73話 老いぼれの回想①
私はとある名家の次男として生まれた。
名家と言うだけあってそれなりに格式高い貴族家系であり、貴族階級の中でも上位に位置する一族だった。
他人が聞けば誰しもが羨望の目を向けるそんな家柄。ただ、少し他の貴族と違っていたのは代々王家から特殊な役目を仰せつかっていたこと。そして、その役目というのは才能によってのみ選ばれた当主が果たすべきものだった。
ちなみに、どうやら私は持たざる者だったらしい。
だからと言って、特別悪い待遇を受けるだとか勘当されるということもなく。強いて言えば当主としての教育を受けられず、当主の役目の何たるかを知らされなかったくらいのもの。
だが私自身、そこに何も不満はなかった。むしろ地位だけが約束され、なんの束縛もない人生が歩めるとあって恵まれているとさえ思えた。
そんな私が有り余る金と時間を費して没頭したもの。それが魔獣学だった。
初めて興味を持ったのが五歳のとき。あるお伽噺に出てきた魔獣がきっかけだった。どれもこれも奇っ怪な姿で描かれ、そのうち実際にこの目で見てみたいと思うようになるのは至極当然の流れだろう。
だが、そんな簡単に魔獣を見られる訳もない。最初の頃は手当たり次第に図鑑を読み漁ったものだ。幸い邸宅には書物が腐るほどあり、暇はしなかった。
それでもやはり本物を見ることに強い欲求を感じ始めていた。
それから時は経ち、漠然と世の中の仕組みを理解し始めたころ。私は魔獣をこの目で見る術を見つけてしまった。
冒険者になる?確かにそれも一つの手だが、残念なことに私は戦いが苦手だった。
では、どうしたのか。答えは簡単だった。金はある。冒険者ギルドに捕獲依頼を出すだけでよかったのだ。あとは待っていれば檻に入れられた魔獣が次から次へと運ばれてくる。
私はこの方法であらゆる魔獣を見てきた。それこそ伝説と呼ばれる種を除けば、図鑑に載るような魔獣は全て。
だが、私の欲求はそれだけに留まることはなかった。いつしか見るだけでは満足できなくなっていた。
私は魔獣を観察し、餌をやり、怒らせたり、怯えさせたり、時には殺したりもした。魔獣が異なる感情や状態によって見せる表情だけが私をときめかせたのだ。私は何かに取り憑かれたかのようにそれを続けた。
その頃には、私は周囲から『変人』の異名をつけられていたが、私にとっては些細なこと。
それからというものも自分で図鑑が作れるほどには、魔獣についての知識を蓄え続けていった。
「魔獣はどうして人間よりも強いんだろう。」
ある日、私はふと純粋に疑問に思った。なぜそう思ったのかは明白で、魔獣が内包するエネルギーが人間よりも遥かに多いと感じたからだ。
実は、私は今で言うところの『感知者』だったのだ。
この時は感じたエネルギーが魔力であるとは気づかなかったが、それも時間の問題だった。しばらくすると私はそれが魔力であることを理解した。
つまり、私はこの頃から、魔獣が人間よりも多くの魔力を有していることに疑問を抱いていたということになる。
その次に私はどうしたかって?そんなもの考えるまでもない。私は魔力の根源を知るために魔獣の解剖をするようになった。成人を迎え、自分の家も与えられ、環境のすべてが私の味方をした。
専用の解剖室に日々送られてくる魔獣の死骸。私はそれを切り刻み、皮から内臓に至るまで余すことなく調べ尽くした。気づけば興味本位だったはずの観察を通り越して、研究と呼べるほど本格的なものになっていった。
その結果、一つの事実が判明した。
全ての魔獣に備わっている魔石。これが魔力を貯蓄する機能を持っているということだった。
魔石は魔獣の幼少期には存在せず、成長過程で体内で生成され、成長に伴い巨大化していく。そして、魔力の飽和量はその大きさに比例する。魔獣はここに蓄えられた魔力を消費して、攻撃することができるのだ。
私はこの過程と発見を事細かに記し、その当時、当主となっていた兄に何気なく見せてみた。
「こ、これは…!」
すると兄は目を丸くし、その研究成果を国家主導の研究機関に持っていってしまった。それからしばらくは何の音沙汰もなかったが、突然兄が再び私の家に訪れると、二つの選択肢を提示してきた。
報奨金の代わりに全ての研究を凍結し国に明け渡すか、国の支援を受けてさらなる研究を求めるか。
私の人生はここで大きく二つに分かれたのだろう。もし前者を選んでいたなら、今も平凡だが裕福な暮らしをできていたはずだ。だが、私は迷いなく後者を選んだ。
誰にも求められなかった人生。喜んでくれた兄の喜ぶ顔に珍しく絆されたか。いや、そんなことじゃないはずだ。私はそんな感傷的な性格ではないのだから。
私にとって魔獣研究は生き甲斐になっていたのだ。ここで研究を手放して何もない生活に戻るなぞ、今更できようはずもない。
そもそも金なら今だって有り余っている。生き甲斐にしていることを国からバックアップしてもらえるなんて願ったり叶ったりだ。私が前者を選ばない理由がない。
「謹んでお受けします。」
「そうか。いい返事が聞けて何よりだ。昔からお前は変人だと揶揄されてきたが、ようやく報われるのだな。」
兄は私が思ってもみないことを口にし、顔を少し緩めていた。私は別にそこまで重く捉えていたつもりはないが、兄の想いに水を指すほどのことでもないので黙っておくことにした。
それから十日後。国家プロジェクトを立ち上げた大臣により王城へと召喚され、責任者としての任命を正式に受けることとなった。
「本日よりお前を『強化魔導兵実験』の責任者に任ずる。国家の行く末を担う栄誉な職であるぞ。励むがよい。」
こういった畏まった場は全て兄の領分だったこともあり、相当緊張したのを覚えている。
それから私は城の地下にある研究室に案内された。そこで所長から研究員の紹介やら、研究室内でのルールについての説明を一通り受けた。他人に興味のない私にとって退屈な時間だったが、全ての説明が終わる頃、流石の私でも目が覚めるような言葉が飛び込んできた。
それは事前には知らされていなかった情報。プロジェクト名を聞いた段階で想像できたはずの実験対象について。
「最後に…こちらが被験者になります。全員、死刑囚ですので自由に使っていただいて構いません。ただし、解剖だけは最後にしてくださいね。数には限りがありますので。」
感情のない笑みが所長の顔に張り付いていた。