小悪魔アサヒの思惑③
「たまには息抜きに出かけてみたらいかがですか?」
「ふぅ…そうですね。いいかもしれません。」
ティーユは私の顔色を覗うと苦笑を浮かべた。それだけ私は疲れた顔をしていたのでしょう。
リューくんのことで悶々とする日々に加え、休みのない連日の業務。十代の女子に課す労働にしては些か重すぎるのではないでしょうか。
そういう訳で、私は一日だけお休みをもらうことになりました。護衛はつけず、フード付きのローブに身を包んでお出かけです。
普段なら休日は自室でゴロゴロするところだけど。今日ばかりは天気がいいこともあって、何となく気が向いたのです。
久しぶりのお忍び外出。ルンルンな気分で城下町に足を踏み入れた矢先、私は悪夢のような光景に直面することになりました。それはまさに絶望。この世の終わりすら生ぬるい最悪の悲劇でした。
「え、リューくん…?」
私は類稀なる視力と動体視力をもって、最愛の人をその視界に捉えたのです。まだ彼には気づかれていないようですが、可愛らしい女の子と並んで歩いています。
初めは他人の空似かとも思ったけれど…いえ、思い込もうとしたけれど。冷静に考えて私が彼を見間違えるはずがありません。ドラゴンとスライムを間違う者はいないでしょう。それと同じです。
久しぶりとは思えない彼の姿に胸がぎゅうと締めつけられる。私は呆然とその場に立ち尽くしてしまった。
元気にしてた?
なんで副都にいるの?
会えない間は何をしていたの?
その子は誰?リューくんの何?
たくさん聞きたいことはあったけど、口をついて出たのは曖昧な一言でした。
「どうして?」
どうしてもこうしてもありません。リューくんとて年頃の男の子。女の子とデートをしていたとて不思議はない年齢です。それなのに裏切られた彼女面をする私って…。
「まぁ、いいや。…世界、滅ぼすか。」
まぁよくはないのです、私。自室で埃を見つけたときの「部屋、掃除するか。」みたいなノリはやめなさい。魔王だってもう少しマシな理由をもっています。
それに、まだ隣の少女が恋人と決まった訳ではないのです。二人の関係がわからない以上、世界滅亡は時期尚早。そう、私は大人の女性。いつ如何なるときも冷静な判断を忘れてはいけないのです。
私は二人を尾行し、その動向を探ることにしました。勇者がストーキングしてもいいのかって?そんなことは知ったこっちゃありません。これも世界を救う行為なので問題なしです。
自問自答している間、わずかに少女がこちらを見たような気がしましたがきっと気のせいでしょう。普通の女の子が気づける距離ではありません。
尾行を開始してからしばらくして、さっそく二人に動きがありました。羨ま…いえ、ありふれた些細なアクシデント。
人混みの中、少女はすれ違った通行人とぶつかってしまう。転びそうになった彼女をリューくんはすかさず受け止めた。…大多数の人にはそう見えたことでしょう。
しかし、私は見逃しませんでした。彼女がわざとよろめいたことを。実際はぶつかるどころか誰にも触れられてすらいないことを。
しかもその機に乗じて、彼と腕を組むなどとやりたい放題。でも、そこまでなら私も目を瞑ります。健気な悪戯だと思えばかわいいもの。
ですが、許されざる暴挙はこの後でした。彼女は確かに私に視線を向けると、勝ち誇った笑みを浮かべたのです。
つまり、これは私への宣戦布告。明確な敵対行為です。どうやらあの女は純粋無垢の皮を被った女狐のようです。
リューくん、その女狐に騙されないで。いざとなったら私が何とかするからね。
私は意を決して二人の尾行を続けました。言わずもがな、その先は私にとってまるで拷問でした。二人は人目も憚らずイチャコライチャコラ。見ているだけでも心臓が痛かったです。
すると今度は急ぐように脇の路地に入っていくではないですか。撒かれまいと慌てて追いかけると、そこには衝撃の光景が。
「そんなに好きなの?」
「当たり前だ。好きに決まってるだろ。」
そこには重なる二人の姿がありました。甘い言葉を交わしてキスをする恋人同士の姿が。
「こ、こんな白昼堂々とキ、キキ、キスしてるじゃないですかっ!ああ、リューくんが他の子と…うぴゃあああ!もうやむを得ません。特務権限で女狐は地下牢、リューくんは私室に無期懲役です!」
…なんて、脳内独裁者が発狂しているけど、当然そんな横暴がまかり通るはずもなく。私は魂が抜けたように二人の熱烈ぶりを覗いていることしかできませんでした。
その後のことはほとんど記憶がありません。怒涛のイチャつきぶりに脳が理解を拒み、身を削られる想いで追跡していたことしか…。
しかし、女狐は手を緩めることはありませんでした。既にボロボロだった私のメンタルに、ついにトドメを刺しにきたのです。
二人が入って行ったのは副都でも有名な店。そこは婚約指輪を求める貴族御用達の宝石店でした。
まさにこれ以上ない絶望でした。あの二人はただの恋人という関係にあらず、近々結婚を視野に入れるほど親密だということ。これはもう世界滅亡で決定です。この私が手ずから終わらせてみせましょう。
