62話 物資調達
「冗談です。」
「まぁ、ですよね…。心臓が飛び出るかと思いました。」
冗談を言ったようにも、ましてや本気で言ったようにも見えず、彼女が何を考えているのか全くわからない。
「とりあえず、部屋に入ってもよろしいですか?明日のことでご相談があるのですが。」
「ど、どうぞ…。」
ガブリエラの表情は至って真面目。おれだけが変に意識してしまっているみたいで、断ることもできなかった。元はといえば、彼女が冗談を言ったからではあるんだけど。
彼女が部屋に入る瞬間、ふわっと石鹸の香りが鼻孔をくすぐるせいで心臓が騒がしくなる。彼女は部屋に入ると、その場から進むでもなく扉を背にして立ち止まった。
「どうぞ、掛けて下さい。」
流石にベッドに座らせるわけにもいかず、部屋の奥にあったアンティーク調の洒落た椅子を運んでガブリエラの前に置いた。
彼女は少し躊躇いはしたが、お淑やかに椅子に座りベッドに座るおれと向かい合った。
おれはさっきの冗談について言及していいものやら迷ったが、どうしても気になってしまい聞くことにした。
「それでさっきのは…?その…夜這いとかなんとかって…。」
「ご所望ですか?」
ご所望ならやってくれるのかと問いたいところだが、それよりも彼女の言動が突拍子もなく感じるのは気のせいだろうか。
「ご所望でないです。ガブリエラはあまり冗談とか言わなさそうなので…。何かあったんですか?」
「メタンフォード様が言うには、親しみを示すにはジョークが一番だと。何かご迷惑をおかけしてしまったでしょうか?」
やはりあの男の仕業か。今ごろはどこかでこの会話を盗み聴いて愉悦に浸っていることだろう。
だが、それを気にする前に彼女が二つの間違いを犯していることを指摘せねばなるまい。
まず一つ。基本的に冗談を言い合えるのはある程度の関係を築いた後の話であって、お互いにまだそれほどじゃない…と思っている。男女の関係についての冗談なんてもっての外で、よほどの信頼関係がなければ成り立たない冗談だ。
そして、二つ目。こちらの方が重要。そもそも彼女の冗談は冗談になっていないのだ。ハル姉には一歩劣るにしても、ガブリエラも相当な美人だ。そんな美人がお風呂上がりの火照った顔で「夜這いに来た」なんて部屋に訪ねて来たら、世の男は悶絶必至である。
ハル姉という心のストッパーがいなければ、おれの自制心も持ちこたえられたかわからない。
「ひとまず当分はそういった冗談はやめましょう。」
「畏まりました。」
そう言うと、どことなく落ち込んでしまったように見えた。
そういえばブラン家のメイドをやっていたと言っていたから、メタンフォード意外に親しい男性がいなかったのかも?と思うと少し胸が痛む。
「そう言えば、何か用事があったのでは?」
「はい。調査のために、明日物資の買い出しに行く予定なのですが、人手が足りずお手伝いをしてもらえないかと。」
「もちろんですよ。調度、ガブリエラに頼りきりで申し訳ないと思っていたところでした。」
「それは助かります。」
本来それは副官であるおれの仕事でもあるのだから、遠慮することは何もない。
「では、明日の朝ここを出ますのでご準備をお願いします。」
「了解です。」
ガブリエラが席を立ち上がり、部屋から出ようとする。何も起こらないのはわかっていたし、全く期待もしていなかったが、最後にこれだけは聞かないといけない気がした。
「ガブリエラ、一つだけいいですか?」
「はい。」
「この時間に訪ねて来たことに意味はありますか?」
「…?申し訳ございません。時間については特にご指定がありませんでした。」
確かに彼女がおれの都合を知る由もないから、何時ならいいという話でもない。だが、彼女は「時間については」と言った。つまり、それ以外には何か指定があったということ。
「すみません、聞き方を変えます。どうしてお風呂に入ってからここに来たんですか?」
「…?フォード様より、『リュートに頼み事があるなら、お風呂上がりに寝間着姿でお願いするといい。その方が彼も喜ぶ。』と承ったので。お気に召しませんでしたか?」
