61話 無情の剣聖
「は…?」
セルヴェールの手から伸びる剣が、喉に触れるか触れないかギリギリの、文字通り紙一重の位置で止まっている。彼の剣気に気圧され、呼吸をするのも忘れた。
「セルヴェール。僕の副官に剣を向けるとは、どういうつもりかな?」
声を出せないおれに代わって、後ろからメタンフォードが問いかけた。
「貴殿の…ですか。らしくもない。浅はかな情に流され、私を敵視するような愚昧を選ぶとは。しかも、私がこうして剣を向けただけで動けなくなるような……ん?」
セルヴェールの声が不自然に止まる。思ってもみない方向から剣に力がかかったからだ。
「ふっ。らしくない…か。それはどうだろうね。あいにく僕は人の素質を見誤ったことがなくてね。それが雑多な有象無象に見えるなら、僕は君の方こそ愚昧だと笑い飛ばそう。」
おれは手が斬れるのを厭わず刃を鷲掴み、自分の喉元から引き剥がした。手から流れる血が刃を伝ってセルヴェールに向かって流れていく。
「何を」
「おれの情が浅はかなものか。ハルティエッタ様に抱く感情は愛よりもなお深い。最後にあの方の隣に立つのはこのおれだ!」
半ばヤケクソとは言え、こんな台詞を堂々と宣言できるのはおれの特技と言えるかもしれない。どうせ後で思い返して後悔するんだけども。
恥ずかしい言葉が廊下に木霊し、何事かと様子を伺う人たちが増えてきた。
セルヴェールもいつまでも城内で剣を抜いていては騒ぎになることくらいはすぐに想像できただろう。剣を引きポケットから布切れを取り出すと、刃に伝った血を拭き取った。
「いいでしょう。今回は先の功績に免じて剣を収めます。ですが、あまり敵意を撒き散らしていると今よりも痛い目を見ることになりますよ。」
そう言うとカチンと音を立てて、剣を鞘に収めた。そのまま立ち去ろうと歩き出したが、直後に何かを思い出したように振り返った。
「手の傷は…」
彼が言い終える前におれは掌をセルヴェールに見せる。その手は血で真っ赤に染まっているのに傷は一つも見当たらない。
「…。」
結局、言葉を続けないままセルヴェールは歩き去ってしまった。その背中を見ながら口元が綻ぶメタンフォード。
「君こそらしくないな、セルヴェール。それは『無情の剣聖』と呼ばれた男の顔じゃない。」
おれたちはまっすぐ城を後にした。例のごとくメタンフォードにさっきの台詞についてからかわれながら、双魚宮から来た道を数時間かけて戻った。
再び正門では使用人長の老紳士が出迎え、館に入るとメイド姿のエリスとアサヒが出迎えた。
「お帰りなさいませ、ご主人様♪」
「…にゃん。」
「…っ!」
今朝と同様、アサヒのメイド姿は可愛らしく愛嬌があるが、エリスのメイド姿の破壊力は凄まじかった。前髪をピンで止めたことで、今まで隠れていた幼顔がよく見える。
今の彼女を一言で表すなら『金髪ケモミミじと目ロリメイド』。複数属性の集合体になった彼女からは、ある種の神々しさすら見てとれた。
何というか恋心とは違うが、陰から見守っていたいようなソワソワした気持ちになる。
「可愛い……。はっ!」
口に出したときにはもう遅かった。メタンフォードはニヤケ顔を抑えられないらしく、エリスは珍しく赤面して俯いてしまった。アサヒはリスのように頬を膨らませながら近づいてきた。
「へぇー、ふぅーん?エリちゃん、可愛いよねぇ?そりゃあ私から見ても可愛いと思うもん。男の子はやっぱりああいうのが好みなんだぁ。」
「いや!ちが…くはないけど、そういう意味じゃなくて!」
アサヒは蔑むような目をしながらゆったりと確実に距離を詰める。
「私にはなぁんにも言わないのにねぇ?」
光を失った眼が、瞬きもせず責めるようにおれを捕捉している。おれはその目を直視できず、しどろもどろになってしまった。
「いや、うん。アサヒも…その…いいと思うよ…!」
「いいと思う…ねぇ?」
