57話 都渡り
メタンフォードの手をとった翌日。快晴の昼下り。副都ヴァイスに向けておれとメタンフォード、そしてエリスとアサヒを乗せた馬車は、メイド姿の女性が手綱を握る馬に引かれ、舗装の行き届かない道を揺られていた。
「皆様。少々道が荒れてまいりましたがお加減いかがですか?ちなみに私は…うっぷ…残念ながら限界のようです。」
馬車が停止すると、御者席に座っていたメイドがスタスタと茂みに消えていった。まもなく嗚咽のような苦しみ悶える声が聞こえた後、彼女はけろっとした表情で戻ってきた。
「失礼致しました。少々お花に水を。」
彼女は優雅にハンカチで口元を拭いている。恐らく水をもらったお花は強烈な酸によって大きなダメージを負っていることだろう。
メタンフォードは苦笑を浮かべた。
「乗り物酔いは相変わらずだね、ガブリエラ。」
ガブリエラ。それがメイドの名前だ。『栄光の十二騎士』のメンバーには二人の補佐役、つまり副官をつける権利が与えられる。そしてメタンフォードが選んだもう一人というのが彼女である。
スラッとした長身の女性で、紺碧の髪を束ねて白帽に隠し、余った部分が肩にかかっている。クールな見た目通り、できる女の雰囲気を漂わせているが、どうやら弱点はかなり多いらしかった。
「ガブリエラは元はブラン家のメイドで、『大地を穿つ爪』団長の時から補佐をしてもらっていてね。その仕事ぶりは超一流と言っていい。一を聞いて十を仮定し、百の準備を難なくこなす才女だ。」
メタンフォードが彼女について説明したときの言葉だ。彼にここまで言わせる程だ。とんでもなく優秀な人なのはわかるが、その続きを聞いた途端どうにもそちらの印象が強く残った。
「だが、もちろん彼女にも欠点はある。苦手な野菜は多いし、酒にも弱い。幽霊に怯えれば、血にも恐れる。そして乗り物には酔いやすい。」
風当たりがよく、揺れの少ない御者席にいてもこの有様なのだから、馬車の中にいたらどんなに阿鼻叫喚の嵐になっていたのやら。
「皆様のお時間を取らせてしまい、申し訳ありません。」
「いえ、そんな!苦しいならゆっくりしていきましょう!ね、フォードさん!」
「ああ、君の乗り物酔いは想定の上だよガブリエラ。」
頭を下げるものだから慌てて紛らわせようとするが、メタンフォードの様子を見るにこれが通常運転のようだった。
「お気遣い感謝いたします。では、もう少々だけお時間をいただきます。これ以上ご迷惑をおかけしないよう、お花に全ての水をやってきますので。」
そう言うと彼女は再び茂みの中へ消えていった。ガブリエラの所用が終わるまで、おれたちは休息を取ることにした。
「うわぁ、大変そー。」
「アサヒ、なんであの人は野生の花に水をやるの?」
「あれはちがくて、実はね…」
などとアサヒとエリスは他人事のように話している。そもそも何故彼女たちが一緒にいるかというと、二人ともヴァイスに移り住むことを決めたらしいのだ。グレンにも許可を得て、ついでに面白そうだからとメタンフォードが同乗を勧め今に至る。
「ところで、二人とも良かったの?せっかく住み慣れた街を離れることになるんだけど。」
おれの言葉を聞くと二人は顔を合わせて同時にため息をつき、おれに「こいつバカなんじゃないの?」という視線を向けてきた。失礼な話である。
「リュート。私、力になりたいって言った。覚えてる?」
エリスが淀んだ目を見開く。
「およよよ。私はリュートが好きだって言ったのに…。」
アサヒが潤んだ目でこちらを見た。そして二人は示し合わせたようにお互いの肩を抱いた。
「アサヒ…私、悲しい。」
「私も悲しいよ。エリちゃん。」
「「リュートは私たちとは一緒にいたくないみたい。」」
