65話 ミロワール村
村の入口から程なく、きちんと清掃された厩の隣に馬車をつけ、番兵に馬を預けた。
この村で調査を始めるにあたって、まずは村長に許可を得なければいけないそうだ。王国の法が適用されているとは言えど、村にはある程度の自治権が認められていると言う。つまり、人の家であれこれ調査するのだから家主に許可を取るのは当たり前、と言った具合らしい。
元を辿ればこの村の領有権は副都にあり、即ちハル姉が領主になるわけで。その代行たるメタンフォード一行にはそれに準じた権限が与えられて然るべきなのだが、「それはそれ、これはこれ」らしい。
「どうやら村長宅はあそこのようだね。」
「なんでわかるんですか…。」
「いやね、我々の到着でも聞きつけたのかあそこだけが少し慌ただしいからね。とてもわかりやすい。」
「『小人の足音』…嫌な能力ですね。」
メタンフォードはその甘い顔でウインクをしてくる。そこらの娘が見れば卒倒しそうなものだが、おれにやっても塵程も効果はない。ただただ憎たらしいだけである。
「これからはフォードさんのことを『地獄耳のメタンフォード』と呼ぶことにしますよ。」
その瞬間、メタンフォードの眉は釣り上がり、糸目気味の目は大きく見開かれた。
「リュート、その名前をどこで?」
「…?どこでも何も、今つけましたが?」
「そ、そうか。恐るべき偶然だな。それは幼少期の僕の呼び名だ。まぁ、面と向かって呼ばれたことはないのだがね。」
「なんと。渾身の命名だったのに、先駆者が。」
面と向かって呼ばれていないのであれば、それは呼び名というより陰口なのでは?と思えて失笑。とりあえずメタンフォードを驚かすことができたので良しとしよう。一本取った気分だ。
ただ、彼は「恐るべき偶然」と言うが、よくよく考えてみると彼の『小人の足音』を加味すれば、驚くべき程の偶然ではない…ように思える。
地面に耳がついているかのような能力は、まさに地獄耳の名に相応しい。
「まぁ、君のは称賛として受け取っておくよ。ここが村長宅だ。何か有益な情報が得られるといいね。」
村長宅は双魚宮などとは比べるべくもなく。小さ過ぎはしないが、他の家ともそれほど差がない程度の大きさ。唯一違うのは少しだけ高級そうな鉄の柵があることくらい。
メタンフォードは扉についたドアノッカーを四度叩くと、奥から「どうぞ。」と若くない男の声が返ってきた。
声に招かれるまま中へ入ると、村長らしき年配者が立ち上がり人当たりの良い雰囲気で手を差し伸べてくる。
「書簡は既に受け取っております、メタンフォード様。こうして直にお会いできること、誠に光栄にございます。」
「ああ、こちらこそ調査の依頼を快諾していただき感謝します。」
メタンフォードは差し出された手を素直に握る。
「いえいえ、滅相もございません。必要な物があればお申し付けください。」
村長の恭しい応対はこちらを全く不快にさせなかった。
やはりこういった姿を見ると、勇者の仲間、ひいては勇者という存在そのものが世間に広く受け入れられているとわかる。それに村長はメタンフォード自身のことも知っている口ぶり。やはり、最優の騎士ともなれば庶民にも知れ渡るものなのだろう。
何はともあれ、これで家主の許可は得ることができた。おれたちは気兼ねなく村の人々や周辺の環境を調査できるというわけだ。
この村での目標は失踪した人間の行方、あるいはそのヒントとなる情報を入手すること。村の外から来た人間の活動範囲が分かれば、答えに近づけると考えていた。
だがその後、一人、二人…十人、二十人と調査を開始するも、出てくる情報は「見知らぬ者は来れど、何事もなく去っていった」とだけ。特段おかしな点も見当たらなかった。
強いて挙げるならば、この村の人たちはみんないい人だなぁ、平和だなぁ、と思うくらい。おかしな点と評するのは大変失礼かとは思うが。
村の人たちは、騎士を先頭に美しいメイドとなんの変哲もない少年、この地域では珍しい獣人の少女で構成された奇っ怪な集団を目にしても驚きすらしない。
