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小悪魔アサヒの思惑②

副都の街並みは王都からシックな雰囲気を差し引いた代わりに人目を引く色彩に満ちていた。


アサヒにとってはこちらの方が好みに合っていたらしい。到着してからのはしゃぎっぷりと言ったら、冒険に目を輝かせる幼子のようだった。


「ねぇ、すごいよ!何ここ、天国?何でもあるんだけど!」


王都とは比べ物にならないくらい多くの出店が並ぶ。ラインナップは装飾品や軽食を始めとして、足りない物が思いつかないほど充実していた。


「嬉しそうで何よりだよ、お嬢様。」


「ハニーって呼んで。」


「へ?」


いきなりのことで間抜けな声が出てしまった。


「今日だけでいいからハニーって呼んで。」


「わかったよ。お嬢様(ハニー)。」


ここで怯めばアサヒに精神的優位をとられてしまう。直感したおれは羞恥心が理性に追いついてくる前に答えていた。


まさか素直に呼ばれるとは思うまい。さあ、照れろ。照れてまくっていい感じに気まずくなるがいい。


そう心の中で高笑いをしたのも束の間。


「じゃあ、よろしくね。旦那様(ダーリン)!」


「ぐはっ。」


アサヒは照れたようにも、満足したようにもとれる微笑みを見せた。強烈なカウンターパンチが炸裂する。さっきのハニー呼びも相まって羞恥心が大氾濫を起こす。


「今日は仮面つけてこなくてよかったの?」


「つけてこればよかったと猛烈に反省してる。」


自分の甘さが悔やまれる。エスコートする身として仮面をつけるのはどうにも気が引けたのだ。アサヒとて街中で仮面をつけた不審者を侍らせたくはないだろう。


だが、今はニヤニヤするアサヒの視線から顔を隠したくて堪らなかった。恥ずかしさのあまり、名状しがたい表情になっていることだろう。


「ふふ、ありがとね。」


「何がですかね。それより向こうにハニーの好きそうなお店がありますよ。」


「ホントだ。いこ?」


軽快なトークを挿みつつ、人通りの多い路を二人並んで歩いた。時折、アサヒがぼそっと独り言を口にしたり、視線を忙しく動かしたりしている。見慣れない物が多すぎて興味が尽きないといった様子。


「きゃっ。」


「おっと。」


すれ違う人とぶつかりでもしたのか、アサヒは小さく悲鳴を上げた。おれは反射的によろめいた彼女を受け止めた。


「あ、ありがとう。」


「どういたしまして。」


おれはそのまま何事もなかったように歩き出そうとしたが、アサヒに腕を掴まれた。


「あの…もしよければ腕を貸してもらえない?」


彼女は控えめな上目遣いであざとくお願いをする。普段であれば断わっていたところだが、不意に側を歩く男女の姿が目に入る。そこそこ身なりのよい二人組で、男の方はごく自然に女性に腕を差出している。


そう思って周囲を見てみると、確かにどのペアも腕を組んでいる。エスコートと銘打っている以上、礼儀作法として当然の行為と見える。


おれは諦めてアサヒに向けて肘を曲げた。しがみつくようにその腕を抱く彼女の顔は少し悪戯っ子のようだった。


アサヒと腕を組んでから、彼女の態度はあからさまに変わっていった。


食べ物をねだるくらいならまだ可愛いもの。小さな菓子を指で摘んで食べさせようとしてくるし断れば逆を要求してきた。渋々それに乗ってやると、今度は指ごと咥えられ、ねっとりと舐めとられる始末。その破廉恥レベルはそれを見ていた若い男が前かがみで逃げ去っていくほどだった。


そしてその後は決まって、わざとらしくご自慢の柔らかいものを腕に押し付けてくるのだ。


「彼女のは揺れているが我は揺れぬ!」などと煩悩のあまり最低な決意をしたことは墓までもっていくつもりでいる。


「ねぇ、ちょっと来て。」


「今度はなに!?」


これまた街道を歩いているとき、彼女はいきなりおれの腕を引いて細い路地に入った。おれが壁となり、街道側からアサヒが見えなくなる位置どり。


突然アサヒはおれの首に両手を回し、背伸びをする。それは紛れもなく恋人がキスをするときの態勢だった。


「いや待て。そうはさせん。」


おれは彼女の両肩に手を置き近づいてくる顔を止める。おれの中でさすがにそれは一線を越えすぎる。お忘れかもしれないが、おれはハル姉以外とのキスを望んではいないのだ。


「そんなに好きなの?」


それがハル姉に対する気持ちを聞いているのだとすぐにわかった。そんなものは本来言葉にするまでもない。というか、それ以前に散々口に出してきたはずなのだが。


「当たり前だ。好きに決まってるだろ。」


決まっているのだ。そうでなければわざわざこんなところまで追ってはこない。そんなことは彼女も理解できているはずなのに。


「大丈夫よ。わかってる。」


「じゃあ、なんで。」


「ふふふ。こうすることに意味があったからよ。」


彼女はそう囁くと満足げに笑った。


おれにはその行動が理解できなかった。たった今フラれたようなものなのに。特に強がっているわけでもない。本当に心の底から楽しんでいるように見えるのだ。乙女心というのはつくづく不可解だと思い知らされる。


