71話 手紙
『たぶんだが彼らは再び僕らの前に現れる。』
道中でメタンフォードが口にした予言めいた言葉は、結局のところ現実となった。初めの村に向かう道すがら、こちらの様子を探っていた監視者は再びしっぽを出した。
人間とは異なる質の魔力だったために、同じ類の存在である可能性は高い。
だが、それからマレの周囲を探ること四日、謎の監視者は現れなかった。彼女の身辺で見かける人といえば、あまり似ているとは言えない母親が度々家を出入りする程度。父親らしき人はまだ一度も見かけていない。
これといった事件もないまま変わらない日々が続いただけだった。まぁ、これと言った事件がないだけで罵り合いに殴り合い、ひったくりに恐喝に至るまでアクシデントは日常茶飯事。
それだけならいざ知らず、いい大人が真っ昼間から盛って公然と事に及んでいる場面なんていうのも珍しくない。
つまり、なんでもござれのすっとこどっこいである。
『どういう意味でしょうか。』
「おれにもわからん。」
いちいち心の声を拾わなくていいものを、ラビは思い浮かべた言葉に反応した。この村の空気に当てられたせいか、自分でも何を言っているのか意味不明なのだ。深くは突っ込まないでほしい。
それでも何とか調査は続行している。その途中、たまに艶っぽい女性から声をかけられたり、ラビに興味をもった子供に話しかけられたり、厳つい中年に理由もなく怒鳴られたり…。我ながら頑張っていると思う。
今日も今日とてマレの周囲に異変はなし。相変わらず監視者の気配もない。ついでにやることもなかったので、この事件に関して情報を整理することにした。
今回の任務の目的は大きく分けて二つの真実を明らかにすることだった。『冒険者が失踪している原因』と『ゾンビと噂される存在の正体』。
まず第一に冒険者が頻繁に失踪している原因について。これはほぼ間違いなくモルトケカミナに襲われたと見ていい。消えた冒険者がどうなったのか知る術はないが、あれらに捕まった者の末路など想像に難くない。
第二にゾンビもといモルトケカミナの正体。それが『鬼』に連なる者なのか、あるいは自然発生した単なる人型の魔物なのか。はたまたそれ以外の可能性も考慮すれば見当はまるでつかない。謎の監視者との関係も不確かなままだが、少なくとも無関係というわけではあるまい。
現状モルトケカミナについてわかっていることは、森を住処としていてるために冒険者が標的となっていること。そして大規模な群れで活動しているということだけ。
しかし、この村に来てから事件の前提を覆しかねない情報を耳にしてしまったのだ。
『マレの周囲では人が消えている。』
仮にこの話が真実であるならば、『村人の被害は報告されていない』という話に説明がつかない。冒険者と同様に村人が消えている原因も不明ならば、その関連性は真っ先に疑われるはずだ。こうなってくると果たしてなかったのは『被害』の方か、『報告』の方か。
「噂の真偽を確かめるには…。」
噂や事件について、最も情報が集まりやすい場所を考える。そうして考えた結果、導き出された答えは一つしかなかった。同時に、ここで手詰まりを覚えた。
なぜなら、これ以上の情報は本人に聞いてみるしかなかったからだ。この村の代表者たる村長に。だが、あいにくとおれはマレの身辺調査で身動きが取れない。
おれは定刻になると、待ち合わせ場所にしている宿屋の食堂に向かった。ガブリエラに考えを伝え、代わりに聴き取り調査に行ってもらおうと思ったのだが…。
「我々の到着から五日が経過しておりますが…。未だ村長は戻っていないようです。」
おれが思いつくようなことは当然ガブリエラも考えが至っていたらしく、既に連日に渡って村長宅に訪れているようだった。しかし、間が悪かったのだろう、村長は長期の予定で留守にしているらしい。
『失踪』の二文字がチラついたが、元より長期の予定だったらしく無理に考えないようにした。ちなみに秘書からは、大した情報は得られなかったみたいだ。
「手がかりなし、か…。」
「はい。申し訳ありません。」
「あ、いえ!責めてるわけじゃないんです。ただ、おれたちのやっていることは正しいのかなって…。」