散歩中の老女はありがたそうに深々と頭を下げるし、八百屋の主人は気前よく声をかけてくる。花屋の店員も気さくだし、すれ違う少年は大声で挨拶して駆けていく。
「平和ですね。」
魔物のマの字も思い浮かばないほど平穏な村の光景を見ていると、訪れる前に抱いていた懸念など馬鹿らしく思える。
「どうですか。何かあると踏んでいたフォードさん。」
「うん、ビックリするくらい何もないね!」
自分の考えが外れたと分かるや否やあっけらかんと開き直りやがった。負け惜しみでも吐いてくれた方がよっぽど気分が良いのだが、そこはさすがのメタンフォード。そんな隙をむざむざ見せてはくれない。
結局、夕刻になってもこれといった情報を手に入れられず、成果はまるっきりのゼロ。これではただのくたびれ損というものだ。
「本当に何もないじゃん!」
「結構なことじゃないか!便りがないことこそいい知らせってね。」
「あの…便りどころか宿すらないんですが…。」
この展開は想定外にも程がある。まさかここまで来て泊まるための施設そのものがないなど誰に想像できようか。いくら辺境の村と言えど、一軒ニ軒はあるものだと思っていた。
「よっぽど外からの来訪者が少ないんだろうね。ちなみに僕は知ってたよ。ガブリエラから報告は受けていたからね。」
とメタンフォードは冷静な様子だが、状況は芳しくない。宿がないことはまだいい。だが、宿がないということはつまり野宿になるわけで、野宿をするとなると必然的に村の外と言うことになる。
都渡りの道中とは違って、明らかな驚異が森に潜んでいることを考えると憂鬱な気分になった。
何とかその状況を打破できないかと考えていると、前方にワンピースを着た可愛らしい少女の姿を見た。栗色の髪が歩くたびにフワフワと揺れている。
彼女はこちらに気がつくと、ぱぁっと顔を明るくさせて近づいてきた。
「お兄ちゃんたち、もしかして旅の人?わぁ、ネコさんのお耳がついてるぅ!かわい〜!」
初め、少女はメタンフォードに話かけたが、エリスの姿が目に入ったことでその興味は瞬く間にエリスへと移ったようだ。
「ねぇねぇ、お姉ちゃん。なんでネコさんのお耳がついてるの?」
「…っ!えっと…なんで…?」
恐らく少女に深い意図はなかったのだろうが、エリスは咄嗟のことに生物学的な質問として受け取ったのだろう。「ウサギはどうして耳が長いの?」とか「ハル姉はどうしてあんなに可愛いの?」と同系統の質問だ。
エリスは頑張って答えようとはしているが、もちろん明確な答えなど出るわけもなく。おれは助け舟を出すためにエリスの後ろに回りこんで両肩に手を置いた。
「それはね、このお姉ちゃんが獣人っていう特別な人間だからだよ。」
「じゅーじん?」
「そう。この村の外にはね、このお姉ちゃんみたいに他の動物の耳がついてる人達がいるんだよ。」
「そうなんだ!いいなあ、私もつけたい!」
少女が目を輝かすものだから期待を裏切るまいと考えた結果…。ラビを少女の後頭部にしがみつかせ、正面から見るとうさ耳が生えているように見せかけた。
メタンフォードが魔法で作り出した鏡に、うさ耳が生えた少女の姿が映し出される。少女は鏡に写った自分の姿が気に入ったのか、いくつかポーズをしてみせた。
どうやら少女は満足されたご様子でこちらも鼻が高い。それはそれとして、ラビはものすごい不服そうだったので、後で報復ビンタを受ける覚悟をしなくてはいけない。
「ありがとう、お兄ちゃんたち!そう言えばこんなに暗くなっちゃったけど、これからどこに行くの?」
「うーん、そうだねえ。この村には宿がないから外の森で野宿かなぁ。」
「そんなのダメだよ!」
急に少女の金切り声が耳をつんざいた。少女の形相からして只事ではないと思い、一気に不安感に満たされた。
「ダメってなんで?」
恐る恐る少女に問いかけると、彼女はまるで何かから身を隠すように息を潜めてその答えを口にした。
「だって…モルトケカミナに食べられちゃうよ?」