その後も彼女のけしからん行動は留まることを知らなかった。そして散々振り回された挙げ句の帰り際、最後と称してある店に引っ張り込まれた。


そこは簡易な屋台型の出店ではなかった。一等地に建つ小綺麗な装いの店。アサヒが入り口の扉を開けるとカラン、カランとベルが鳴った。


「いらっしゃいませ。」


近くにいた店員らしき女性が静かに出迎える。


「アサヒ、ここは?」


「宝石店だよ?」


そんなの見ればわかる。見渡す限り高価な石が並び、ショーケースには宝石を埋め込まれた装飾品が陳列されている。この光景を見てそうと理解できないほどおれは無知ではない。


「いいでしょ?こういうところも好きなの。」


そう言われてしまうと言葉に困る。二人で店の中をゆっくりと一周した。


「どう?私に合いそうなものあった?」


「まぁね。」


そこまで深く考えてはいなかった。ましてや彼女に似合う物を探していたわけでもなかった。


ただ、不覚にも彼女が求めている物はわかってしまった。一周する間、彼女は同じ商品を二度見ることはなかった。唯一、その指輪を除いて。


「これかな。」


「リュート、本当にそういうところよ?けど嬉しい。よーし、堪能したからそろそろ帰ろっか。」


アサヒは軽やかに踵を返した。こういう場合、黙って何もしないのが正解なのか。疑問を抱いた時点でおれの負けだった。


おれはメタンフォードから副官としてかなりの額の給金をもらっている。アサヒの選んだ品は今日見た中でも相当高額な部類だったが余裕で買えるだけの金はある。


そうとなればエスコートしている男が取るべき行動は一つだった。


「買おう。」


「え?えっと…その…え?」


アサヒは本気で驚いた顔をした。彼女にとっては想定外のことだったらしく目に見える形で動揺する。こんな反応、今日初めてではないだろうか。その様子はおれにとっては予想外だった。


あれ、それを期待していた訳ではない?

自分から買ってほしいと言えなくて、控えめにアピールした訳ではなかった?


もう何が何やらわからないが、言い出したことには責任を持たないといけない。リングの調整は店員とアサヒに任せきりにし、おれは一度店を出た。


何かと視線を感じる。アサヒには黙っていたが、今日一日ずっとだ。アサヒの行動が一々派手…というか、人の目を引く感じなのでそれも致し方ないと思うが。


そんな気まずさの中、待つことしばらく。ご満悦のアサヒが小指のリングを撫でながら出てきた。


「えへへ、ありがと。一生大事にするからね。」


「いいよ。喜んでくれたならそれだけで。」


「たとえリュート以外から婚約指輪をもらうことになってもこれだけは外さないからね。」


「それは外しなさい。」


「やだもん。」


アサヒは拗ねたように顔を背けた。余裕のある態度から一転、幼い素振りに不覚にもドキッとしてしまう。


なんて、少し甘ったるい会話を交わしながら帰りの馬車に向かう。その途中、並んで歩いていたアサヒは突然足を止めた。


「どうかした?」


「リュート、ちょっとだけここで待ってて。私、少し用事を思い出したの。」


「ここまできて遠慮しなくても。ついていくよ。」


「やん、リュートのえっち。」


「なんで!?」


「そんな…乙女の所用を覗こうだなんて。意外と紳士の皮を被った変態なのね。でもリュートなら私は」


「わかった、わかった!おれが悪かったよ。ここで待ってるからどうぞごゆっくりぃ!」


彼女はおれの反応を面白がりながら、来た道を戻っていった。その背中に戦場へ向かう戦士の姿を重ねたおれは、たぶん疲れているのだろう。


こうして最後まで感情的に揺さぶられ続け、一日のエスコートは終わったのだ。


帰り馬車の中、アサヒはポツリと一言呟いておれの肩に頭を置いた。


その一言がおれには「ごめんね」に聞こえたが、心当たりのないおれは聞こえないふりをした。


正味、先日までの任務の方が容易に思えてきてしまう。いつしか乙女心を理解できる日が来るのだろうか。そんなことを思いながら馬車に揺られ続けた。

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