「ち、違う!そういうことじゃなくて!二人は…えっと…おれにとって、た、大切だから!おれのせいで不自由な想いをしてほしくないというか…それに今まで以上に危険に巻き込んでしまいそうというか…。とにかく二人を想えばこそであって、決して悪気が」
「ふっ、ククク。」
言葉の途中でまたまた失礼なことに、メタンフォードが吹き出した。
「な、なんですか?」
「いやぁ、僕の口から伝えるのは憚られるが、その二人は君の想いなど端から承知の上だと思う。」
「なん…だと…。つまり、おれは」
「そう。からかわれたんだよ。」
再び二人に目を向けると揃ってそっぽを向いていた。アサヒに至っては吹けもしない口笛に精を出している。
「それにしてもリュートは時々、大胆な物言いをするね。『二人が大切だから』『二人を想えばこそ』。うん、中々正面切って言える言葉じゃあないね。二人を同乗させて正解だった。」
そう言われて思い返すと急に恥ずかしくなってきた。そこにちょうどガブリエラが戻ってきて再出発することになったが、その後馬車の中はなんとも気まずい雰囲気に満ち、メタンフォードはそれを見物にして終始ニコニコしていた。
我がフロンティエール王国には『都渡りは七日の旅路』という言葉があるように、今回の移動も七日間の予定だった。道程、水浴び事件や猪獅子狩猟作戦などの珍事には事欠かなかったが、ことさら危険に晒されることもなく無事に到着を目前に最後の野営を行っていた。
皆が寝静まり、おれは一人でぼーっと焚き火を眺めていた。
「リュート様、今日も眠らないですか?」
背後からガブリエラが声をかけてきた。
「いえ、もう寝ますよ。だから、ガブリエラさんもおれのことは気にせずに休んでください。」
「嘘ですね。」
彼女の言葉に意表をつかれて振り返ると、すぐ側まで寄ってきていた。
「貴方は初日からこうして徹夜で見張りをしていましたね。」
「見張りなんて大層なものじゃないですよ。日中に寝すぎて目が冴えてるだけです。そもそも索敵なら寝ているフォードさんでも十分ですし。」
「そうですか。」
ガブリエラはそう一言だけつぶやき、黙っておれの隣に座った。
「少しだけ…お話しませんか?」
彼女は微笑んでいるわけでもなく淡々と、一切の表情を崩さずにこちらに顔を向けた。
「これからメタンフォード様の副官として同僚になるわけですし、貴方の人柄を知っておきたいと思いまして。」
「そうですね、是非。何からお話しましょうか。」
「貴方のデータは既に調査済みです。身長、体重、体脂肪率から趣味、嗜好に至るまで全て。選定の競合相手でしたから。」
「ひぇ…。」
寒気がして、思わず声が出た。
「じゃあ、一体何を」
「ですので、貴方の人柄を。データはあくまでデータ。貴方を示す一要素に過ぎません。メタンフォード様程になればそこからでも人柄を読むことはできましょうが、私にはとても。」
「人柄ですか…。何を話せばいいんだろう。」
「例えば…さっきまで何を考えていたのですか?」
そう聞かれてガブリエラに話しかけられる前のことを思い出す。ぱちぱちと火花を散らしながら揺れる火を見ながら、おれをフラムやエリスのことを考えていた。いや、考えていたではなく引きずっていた。
おれはあの襲撃の時、ハル姉と他のみんなを天秤にかけて最後にはハル姉を選んだ。もちろんその選択を後悔してはいないが、それとこれとは話は別。おれが彼らを見捨てたという事実は変わらない。
おれは目覚めたあとしばらく、フラムやエリスの顔を直視できなかった。気を失っていた彼らには伝わりようもない事情だったが、後ろめたい気持ちだけが胸の中に溜まっていた。
それも長くは続かず、様子の変化を感じ取ったフラムに問い質され、全てを白状したのだ。彼はそんなおれに嘲笑混じりに言ってのけた。
「ふん。ハルティエッタ様と僕たち、どちらを守るべきかなんて火を見るより明らかだ。お前は正しい判断をしたんだよ。」
