69話 メイドの嗜み
「はぁ、はぁ、はぁ…。何とか…はぁ、はぁ…振り切れた…でしょうか?」
全力疾走を終えたおれたちは既に地上に脱出して、木々に持たれかかったまま、絶え絶えになった息を整えていた。
あれからおれとエリスは宛もなく走り続けた。地下トンネルの行き止まりを前にした時にはもうダメかもと覚悟を決めたが、まるで計算していたかのようにガブリエラが目を覚ました。
直後、足元の地面がせり上がり、昇降機がごとくおれたちを地上に押し上げた。そのコンマ数秒前、『ゾンビ』の群れが眼前まで殺到してきていたが、本当にギリギリのところで侵入を許すことはなかった。
「ありがとうございます、リュート。おかげで逃げ切ることはできたはずです。」
「いえ、これくらいお安い御用です。そんなことより、こんな森の真ん中に地下道があったなんて驚きました。知ってたんですか?」
「知っていた…と言いますか、あれは私が造った道ですから。」
「はい?」
思わず聞き返してしまった。事前に造った…?何かの比喩だろうか。額面通りに受け取ると、せっせとスコップで穴を掘り進めていく彼女の姿が目に浮かぶ。…が、そんな作業をしていた様子はない。
「い、いつの間に…?」
「フォード様には及ばずとも私も大地系統の魔法使いの端くれ。野営の準備の一環として事前に造っておきました。それに…常に脱出経路を確保しておくことは、メイドの嗜みです。」
ガブリエラはさも当然のように淡々と口にするが、あれだけのことを嗜みと言われては世のメイドも堪ったものではないだろう。
「主人が主人ならメイドもメイド…ってことか。」
まさに規格外。かなりの距離を走ってきたはずで、それほど長距離の地下通路を何事もなく準備しているのだから驚きを超えて呆れさえしている。あのメタンフォードが褒めちぎるのも頷ける。
あまりの非常識に頭を抱えるおれを見て、彼女は事もなさげにキョトンとしていた。
「それにしても遅いですね。」
「うん?まだ何か…?」
これ以上まだ何かあるのかと彼女に聞き返すよりも先に、森の奥から蹄が地面をたたき馬車の車輪が跳ねる音が近づいてくる。
まさかゾンビが馬車を使って追ってきてはいまいかと身構えたが、その姿を見て再度呆れかえることになった。
森を走ってきたのは襲撃前におれたちを運んでいた一頭の馬に他ならなかった。
「クール、聡い子ですね。よくここまで駆けつけてくれました。」
ガブリエラは愛しの我が子にするようにその馬を撫でると、『この程度で褒められちゃあ困るぜ』とでも言いたげにブルブルッと鼻を鳴らした。
ガブリエラはクールという名の名馬に餌をやりながら話し始めた。
「さて、あまりここでモタモタしているのもよくありません。今後の方針を決めましょうか。」
「方針というと?」
「そうですね。一つは仮称『モルトケカミナ』の捕縛と調査です。」
「あれを捕縛…。危険ではないですか?」
彼女はいとも簡単そうに言うが、実際どれだけのリスクがあるかは未知数だ。あれの正体が本当にゾンビだとすれば尚更。噛まれたら奴らの仲間入り、なんて可能性もゼロではないし、そもそもあの驚異的な身体能力を持った『モルトケカミナ』の中から一体や二体だけ捕縛することもまた至難の業だ。
真正面から全て倒すことも考えたが、あれだけの数だ。無傷のまま切り抜けられる自信はないし、何よりガブリエラの精神が保ちそうにない。戦っている途中に気絶なんてされたら洒落にならない。
「ええ、危険です。敵の正体が定かではない以上、無闇に接触するのは得策ではないと考えます。」
「では、もう一つの方針というのは…?」
「このままデルミエール村に向かいます。」
ガブリエラの眼は絶対にこちらを選ぶべき、と主張している。
「最大の理由は、安全の確保とモルトケカミナの特性に関する調査です。もちろん、かの村が安全である確証はありません。ですが、あれだけの数の魔物が森に潜んでいるにも関わらず、村からの被害がないとなると少なくともここに留まるよりはよほど安全なはずです。」
彼女の言葉に何一つ疑問を感じない。この慌ただしい状況の中でよくもそこまで考えられるものだ。
「なるほど。そして、本当に村が安全であるとすれば…。」
「ご想像の通りです。そこには必ず何らかの規則性、『モルトケカミナの特性』に関わるヒントが村にあると考えられます。例えば、モルトケカミナを近づけさせないための魔法具や彼らが嫌う何かしら…ですね。」
