76話 甘い夢
五人は各々異なるポーズを決めた。そんな彼らを前に、おれの脳は思考停止に追いやられていた。極度の緊張状態から急転直下の拍子抜け。
「さぁ、舞台は整った!小悪党め!成敗してくれる!」
レッドがおれを指差すと、五人は一斉に臨戦態勢に移行する。
「ちょっ、ちょっと待って!成敗される謂れはないんだけど!?」
「ふん、白々しい!貴様がここに来た理由などとうにわかっている!我々が保護した重要人物をさらいに来たのだろう!?」
「重要人物?それって、メイドと獣人の女の子のこと?」
「ふははは!尻尾を出したな、この悪党!それを知っているということは、やはり貴様は悪の手先だな!」
絶妙に話が噛み合わない。恣意的に認識をずらされていると思えるくらいすれ違っている。
「いや、実はその人たちの仲間で…。」
「あー、はいはい。最初に味方だと思わせるのは誘拐犯の常套手段よね。そういうのいいから。汗かくの嫌だし、大人しく倒されてね。」
ブルーが投げやりな雰囲気で対話を拒絶する。どうにも会話が成り立たない。彼らの中では、おれは既に悪者という位置づけで固定されているようだった。どれだけ必死に訴えても、これ以上の言葉は無意味に終わりそうだ。
「仕方ないか。」
おれは覚悟を決め戦闘態勢に入る。
「女、子どもに手を出し、あまつさえブロチェリーピンクにまで恫喝する非道ぶりは目に余る!その腐りきった性根、オレたちが叩き直してくれよう!」
レッドの威勢いい合図で五人が飛びかかってきた。会敵寸前、おれは考えていた。この人たち、人の話を聞かないだけで決して悪い人ではないんだろうなあ、と。できることなら無傷で無力化したい、とも。
そういう想いが回想を見せたのかもしれない。
☆
あれは選定よりも前、アサヒとの何気ない会話だった。彼女が鼻歌交じりに買い物に出かけようとしていたときのことだ。
「アサヒ、一人で大丈夫?」
「うん、平気!なにぃ?もしかしてデートしてくれるの?」
「いや、今日は『猛る双頭の番犬』の仕事が…。」
「もう!また仕事?仕事と私、どっちが大事なの!?」
彼女の顔は発している言葉とは裏腹に、キラキラと輝いていた。心の声が大音量で聞こえてくる。『これ!生きてるうちに一度は言ってみたかった台詞!』と。
冗談だとわかっている。わかっているはずなのに。おれはそんな軽口にさえも、しどろもどろになってしまった。
「あ、いや、えっと…。だって、まだ出会って間もないのにそんな…。」
「ふふ、冗談よ。お仕事頑張ってね。それと心配は御無用よ。」
アサヒは少しだけ誇らしげに胸を張って答える。
「だって、私はこれでも暗さ…人を、こう、ちょちょいってする仕事をしてたんだもん。人を無力化する術は心得てるわ!」
全然ごまかしきれていないし、そんな物騒な『ちょちょい』初めて聞いた。どこからツッコもうか悩んでいる間にアサヒは続ける。
「一番手っ取り早いのはみぞおちかな。私の容姿だと警戒されづらいし、背丈的にもちょうどいいの。助けを求める可愛くてか弱い女の子になりすまして、懐に潜りつつ肘打ちとか。下から抉り上げるように、ね。」
さり気なく『可愛くて』を強調しながら、聞いてもいないえげつない戦法をさらりと説明する。
「あと私はこめかみも好きかなぁ。力加減さえ間違えなければ後遺症なしで無力化できるの!それと…もちろん相手が男ならあそこも有効よね。」
彼女は舌なめずりをしながら視線を下に動かした。このとき急に悪寒が走ったのは言うまでもない。
☆
回想終了。おれは緩やかに走り出した。そして、先頭のレッドと接触する数歩手前。踏み込む脚に力を入れ、半身タックルの姿勢に入る。
生み出される劇的な緩急。レッドは反応すらできず、おれの肘があっさりと彼のみぞおちに突き刺さった。
「ぐほぁっ!」
レッドは苦痛の声を漏らしながら後方へ吹き飛んだ。ブルーは「うわぁ」という顔をしながら彼が吹き飛んだ方向を見て青ざめていた。
「行くぞ、疾風!」
「おうよ、迅雷!」
イエローとグリーンは交互に位置を入れ替え、挟撃すべく二手に分かれる。接近スピードは彼らの名前に恥じないほど速かった。だが、それは純粋な身体能力で為せる業ではない。風と雷の加速魔法によるものだ。
おれは得意戦法の一つを披露する。他人への魔力の上乗せ。意図せず莫大な出力を得た二人の加速魔法は、瞬く間に制御不可能な速度に達した。
そして、おれはタイミングを見て後ろに数歩下がるだけでいい。そうすれば…。