まるで「そんなのは馬鹿でもわかる」とでも言いたげな彼の態度におれは驚いた。そして、彼はこうも続けた。
「それに僕は自分の不甲斐なさを棚上げして、お前を責めるほど愚かじゃない。それに、姉を想う気持ちには共感できる。」
上手く言葉が伝わらないことにムシャクシャしたのか、フラムは自分の頭を掻きむしった。
「ああ、何が言いたいかと言うとだなっ。もし僕が姉様とお前のどちらかを選ばなければならないのなら迷いなく姉様を選んでた!だから、お前が迷ってくれただけで僕にとっては十分なんだよ!」
フラムはそう言って気まずそうにおれの前から去ったのだ。その後、エリスにも謝罪をしたが、最初からわかってたことだと一蹴された。
「なるほど。それでも貴方は割り切ることができない、と。」
「ええ。まぁ、そんなところです。」
ガブリエラはごく自然な流れでおれの感情を代弁してくれた。そっとおれの頭の上に手を置き、気持ちの良いツボを探るように絶妙な加減で撫でた。
「貴方はとても…言葉選びが下手なのですね。」
「うっ。」
自覚はあるがこのタイミングで指摘される意味はわからない。
「貴方は『見捨てた』と言いますが、今の話を聞いた私にはそうは思えませんでした。」
ガブリエラの言葉がただの慰めであれば、おれはすぐにでも否定しただろう。だけど、彼女の言葉には熱が籠もっていた。
「貴方は…大切なものが溢れないように、今はまだ小さな掌で必死にそれを守ったに過ぎません。大切な全てを守るにはまだ貴方の手では小さすぎて、零れ落ちていく全てを受け止められないだけ。それを見捨てたなどというのは驕りというものです。」
「おれがまだ…弱いだけ…。」
「ええ。ですが幸運なことに貴方はまだ何も失っていません。であれば貴方のすべきことは…わかりますね?」
ここまで言われてわからないおれではない。確かにおれは今までが上手くいき過ぎて、その気になれば何でも守れると勘違いしていた。だが、実際は違う。力不足も甚だしい。ならばおれは再び現れるだろう脅威に備え、一から力をつけなければならない。
幸い特別な魔法を手にすることはできた。おれはこれを使いこなし、さらに強くならなければハル姉の横に並び立つチャンスは二度と巡って来ないかもしれない。
「ありがとうございます、ガブリエラさん。」
「ガブリエラ、私のことはガブリエラとお呼びください。」
この流れはどこかで見た覚えがある。彼女の様子から、それ以外の呼び名を許さないかのような迫力があった。
「で、では、おれはリュートで。よろしくお願いします、ガブリエラ。」
「はい、こちらこそよろしくお願いします、リュート。ところで…」
「…?」
ガブリエラは出会ったときから今まで全く表情が変わらなかったのに、今だけはどこか血の気が引いているように見える。そもそも暗がりで顔色の僅かな差など目視で判断するのは難しいが。
「一つ、私の頼みを聞いていただけませんか?」
「はい、何なりと!」
ガブリエラは一瞬言い淀んだが、淡々と要件を口にした。
「私が寝るまで側にいてくださらないでしょうか。」
「は、はい!?」
「あ、全然関係ない話ですが、夜の森ってどこか不気味ですよね。」
仕事は完璧、クールビューティーなメイドさんは顔に真顔を貼り付けたまま少し震えていた。
あれ、もしかしてこの人…夜の森で寝るのが怖くてここに来たのでは?もしかして一連の会話はおれが寝込みを襲わない人間か確認するためだったのでは?
なんて邪推してしまうが、それでもおれの気が多少なりとも晴れたのは事実だ。それを考えれば、彼女の安眠くらいおれが守ってあげてもバチは当たらないだろう。
「いいですよ。おれが近くにいます。ゆっくり休んでください。」