78話 人質
「これはどういうことだ。タイプ『レヴィ…」
「その名前で呼ばないでって言ったでしょ、お父さん。」
ブルーは訝しげに問いかける村長の言葉を遮る。彼女が口にする「お父さん」は赤の他人を呼び捨てるような冷淡さを感じさせた。
確かに二人を見比べても全く似ていないし、年齢的には親子というよりは祖父と孫くらい歳が離れているように見える。複雑な事情を抱えていそうだが、部外者が軽々に触れていい話でもない。
「それに、私は検体を連れてこいって言う命令に従っただけ。ほら、何も問題はないでしょう?」
ブルーがそう言うと二人の視線は自然とこちらに向かう。状況が呑み込めなかったおれは数歩後ずさった。
「他はどうした?」
「みんな上で伸びてるわ。この検体のおかげでね。」
「ふむ…。ならば、お前はあやつらを回収せい。」
ブルーは村長の命令を無言で聞き入れ、おれを一人残し応接間を出ていってしまった。
混乱していて二人の会話を黙って聞いているしかなかったおれは、はっと我に返った。
「え、あ、あの…村長がどうしてここに?」
「ああ、いやなに。ここが私の住処なのでな。」
住処と言うには少々…いや、かなり特殊なケースだと思う。辺鄙な土地にある豪邸ということもあるが、それ以上に地上部分が使われている形跡がない方が気になる。どう考えても地下での生活は不便だし、加えて気になる点はいくつかある。
だが、今は何よりエリスとガブリエラの居場所を突き止めることが最優先事項。おれは混乱しながらも紡ぐ言葉を選んだ。
「ここにエリスとガブリエラ…獣人の女の子と若いメイドがいるはずです。」
「…ああ、ここで保護している。」
「会わせてもらえませんか?」
少し考えるような妙な静寂に包まれたが、村長は面会を許諾した。彼はすくと立ち上がると、おれを応接間のさらに奥へと案内した。
応接間を抜けると雰囲気は一変し、内観は住処というよりも罪人の収容施設のそれだった。
扉を一つ潜れば錆びついた手術台や医療器具。続く階段を降りれば異臭が漂う牢獄。その入り組んだ地下構造は巨大なアリの巣を彷彿とさせる。
「これは一体…?」
溢した疑問に返事はない。ただただ不穏な空間を通り過ぎ、行き着いた場所は二つの松明に挟まれた両開きの鉄扉だった。
村長が取手に手をかけると、扉の内部でガチャンガチャンと駆動音が鳴る。音が止むと村長は大して力を入れている様子もないのに重厚な鉄扉が軋み音を発しながら開け放たれた。
村長は部屋の前で立ち止まりおれに向き直った。
「探し人はこの先だ。」
そう言う彼の表情は、最初にミロワール村に訪れたときと何ら変わらないものだった。その顔に緊張が緩んでしまったのかもしれない。おれは二人の安否を確認するために、開放された部屋に勇み足で飛び込んでしまった。
「あれ…?」
扉の先は信じられないくらい広大な空間が広がっていた。地上に建てられた屋敷の崩落が心配になるほどだ。
だが、いくら目を凝らしてもその中に二人の姿はどこにもなかった。見えるのは巨大スペースを支える石柱。そして、床面や壁面には文字らしき未知の形の羅列が刻まれていた。
実は死角に二人がいるのかもしれないなどと、淡い期待をいだきながら歩き始めたとき…。
ガチャン、と籠もった駆動音が再度鳴った。慌てて振り返ったときには、もう遅かった。重苦しい鉄扉は完全に閉じられ、おれは部屋に閉じ込められてしまっていた。
「しまったああああ!」
閉まっただけに、などとおちゃらけている場合ではない。
摩擦で火を起こせそうなほどの勢いで踵を返し、扉をこじ開けようとしたがびくともしない。
何たる失態。一生の不覚。なぜおれは言われるがままに部屋に入ってしまったのだ。ガブリエラの手紙に「囚われている」と書かれていたことがまるっと頭から抜け落ちていた。
自分自身に向けられる悪意には敏感な自覚はある。だからこそ村長から一つまみの悪意さえ汲み取っていれば、同じ結果にはならなかったはずだ。それなのに…。
彼はさも当然のようにおれを幽閉したのだ。まるで善人が人を助けるように…いや、それよりももっと無自覚的かもしれない。
おれは急いで脱出口を探したが、目の前の鉄扉以外に人が出入りできるような場所は見当たらない。
「お主にはこれから儂の実験に付き合ってもらう。」
どこからともなく村長の声が聞こえてくるが、その姿はどこにもない。
「村長!これはどういうことですか!」
「今言った通りだが?どいつもこいつも理解力が乏しくて困るのお。」
いきなりのことで理解できるはずもない。実験?目的は?内容は?そもそも何故自分が?疑問は尽きない。
「二人は…二人はどこですか!」
「あの素体のことか。ああ、なるほど。そうか、そうか。ならばこう言った方がお主もわかり易かろう。お主が素直に従えば、あやつらには手を出さないでおいてやろう。」
「このっ…!」
人質というわけか。二人が囚われている以上、その可能性も考えなかったわけではない。こうして公言されるとふつふつと湧き上がるものがある。
だが、圧倒的に不利なこの立場で打つ手はない。おれは歯噛みしながら精いっぱいの要求を述べるしかなかった。
「せめて…せめて声を聴かせてください。二人の無事が確認できないことには、こちらも黙って従うことはできません。」
「…。ふむ。よかろう。だが一人だけだ。もし余計なことを喋れば…」
「くっ…わ、わかりました。」
しばらく待っていると、ガブリエラの声が聞こえてくる。
「リュート?」
「ガブリエラ!無事ですか!?」
「はい。こちらは二人とも無事です。助けに来てくれたのですね。」
「もちろんです!でも、すみません。まんまと閉じ込められて…」
「いいえ、来てくれただけで私は嬉しいのです。大丈夫ですよ、リュート。心配はいりません。緊張マニュアル第二項『冷静であれ』です。冷静さは時として、最優の結果を連れてきてくれるものです。」
ガブリエラは意味深な言葉を並べた。それが虚勢から出たものなのかどうか、おれにはわからない。
とりあえず二人がまだ無事であることに安堵したが、落ち着いていられるほど状況はよろしくない。
「とにかく私達は大丈夫です。どうかご自身を最優先に…」
「もうよかろう。」
ガブリエラの声が途中でブツ切れ、声の主が村長に切り替わる。
「これ以上は必要なかろうて。早速だが、今からお主にはこやつらの相手をしてもらう。」
「こやつら?」
それが何を指すのかはすぐにわかった。記憶に新しい数多の唸り声が共鳴を始める。あの夜におれたちを襲撃した正体不明の魔物がこうして目の前に現れたのだ。