アサヒはそんな言葉では到底納得するつもりはないようで、二本の腕がおれの顔の両側に伸びてくる。そのままガシッと両頬を掴むと、無理やり彼女の方に顔を向けさせられた。人でも殺しそうな眼がおれの両目を正面から睨んでいる。
「他に、何かないのかなぁ?」
「狂おひいほど可愛いでふ。」
「よろしい。」
反射的に口にしてしまった言葉だったけど、どうやらお気に召したらしい。おれの顔は無事に解放された。
こういう時つくづく思うが、女の子というのは難しい生き物だ。アサヒの『可愛い』とエリスの『可愛い』は、同じ言葉であってもそのニュアンスはまるで違う。
アサヒ自身そんなことは百も承知だろうが、それでもやっぱり口に出してほしいのだろう。男としては少し照れくて、言葉にしづらいのだけど。
結局、夕食の時間になるまで幾度も『可愛い』を言わされ続け、十回を越えたあたりから数えるのをやめた。
そして、夕食どき。おれは出されたものを頬張りながら、今日の会議の結果をエリスとアサヒに話した。
「ゾ…ゾンビ…。まさかね!そんなのいるわけない…よね?…あはは。」
アサヒは顔を引つらせ、エリスはピクリとも表情を動かさないという対称的な反応を見せた。
メタンフォードはそんな二人に本題として一つの提案をした。おれも事前には聞かされておらず、驚いて口に運んでいた肉を落としてしまった。
「それで、我々には少なからず予算が割り当てられた訳だが…。どうだろう、君たちに同行する意思があればギルドの方から指名依頼をさせてもらうが。」
「もちろん、行く。」
エリスは即答だった。既に決定した雰囲気に包まれ、おれは口を挿む機会を完全に失った。
余計なことにエリスを巻き込まないで欲しいと訴えようと思ったが、メタンフォードはそれを分かっていておれに話さずにいたのだ。上官が依頼し、本人が受ける。こうなってしまえば、おれの出る幕はない。代わりに恨みがましい視線を延々と送り続けることしかできなかった。
次に、回答者になるアサヒに視線が集まる中、彼女は視線を泳がせた。
「あぁ…えっとぉ…すっごく行きたい気持ちはあるんだけど…あ!私、ギルド会員になってないから依頼受けられないんです!」
「そうか。それなら仕方がない。」
「はい!そっかぁ、残念だなぁ。ゾンビ見たかったなぁ。」
アサヒは断る理由を見つけて、明らかに安堵した顔をしていた。だが、普通の女の子はそれでいいのだと思う。アサヒはこれまで散々辛い想いをしてきたのだから、もう身を危険に晒すようなことはしなくていい。
「では、決まりだね。ガブリエラ、長期戦になるかもしれないから、そのつもりで頼んだ。」
「畏まりました。」
話はとんとん拍子で進み、食後のデザートが運ばれる頃には話題も尽きていた。食後はアサヒとエリスがラビと戯れ、おれは自室に戻ってベッドに倒れ込んだ。
「すごい…人たちだったな…。」
会議室の扉を開けたときのプレッシャーは尋常ではなかった。まるで重力が数倍にはね上がったような気さえした。
やはり彼らと比べてしまうと、おれはちっぽけな存在にしか思えてならない。ハル姉に近づけたと思ったのに、おれが思っていたよりも壁は遥かに高かった。
だが、幸いこの手の届く位置にはいる。有事の際は胸を張って駆けつけられる。今はそれで良しとしよう。
眠気に襲われ目を閉じていると、扉をノックする音が聞こえた。
「誰だろ…。」
目を擦りながら扉を開けると、寝間着姿のガブリエラが立っていた。風呂上がりで湿った髪、血色の良い肌、寝間着が薄いせいかはっきりしたボディライン。年頃の男子には刺激が強すぎる姿であることは間違いない。
「はしたない姿で失礼します。」
「ガブリエラさ…ガブリエラ。こんな時間にどうしたんですか?」
「夜這いです。」
「夜這い!?」
彼女の反応は言葉の意味とは真逆の、それが業務の一環であると言わんばかりの事務的なものだった。