チラッとエリスを見るとふと目が合った。『私はどっちでもいいよ?必要なら全て殺すし、村に行くならついていく。』と、口には出さないが顔を見ればそう思っているのがわかる。
「わかりました。それじゃあガブリエラの言うとおり村に向かいましょう。」
「承知しました。クール、お疲れのところ申し訳ないですがもう一頑張りしてもらえますか?」
「ブルルルッ。」
ガブリエラがホッと小さく安堵のため息をつきながらクールを撫でると、彼は『乗りな』とでも言うように顔を震わせた。
名馬クールに引かれた馬車に乗ること丸一日。結局、モルトケカミナの襲撃はあれ以降一度もなく、再度日が落ちるころには目的の村にたどり着いていた。
とはいっても、一日中いつ襲われるか気を張っていたものだから、体力よりも精神的な疲労が限界に近づいていた。
「ひとまず安心…と言って良いでしょうか?」
「ええ、恐らくは。すぐに宿を…と言って差し上げたいところですが、まずはこちらの村長にご挨拶をすべきでしょう。」
ガブリエラは疲労の色を一切見せず、己が業務を淡々とこなす。こちらも甘えてばかりはいられないので、もうひと踏ん張りだと自分に言い聞かせて村長宅へ向かったのだが…。
「あいにく本日村長は不在にしております。この村での調査でしたら、こちらの書面にて事前にお話を頂いておりますので村長代理の私が許可致します。」
少し不健康そうな女性の秘書に対応してもらい、あっさりと許可を得られてしまった。若干の肩透かしをくらいつつ、おれたちはようやく体を休めると思い宿を求めた。
その道中。最初に訪れた村とは似ても似つかないその村の光景に、おれたちは困惑を覚えずにはいられなかった。
「てんめぇ!まぁた店のもん盗みやがったなぁ!?」
「じゃかぁしぃわ!人の畑から盗んだもんを店のもんたぁふざけんのも大概にせえ!」
大の大人が露店の店先で胸ぐらを掴み合って喚き散らしている。近くを通る人々がそれを囲んで野次馬と化し、小さな喧嘩場が出来上がっていた。
「何だか賑やかですね…あまりいい意味ではありませんが。」
そう言っている間にも聞こえてくる喧騒。すぐそこで起こっている喧嘩だけではない。街の所々からやれ浮気やら、泥棒やら、酒をよこせやら、やたらめったら叫び声が聞こえてくる。
エリスも口には出さないが、あからさまに顔をしかめていた。普通の人間よりもよほど聴力の優れる彼女にとっては、この喧騒は耐え難いものかもしれない。
エリスのためにもこの場を早く離れようと歩みを早めたとき、人混みの中で動いた小さな人影が目に留まった。
「すみません、少し待っててください。」
おれはガブリエラとエリスに一言告げると、自然とその小さな人影に向かって駆け出していた。
そんなはずはない。あるわけがない。何度も自分に言い聞かせながら人影を追った。その人影はフードのついたボロボロのマントに身を包み、人混みをスルスルと抜けていく。
「ちょっと…君!待って!」
小さな人影を追ううちに何度か通行人にぶつかり声を荒らげられたが、そんな言葉はまるで聞こえなかった。聞こうともしなかった。ただ、夢中に追いかけて、追いかけて、追いかけて。
ついにひょこっと脇道に逸れた瞬間、その子の腕を掴むことができた。
「待って!何も悪さとかしないから!ちょっとだけ話を聞かせてほしいだけなんだ。」
その子は知らない人間に腕を捕まれたにも関わらず、暴れることも大声を上げることもしなかった。
「何…ですか?」
顔はこちらに向けないままだったが、弱々しい声が返ってくる。
「リュート、急にどうしたのですか?」
ガブリエラとエリスが追いついて事情を問いただしてきたが、それよりも先にどうしても確認しなければいけないことがあった。おれは腕を掴んでいる子に向けてなるべく怯えさせないように優しく尋ねた。
「一回だけそのフードをとって顔を見せてくれないかな。」
「それ…だけ?」
「うん。それだけ。」
その子はゆっくりと振り返り、深く被っていたフードをとるとガブリエラとエリスもおれの奇行の理由を察してくれみたいだった。
かく言うおれも実際にその子の顔を見て大いに驚いた。チラッとしか見えていなかったし気のせいだと言われればそう思ってしまうほど曖昧な認識だった。
だが、こうして間近で見てしまうと確信せざるを得ない。いくつもの疑念が頭を過ぎったがまずはこれを聞かなければいけないだろう。
「どうしてこの村にいるの、ベネ。」