた。
「何用でしょうか!」
「ああ、改めて副官の挨拶をと思ってね。」
「なるほど。副官殿!我々は若輩の身ゆえ、ご指導よろしく頼む!」
聞くと四人の名前はあの時から変わっていた。レッドはクリフ、ブルーはメルに。グリーンもとい疾風はハヤテ。イエローもとい迅雷はジン。あとこの場にいないピンクはモモに改名されているらしい。
まっすぐこちらを見るクリフの目には一片の邪悪さもなかった。メタンフォードが問題ないと判断したのだ。おれは躊躇いながらも正体を明かすことにした。
「ぬ、ぬぁにぃ!?」
「しっ、声が大きい!」
その声量で一斉に騎士団員の視線を集める。慌てて仮面をつけ直し、視線が離れるの待った。
「リュート殿であったか!これはこれは、挨拶が遅れ失礼した。先日は本当にすまなんだ。貴殿には改めて感謝申し上げる。」
「わお。ほんとだ。背格好もあの時と同じだったのに。何で気づかなかったんだろ。」
クリフとメルは驚いた顔を見せる。おれは詳細は伏せたまま、ハル姉を陰で支えるために正体を隠していることを説明した。
「それは格好いいな!」
クリフがニカッと白い歯を見せると、ハヤテとジンも目を輝かせる。メタンフォードはそんな彼らにここからが本題だとばかりに話を始める。
「それでだね。君たちに頼みがある。」
「なんだ!」
「今後、如何なるときもリュートの味方となってほしい。何があってもだ。」
「それは…悪を成そうとしていてもか?」
「そうだ。だが、そんなことは絶対にありえない。保証する。悪に見えるその先に、必ず正義を見据えているはずだからだ。」
「…。その返事は考えさせてくれ。我はまだそれを推し量れる域に立てていないのでな。」
「ああ、今はそれでいい。そのために君はここにいるのだからね。」
微かに妙な空気が漂ったが、それ以上会話は発展しなかった。
その後、四人は解散し、その場にはおれとメタンフォードだけが残された。
「ハッ!今すごく恥ずかしいことを言われませんでした?」
「うん、そうかい?それよりレクの前に君に渡すものがあったんだ。ついて来て。」
メタンフォード用の宿所にまでついていくと、彼は奥から縦長の木箱を持ってきた。
「これは?」
「開けてごらん。」
おれは言われるがまま蓋をカポッと開ける。中には真っ黒な下地に赤色の彫刻が施された戦鎚が入っていた。
黒色はどこまでも深く、真紅の彫りは柄から頭にかけて血管のように滑らかに流れている。
武器というより一つの芸術作品のようだ。禍々しさと美しさの調律に目を奪われた。
「綺麗…ですね。」
「ああ、我ながら傑作だと思うよ。銘は『誓約の拳』。良ければ受け取ってもらえないだろうか。」
「でも、こんな…。」
素人のおれでもわかる。国宝に認定されてもおかしくないレベルの逸品。こんなものを「はい、分かりました」と受け取れるほど無神経ではない。
「いいんだ。これは君のためだけに造った。君にしか扱えない。」
「でもっ。」
「それとも何か。この最高傑作を鑑賞するだけの、ただの美術品にしろとでも言うのかい?」
そうするだけの価値があると思った。遠く未来まで、残し続けるべき至宝だと。
だけど、意思に反しておれの手は『誓約の拳』の柄を握っていた。
「以前のように魔力によって膨張することはない。代わりに喰らった魔力は全て推進力に変換され、以前とは比較にならない威力を得る。衝撃に耐えうる鉱物の配合、魔力の流動性を最大まで高めた構造、全ての機能に調和をもたらすデザイン。完璧だ!」
魔力が勝手に喰われる。なるほど。おれにしか扱えないとはこういうことか。無限に近しい魔力を扱える俺だからこそ、『誓約の拳』は真価を発揮する。
「レクで試運転してみても?」
「ああ、構わないよ。」
追跡者に捕まったら副官交代。プレッシャーは大きいはずなのに、心の奥の方で早くこれを使ってみたくてワクワクしている自分がいた。
☆
「随分と目をかけているんですね。」
「リュートはすごい奴だからね。」
ガレオは何となしにメタンフォードに話しかけると、思いの外陽気な声が返ってくる。
まだ誰とも言っていないのに思った通りの名前が出てきたことに驚いた。
ガレオは少し前のことを思い出すと、メタンフォードのあまりの変化に疑問を抱いていた。
変化のきっかけは間違いなく選定の時だ。それまでのメタンフォードはその能力に不釣り合いなほど自信に欠けていた。己で己を卑下しているような印象さえあった。
それが選定から帰って来てからはどうだ。ガレオに団長の座を引き継ぐ時なんて、自由人の如き振る舞いで団員全ての度肝を抜いたのだ。
そんな風に彼を変えてしまったのが何なのか。ガレオはこのときようやく理解した。
「彼は本当にすごい奴なんだ。」
「ですが、いいのですか?あんな条件を出してしまって。」
「何のことだい?」
ガレオは目を見開いた。あまりの無自覚さにさらに驚愕した。
「何のことって。捕まったら副官を交代させるって話ですよ。」
捕縛訓練は今のところ逃亡者必敗の訓練なのだ。メタンフォードが鍛え上げた団員は他の騎士団と比べてもかなり優秀で、それから逃げ切るのは至難の業だ。
現にガレオが見てきた中での最長逃亡記録は三十分。それなのに今回の訓練は制限時間を二時間に設定してあるのだ。
しかもフィールドは『大地を穿つ爪』騎士団が比較的得意とする自然地帯。
贔屓目に見てもリュートの勝ち目は限りなく薄い。
「ああ、そんなことか。」
「そんなこと…ですか。」
「大丈夫。こと逃亡において彼の右に出る者はいないよ。今の彼は僕をもってしても捕らえきれないだろうね。」
そんな馬鹿な、と口にしそうになるがメタンフォードはどうやら大真面目に言っているらしい。
彼で捕らえられないなら、もはやこの国でそれが可能な人間はほとんどいないだろう。
「何たって、あの『勇者』を助けると豪語し、『紅蓮の暴姫』に認められ、『剣聖』に喧嘩を売り、『お立ち台の騎士』を救った男だからね。」
「まさか…!冗談ですよね?」
「はは。冗談に聞こえるだろ?だけど本当なんだよ。だからあいつはすごいやつなんだ。彼自身、その凄さを自覚できてないみたいだけどね。」
貴方にだけは言われたくないだろうとは言えず、ガレオは悔しさ反面、哀れにも思った。
メタンフォードほどの人物に評価されるのは正直羨ましい。だけど、そんな人物からの絶対の信頼に応えなければならないことを思うと、そこに課される責はとてつもなく重い。
羨望と哀れみ。そんな複雑な感情を懐きながら、ガレオは深いため息をついた。