小悪魔アサヒの思惑①
サジと少なからず絆を結び、エリスとアサヒが待つ双魚宮に戻った。入り口の扉をくぐると奥からアサヒがすっ飛んでくる。
「リューウートー!」
「ごふっ!」
彼女のタックルが見事に決まり、おれは外まで吹っ飛んだ。
「何すんじゃい!」
「だってえ!」
先日のことを思い出す。任務から帰ってきたとき彼女はものすごく心配してくれていた。泣きそうな顔までして。壊れ物でも扱うように迎えてくれたはずなのに。
今はそんな健気な姿の片鱗すら見せず、力の限り甘えようとしてくるのだ。思いっきりお腹に顔を擦りつけてくる。
「こら、離れなさい。」
「いーやーだー。」
がっちりと関節を締められていたが、何とか彼女を引き剥がした。
「ちぇー。ケチぃ。」
「ケチじゃありません。」
「ぶー。あ、それはそうと、しばらくは屋敷にいられるんだよね?」
「それが…。」
屋敷の中に戻り、アサヒに次の任務について説明した。
「二日後に出発!?」
「うん、先に現地で『大地を穿つ爪』と合流して野営地の準備をしないといけないんだ。」
「そんなぁ!危険な任務から帰ってきたばっかりなのに。労働組合に訴えよ?働きすぎはダメ、絶対!」
「それは難しいかなあ。」
特務部隊は一般的な組織とは異なり、いわば国営に携わる側面を持つ組織だ。つまり、使用者側の立場であり、労働組合に所属する資格がない。
「なら、今度は私もついていく!」
「すまないが、今回はそうもいかないんだよ。」
おれとアサヒのやり取りを盗み聞いていたメタンフォードが口を挿む。
「今回の参加者は席官とその副官、及び既定の騎士団員に限られていてね。部外者の参加が認められていないんだ。」
「むむむ。」
ふくれっ面になるアサヒ。それを見てメタンフォードは何か閃いたらしくパァっと表情が明るくなる。絶対に良からぬことだと悟ったが、彼の口を塞ぐことはできなかった。
「リュート、明日は完全休養日だ。一日くらい好きに過ごすといい。」
「デート。」
すかさずアサヒが飛びついた。懇願するような熱い視線がおれに注がれる。
「私、デートに行きます。」
「うん?誰と?」
「リュートと。」
アサヒは決定事項のように断言する。危うく「へぇ、そうなんだぁ」などと呑気に口走るところだった。瞬時にハル姉の顔が浮かび言葉をつまらせる。
「いや、行かないよ?」
「リュート、アシタ、ワタシト、デート。オワカリ?」
もちろんオワカリではない。だが、アサヒの圧は拒否の返答を許さない。
壊れた殺戮人形のようにカタコトになるアサヒ。そして、何より目が怖い。光が消え、大きく見開いている。殺気をも超越した鋭い感情がチクチクと肌を刺す。
もちろん行ってあげたい気持ちはなきにしもあらず。初めて会ったときに一緒に買い物とかしてるし今さら問題ないのでは…と思わなくもない。
だが、初めからデートと認識して女の子と出かけるのはいかがなものか。これはハル姉への裏切りではないのか。ハル姉一筋の名に恥じない行いなのか。
しばらく胸の内で激しい葛藤が巻き起こった。
「ふっ、くく。リュート、一つアドバイスをあげよう。身内のレディをエスコートするのは男児の義務だよ。くふっ。ご指名とあらば、なおさらその責任を果たさないとね?」
元凶となった男が笑いを堪えてプルプルと震えながら、ときどき我慢できずに吹き出している。
ドロップキックをかましてやりたくもあるが、彼の言うことにも一理あるのは認めよう。
ガブリエラの買い出しに同行したことを思えば何もおかしなことではない…のかな?
「まぁ、エスコートだけなら。」
「ふふ、やった。」
嬉しそうなアサヒの顔を見てズキリと胸が痛む。恐らく今後もおれがハル姉一筋からブレることなんてない。それはアサヒも承知の上だと思うが、それでも余計な期待をもたせることはしたくない。
そんな悩ましい気持ちなんてどこ吹く風。アサヒは軽やかな足どりで明日の準備に取りかかるのだった。
彼女がその場からいなくなるのを見計らって、メタンフォードに詰め寄る。
「何てことしてくれるんですか!?」
「なに、これからの予行演習みたいなものさ。」
「予行演習?」
「そう、君には貴族の自覚がまだないみたいだからね。それもあの紅の直系だ。これからは政治的に断れないお誘いがいくつも来るだろう。君はその度に家名に泥を塗る気かい?」
「それは…。」
「今のうちに女性の扱いに慣れておかないとあとで苦労することになるよ。」
言われてみれば、自分が貴族だなんて今でも信じられない。本来であればそれ相応の教育なんかも受けていて当然の年齢だ。女性の前で毎度あたふたしていては示しがつかないというのも理解できる。
「フォードさんはきっと未来を見据えているんだ。」と信じたいところだが、彼ならいつもの嫌がらせで誘導したともとれるのが残念なところだ。
「なら一ついいですか?」
「何かな?」
「苦労するというのは実体験ですか?」
「ふっ、どうだろうね。」
かっこよく背を向けて歩き去るメタンフォード。おれはそんな彼の背中を見て確信した。「この人、絶対には苦労した側の人だ!」と。
ブラン家の当主かつ若くして騎士団長にまで抜擢された出世頭。本来、二十代半ばを過ぎた彼に婚約者の一人もいないことの方が不自然なのかもしれない。
婚姻を結ぶ相手がいない、と考えるには彼はあまりにハイスペック過ぎる。地位も名誉も十分過ぎるほど手にしてしまっているのだ。婚姻の申し出なんて掃いて捨てるほどあったに違いない。
それでも現に彼が婚約すらしていないとなると、思い当たる理由は一つしかなかった。
そんな彼の忠告ならば素直に聞いておいた方がいいのかもしれない。おれは妙に納得させられてしまい、反論の言葉をまんまと失ってしまった。