そう息巻いてみても、すぐに行動に移れるほどの気力はありませんでした。今は何もしたくありません。世界の終焉はおあずけとしましょう。
結局、私は一縷の望みもないと知りながらも、縋るように二人が帰っていく様を見届けました。
息抜きのつもりがこんな最悪な形で休日を台無しにされるとは思ってもみませんでした。
涙はまだ流れません。あまりのショックで感情が追いついて来ないのです。現実を前にしても実感が伴わず、悪い夢でも見ているようでした。
時の流れも忘れて佇んでいると、ひょいっとあの少女が目の前に現れました。近くにリューくんの姿はありません。
「勇者様ですね?」
いきなり正体を言い当てられて心臓が飛び跳ねました。とは言っても、顔を覆うものはないので近くで見ればわかる人はわかるのでしょう。良くも悪くも私は有名人ですから。ですが、それが理解できるほど今の私は冷静ではありません。
「そ、そうですが。」
「やっぱり。それで、その勇者様がどうして私達を尾行していたのでしょうか?」
ギクリと身体が反応してしまいました。一日中、二人をストーキングしていたことを思い出して冷や汗が止まりません。
まさか「私のリューくんが女狐に化かされていたからですが?」と開き直る訳にもいきません。
「いえ、あの…その…リューくん…いえ、貴女と一緒にいた男の子がですね…。その…なんというか…。」
「ああ、一目惚れ!ハルティエッタ様は人の男に一目惚れをされてしまったと。」
「ち、違います!私は…私のほうが、ずっと前から彼のことが好きだったんです!貴女よりも、ずっと昔から!」
慌てて否定した挙げ句、とんでもないことをぶちまけてしまいました。彼女が「人の男」に力を入れて言うものだから、血が頭に上ってしまったのです。
「ぷっ、あははははは!そんな必死に、好きだったんですって。ふふ、勇者様もちゃんと女の子なんですね。」
「うぬぬ…。」
「あれぇ、でもリュートからは手痛くあしらわれたって聞きましたよ?」
「そ、それは…彼が私のために危険を冒そうとするので!突き放さないとって。でも、好きな気持ちは今でも変わっていません!勇者であることだって、彼を守るためと思えばこそで…。」
我ながら余計なことをペラペラと話してしまっているような気もしますが、口が止まりません。抑えていた想いが止めどなく流れていきます。
「なるほどねえ。事情はなんとなくわかりました。貴女が意外と乙女だってことも。」
私は今さらながら自分の失言に恥ずかしくなって顔が熱くなってきました。初対面の、しかも年下の女の子に私は何を言っているのでしょう。
それでも私は自分のプライドなんかかなぐり捨てて、お願いをしてみました。
「あの…できればリューくんに会わせてもらえませんか?」
「え、普通に嫌ですよ?」
「…。」
ですよね。分かっていました。至極当然過ぎてぐうの音も出ません。
「彼に言い寄ろうとする人を近づけるわけないですし。」
「それは…そうかもしれませんが。私だって…。いえ、そもそも貴女たちはどういう関係なんでしょうか!」
「どういう関係って。ご想像の通り、将来を誓いあった…って、え?ちょっと、待って待って!嘘です、嘘だから泣かないで!」
どうやら私の意思に反して涙が勝手に溢れてきたようです。少女が初めて狼狽えた様子を見せました。
「じゃあ、どんな?」
「うぅ、ここでその涙はズルすぎる…。いいでしょう、わかりました。私とリュートは同棲関係です。まだ結婚までは考えていませんけどね。」
「同、棲!」
私は膝から崩れる他ありません。これはもう認めざるを得ないのではないでしょうか。確かにこの少女は可愛らしい。私なんかよりもよっぽど女の子らしくて。リューくんはやっぱりこういうタイプが好みなのでしょうか。
「だけど、さっき婚約指輪…。」
「あ、これですか?これは単なるアクセサリーですよ。はめているのも小指ですし。びっくりしました?」
やっぱりこの少女、可愛い顔してやることが陰湿です。私が見ていることをわかっていて、あえてあの店を選んだとしか思えません。
ですが今は彼女への恨みよりも、リューくんがまだその段階ではないことの安堵が勝っています。過去最大級の安堵と言ってよいでしょう。それでも二人が恋人関係であるショックは拭いきれませんが。
「よし、決めた。」
「何をでしょうか?」
「勇者様がその責務を終えるまで、結婚は待ってあげます。もし全てが終わって、それでも貴女がリュートのことを好きで居続けられたら、会わせてあげなくもないです。」
「本当ですか!?」
私は思わず少女の両手を握っていました。ぐっと顔を近づけて、前言撤回などないように必死に目で訴えかけます。
「え、ええ。もちろん。私、嘘つかない。」
私はいつからこんな単純な人間になってしまったのでしょう。先ほど少女につかれたばかりの嘘も忘れて責務への熱意が燃え上がるのです。リューくんに一日でも早く会うべく、それはもう熱く、激しく。