「「ふぎゃっ!」」
イエローとグリーンは己の速度にブレーキをかけきれず激突した。カエルを握りつぶしたときのような悲鳴を上げる。それでも気を失わなかったのはえらいが、よろよろと立ち上がるだけで精一杯らしい。
回復されるのも面倒なのでおれは距離を詰め、トドメに二人のこめかみに拳を当てた。二人は白目をむいたまま倒れ、再度起き上がることはなかった。
「あと二人。…だけど、正直手は出したくないな。大人しく通してくれない?」
「ふーん、意外。君、優しいんだ。」
ブルーは既に三人の仲間が戦闘不能になっている状況にあっても、どこか余裕が感じられた。何かそれを裏付ける手を隠し持っているとみてよさそうだ。
「優しい…かはわからないけど、敵意のない女の子を殴るほど野蛮ではないつもりだよ。」
「へぇ、かっこいいじゃん。でも、いつまでそんな甘いこと言ってられるかな。ピンクちゃん、やっちゃって!」
ブルーの掛け声とともにピンクはおれに向けて両手を伸ばした。明らかに恐怖で手が震え、瞳には薄っすら涙を浮かべている。それでも勇気を振り絞って立ち向かう姿はとても健気だった。
「みんな…やられちゃった。わたしが…ブルーをまもらないと。わたしが!みんなのかたき!あなただけはひゃっかいしんでもゆるさない!」
幼女にそこまで言わせる極悪人はどこのどいつだ?おれか!などと一人問答をしている間に、ピンクの手から魔力が放出される。
だが、それ自体に命を危険に晒すほどの攻撃性はない。彼女の魔力が尽きるまでこれを受け止め続ければ、傷つけることなく無力化できる。おれはそんな甘いことを考えていた。
視界には不自然なモヤがかかる。最中、おれから体重が消えたような浮遊感に襲われたが、一瞬で消えた。そして、さらに広がるモヤ。訪れる静寂。その中で誰かの呼び声が聞こえる。
耳を澄ますとその声はだんだんと大きくなっていく。天上の女神もかくやの美しい声がおれの名前を呼んでいた。
「リューくん?」
はっと目を見開いた。いつの間に目を閉じて、そしていつの間に横になっていたのだろう。だが、そんな些細な疑問は耳元で囁かれる澄んだ声を聞いて軽く吹き飛んだ。
「どうしたの、リューくん。まだ寝てていいんだよ?」
「ぬおぉぉぉ!」
おれは奇声を上げた。何も急に頭がイカれた訳ではない。美麗な声の主はハル姉だった。ハル姉の「寝てていいんだよ?」に永眠しそうになったのを、何とか気合で押し留めたのだ。よくやった自分。
しかし、今のこの状況はなんだ。ハル姉がおれの頭を撫でている?おれの頭が乗ってる場所ってもしかしてハル姉の膝なのでは!?これって膝枕なのでは!?
生唾を飲み込む音が大きく聞こえる。心臓の鼓動が早い。顔が熱い。耳まで真っ赤になっている気がするし、意味もなく頬が緩む。こんな無様な顔をハル姉に見せられなくて顔を素直に上げられない。
自分に何が起こっているかなんて、考える余裕はなかった。そもそも考えるだけ無粋というもの。すべての思考を捨て去り、一秒でも永くこの幸福感を堪能するのだ。この至福の時間に身を…いや、ハル姉の膝に頭を委ね続けるのだ。
だが、完全な思考放棄に陥る直前、頬にピシャリと電気が走ったような痛みを受けた。ハル姉に頬を叩かれたのかと思い、「ハル姉のビンタ、それもまた良し。」なんて浸っているうちに、おれは現実に引き戻されたのだ。
再びおれの視界に入ったのは小鹿のように震えるピンク。そして、左肩に乗るラビの姿。どうやらラビがその長い耳をおれの頬に叩きつけたあとらしい。
「ちょ、ちょっと!そこのウサギ何してくれてるの!?」
ブルーはラビを指差し怒鳴りつける。
「い、痛い。」
「幻惑系の魔法です。お気をつけください。」
方法は強引だが、ラビのおかげで幻覚が消えたようだ。とてもありがたいが、あの夢に後ろ髪を引かれる想いも否定できない。断言できる。この幻惑系魔法はあの五人の中で最も恐ろしい能力だ。
ああ、そういえばブロチェリーピンクって言っていたか。ブロチェリー。そんな名前の植物系モンスターがいたはず。特性は確か催淫と幻覚。
「くっ!ハル姉の膝枕で誘惑するなんて…なんて卑劣な!」
「膝枕て…。この子の幻惑はそんなちゃちなはずはないんだけど!?」
「ハル姉の膝枕がちゃち!?そんなわけあるか!」
「え、何この人。ちょー怖いんだけど。」
ブルーの反応は狼狽を通り越してドン引きの域に至っていた。