おれはあまりの手がかりのなさに沈黙した。いっそ諦めて副都に帰ることも考えたが、期待を裏切れない人の顔を浮かべて口にはしなかった。
「焦る気持ちもわかりますが、この件は元より国が十年以上かけて解決できなかった問題です。」
そう言ってガブリエラは都渡りの夜にしてくれたようにおれの頭を撫でる。どこか子供扱いされている気もしたが、その手を振り払うことはできなかった。
「でも…このまま惰性で調査を進めて良いものでしょうか。」
「そうですね。どうにも今回の件は捉えどころがないように感じます。不自然なほどに。」
ガブリエラは己で発した言葉のあと、羽虫が耳元を通過したときのように顔を微妙にひくつかせた。
それから間もなく、彼女はエリスに囁くように問いかけた。
「エリス様、後でお話ししたいことがあるのですがよろしいでしょうか。」
エリスも黙って頷く。お互い表情が乏しい者同士、何か通ずるものがあるのかもしれない。ただ、おれは蚊帳の外にされているようで気が気ではない。
黙って二人の顔をまじまじと眺めていると、ガブリエラに「女性同士のお話です。」などとはぐらかされてしまった。
たが、おれはこの時にもっと追及しておくべきだったのかもしれない。この後おれたちは解散し、以降エリスとガブリエラは食堂に姿を現すことはなかった。
翌日、翌々日。待てども待てども、二人は現れなかった。ガブリエラのことだから、途中で任務を放棄するようなことはないはず。エリスだって、黙ってどこかへ行ってしまうなんて考えられない。
「何かあったんだ。」
結論づけるまでにそう時間はかからなかった。嫌でも連想される『失踪』の文字。
おれは自分の役目も忘れて無我夢中で村中を駆け回った。エリスの魔力であれば、近づくだけで識別できる。隈なく探せばきっと見つかるはず。そう思って…それだけを頼りに宛もなく疾走った。
だが、見つからなかった。
もちろんあの二人が連日訪れていたという村長宅にも行った。相変わらず村長は戻っていないようだし、秘書が言うには二日前から二人も来ていないと言う。
去り際に引き止められてお茶を出されたが、呑気に茶なんぞ飲んでいる場合でもなかったので丁重にお断りした。
そのあとも際限なく走り続けたが、二人を見つけるよりも先に体力が尽きてしまった。足が重い。肺が痛い。過呼吸のせいで喉が切れ、声を出すのもつらい。
おれは人目も憚らず路頭に倒れ込んだ。もう限界だった。ベストコンディションならこれくらい走ったところでわけないのに。心の乱れに引っ張られて、体力もひどく消耗している。起き上がることすらままならないでいる。おれはそのまま瞼の重みに耐えきれず目を閉じた。
短時間で意識の消失と覚醒。おかげで状況は最悪にも等しい中、皮肉にも頭だけは冷静さを取り戻した。
すると、今まで想像すらできなかった考えが浮かんでくる。自分の中にあった違和感が無視できないほど大きくなっていた。
「フォードさんももしかしたら…。」
おれたちに仕事を押しつけて帰った。ガブリエラの言葉をそのまま鵜呑みにしてしまったが、あの男の性格を考えると今更ながら違和感が甚だしい。
確かに碌でもない性格ではあるが、腐っても『お立ち台の騎士』とまで呼ばれた男だ。自分で引き受けた仕事を部下に押しつけて勝手をするような人では決してないはず。
ならば、やはり考えられるのは原因不明の失踪…。あの人に限って、と深層心理で決めつけていたのが仇となった。
では、彼が消えた場所はどこだっただろう。
「ベネの家だ。」
メタンフォードが消えたベネの家。ベネに瓜二つのマレと彼女に関する噂。謎の監視者。そして、エリスとガブリエラの失踪。
どこか繋がっていそうで、だけれど確証の得られないモヤモヤが心を曇らせる。
だが、行先は決まった。もう一度行こう。あの善良なる人々の村に。
そう思った矢先、おれは驚かされることになった。馬車に積み込んでいたクール用の馬具に一通の手紙が挟まっていたのだ。宛名にはおれの名前。差出人は…。
「ガブリエラ!」
おれは封筒を慌てて破り捨て、中から便箋を取り出す。手紙の出だしにはこう書かれていた。
『親愛なるリュートへ。貴方がこれを読んでいるということは私はもう…』