「あんのやろぅ…!」
普段は暴言を吐かないおれも、このときばかりは抑えることはできなかった。
周知の事実かもしれないが、あの男は騎士としてだけでなく、人をおちょくることにかけても一級品みたいだ。しかも嘘はついていないから、なおさらたちが悪い。
一度、どこかで痛い目を見ないと気がすまないらしい。むしろ、おれが直接この手で天誅を下してやると心に誓った。
明くる日、おれとガブリエラは物資の調達のため街へ出かけた。ガブリエラの手際は恐るべきもので、『栄光の十二騎士』と『双魚宮』の名前を用いて物資のほとんどを値札の六割以下で購入していた。
『双魚宮の補充分と合わせてこの額でいかがでしょう。提示の金額でお売り頂ければ運搬は私どもが負担致します。』
『我らが主、『栄光の十二騎士』のメタンフォードが御用達とさせていただきます。お受け頂けない場合は、残念ですが他を当たるしかないですね。』
などなど。彼女がいつの間に双魚宮の食料庫状況やら店の競合関係まで調べ上げたのか分からないが、豊富な手札で値引きを要求していった。しかも、それぞれの店主は満面の笑みで快諾するものだからどんな魔法を使ったものやら。生半可な魔法より余程有用な気がする。
「交渉のコツは相手に損をさせないことです。商売においては相互利益関係が理想ですので、商売相手の利益構造、競合相手を理解するだけでも交渉は自ずとスムーズに…」
ガブリエラは珍しく饒舌に説明してくれたが、たぶん半分も理解できなかった。ただ、メタンフォードのメイドなんてやってなければいいお嫁さんになりそうだなぁ、と思いながら相づちを打った。
「そこのお偉い様方!北部原産ナポゥはいかがですか?甘くてちょっと酸味のある果実、美味しいよ!」
二人で街中を歩いていると、いかにも武器屋でもやっていそうな髭面の店主がおれたちを呼び止めた。おれがメイドをつけていると見て、高貴な人間と勘違いしたのだろう。その手には、王都にも出回っている赤い果実アポゥに似た形の黄色の果実が握られていた。
「気になりますか?」
ガブリエラは黄色い果実に視線を奪われたおれを見て尋ねた。
「少しだけ。黄色いアポゥなんて初めて見ました。」
「では、店主様。二つ頂きます。」
「まいど!」
彼女は店主に金を渡し、二つのナポゥを受け取ると一つをおれに渡した。そのまま齧ってみると、確かにアポゥよりも酸味が強いが、スッキリした甘さが口の中に広がった。
「あ、うまい。」
「そうですね。ただ、昔頂いた物より少しだけ甘みが落ちている気が…。」
「ほぅ?」
ガブリエラの感想を聞いた店主は眉をひそめた。機嫌を悪くしたか、と思ったが、そうではなさそうでガブリエラに向かって声をかけた。
「メイドさん、昔ってーといつ頃でい?」
「記憶では十五年ほど前…私が子どもの頃ですね。」
「そりゃすげぇ。あんた、そんな昔の味覚を覚えているんだな。」
「と、言いますと?」
「ああ、その頃のナポゥは確かに質が良かった。今のよりも確かに甘かったなぁ。」
店主は懐かしむように目を遠くにやりながら髭をなでた。
「何かあったのですか?」
「ああ。ちょうどその頃に、卸業者から仕入れる農家が変わったって聞いたな。十五年も前のことだから詳しい話は覚えちゃいないがな。」
「なるほど。」
ガブリエラは特に何かを理解した風でもなく淡々としていた。
「店主様。ありがとうございます。今後、果物を仕入れるときはこちらにお世話になりますね。」
「そうか!それはありがてぇ!お安くしますぜ!」
彼女の決定に、おれも異論はなかった。質が落ちていることをあっさり認める素直さは確かに信頼に値すると思う。ガブリエラはそういった商売人と良好な関係を築くことも欠かさない素晴らしいメイドなのだ。
こんな感じでガブリエラの仕事ぶりに見惚れつつ、あっという間に物資の調達は完了した。
そしてさらに次の日、ようやく北部で起きている『冒険者失踪事件』を解決するため双魚宮を出発することになる。