波乱の前日
おれたちは野営地の設営のため、合同訓練の前日に現地に乗り込んだ。そこは山岳に囲まれた未墾の土地。道にも街にもなり得ぬ地形故か、人の手が加わることはほとんどない。
そんな場所に『大地を穿つ爪』騎士団は統率のとれた動きで野営場を築き上げていた。名前に『大地』を冠するだけあって、木々の伐採やら整地まで抜かりがない。
「総員、傾注!作業止め、メタンフォード卿のご到着だ!」
男が呼びかけると全員が作業の手をピタリと止め、メタンフォードの前で隊列を組んだ。
「これより総勢百五十名に対する指揮権をメタンフォード卿に委譲致します。」
「はは、堅苦しいのは相変わらずだね。ガレオ団長。」
「仕事ですので。」
メタンフォードより一回り大きなその男はこの世の全てに不満を抱いているかのような雰囲気を漂わせ、眉間に皺を寄せたまま応える。
メタンフォードは特に気にする様子もなく笑い飛ばしている。こうして前任と比べるとタイプが全く異なる。
「それと念のため。僕の不在時は団の指揮権を君に返還するが、その時はできる限り彼を助けてやってくれ。」
そう言うとメタンフォードは視線をおれに誘導する。ガレオは不満げに見下ろすと、一言「承知しました」と重低音を発した。
「じゃあ、これから君たちには再び僕の指揮下に入ってもらうわけだが」
「ちょっと待てやあああ!」
威勢のいい声が上空から聞こえてくると、次の瞬間、剣戟の音が鳴り響いた。明らかに十五に満たない少年がメタンフォードに向けて槍を振り下ろしていた。
「やぁ、ピック。また背が伸びたんじゃないか?」
「子ども扱いするでねぇ!」
「そんなつもりはないさ。」
メタンフォードは槍を受け止めていた剣で少年を身体ごと弾いた。ピックと呼ばれた少年はふわっと着地すると戦闘態勢を解いた。
「え、どゆこと?」と思いながら困惑しているとメタンフォードは世間話でもするように切り出した。
「心配ない。彼はいつもああだから。」
「いつもああって。」
完全に斬り殺しにかかっていたように見えたがこれ如何に。剣で受け止めていなければ致命傷は免れない攻撃だったはずだ。
「む。やい、お前か!団長の副官になったっていうガキは!」
「ガキて。」
この人生で、どう見ても年下の少年からガキと呼ばれた経験がなくて動揺を隠せない。
「わーはまだ納得しとらんでな!」
独特な訛りで煽るピックの姿にひどく既視感があった。かつて同じようなことを言われた気がする。そう思って記憶を漁ってみると、すぐに該当する人物に思い当たった。
そうか、フラムだ。最初はことあるごとに「認めてないからな」と突っかかってきた彼。その言葉の根底にあるものは姉への絶大なる敬意だった。
つまりピックの言いたいことを要約してしまえばこうだ。「どこの馬の骨とも知れないガキにメタンフォード様の副官が務まるか!」
そこまで思い至ると、他の団員から向けられる視線が急に気になり始めた。声にならない主張が飛び交う。
「なんでお前みたいな得体のしれない小僧がメタンフォード様の副官なんだよ。クソが!」
「てめぇの仮面ぶち壊したろか、オラァ!」
「ねえ、お前何なの?何で団員でもない奴がメタンフォード様に選ばれてるの?死にたいの?」
「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す…。」
頭の中の翻訳機が適当な仕事をした結果、とんでもなく物騒な敵意が押し寄せてきた。
「ひぃっ…!」
「うん?どうしたんだい、リュート…って、なるほどね。大人気じゃないか。」
「誰のおかげですかね!?」
メタンフォードはケラケラ笑っているが、当のおれは文字通り笑えない。一体、どういう心持ちで彼らと接すればいいのか、分かるものなら教えてほしい。本当に。
こうして会話しているだけでも団員たちの視線が痛い。笑っていないで、このいたたまれなさを何とかしてくれないだろうか。
そんな願いを聞き届けたように、メタンフォードが何か閃いたらしい。断言できる。絶対に良からぬことだ。
「よし、いいことを思いついた。」
「猛烈に嫌な予感しかしません!」
「ははは。何言ってるんだい。この上ない提案をしてあげようというのに。」
「…ご遠慮したいです。」
「まぁまぁ。君もこの空気のまま過ごしたくはないだろう?」
「ぐぅ。」
ぐぅの音しか出なかった。確かにメタンフォードの言うとおり雰囲気は最悪。選択の余地はない。
「まぁ、聞くだけなら…。」
「よし。では了承が出たところで…『大地を穿つ爪』諸君!」
メタンフォードは団員に向き直る。自然と団員の視線が集まる。
「君たちも設営ばかりじゃ面白くないだろう。そこで、このリュートの挨拶も込めて一つレクリエーションとしよう。」
団員同士は視線を交わし、ガレオ団長はやれやれとため息をついた。心中お察しする。が、人の心配ばかりもしていられない。嫌な予感が現実味を帯びてくる。
「捕縛訓練。騎士団の演習メニューにあるからほとんどの者にとってはお馴染みだね。まぁ、初参加が数人いるからざっとルールだけ説明しようか。」
と言って、メタンフォードはレクリエーション内容を簡潔に説明した。
要はちょっと物騒な追いかけっこだ。逃亡者役は追跡者役に捕まらなければ勝ち。範囲内であればいかなる手段も許される。逃走、隠密、反撃、なんでもありだ。殺傷性のある攻撃も禁止しない。
対して追跡者の目的は逃亡者を生きて捕えること。少なくとも口が聞ける状態で捕縛しなければならない。
「そして、今回の逃亡者はリュートにやってもおうと思う。」
はい、きました。突然の指名。ルールを聞いた瞬間、全て悟りましたとも。どうせこれで終わりではない。彼はきっとこの後にこう続けるのだ。
「ただやってもらうのも味気ない。だからこうしよう。リュートを捕らえた者は、彼の代わりに僕の副官に抜擢する。」と。
メタンフォードのことだ。こんな面白イベントをみすみす見逃すはずがない。皮肉と嫌がらせを生業とする彼にとっては絶好の機会でしかないのだ。
「おや、驚かないんだね。」
「ええ、もう諦めてます。それに、まだ言いたいことがあるのでしょう?」
「いいね。分かってきたじゃないか。そう。ただやってもらうのも味気ない。だからこうしよう。リュートを捕らえた者は、彼の代わりに僕の副官に抜擢する。」
我ながら一言一句外さない推測に清々しさすら感じる。などと悦に浸っている場合ではない。
団員の士気が爆発し、「ぶっ殺したらあ!」ばりの怒声が響く。というか、普通にそう聞こえる。
ルール、理解してます?
そう問うような視線をメタンフォードに投げかけた。「さぁ?」と雑なジェスチャーで返され殴りたくなった。